日経新聞朝刊一面には、毎日、同社のコラムとして「春秋」が掲載されております。世相の様々な面を切り取って読者に語りかけているのですが、本日の記事では、多文化共生社会が扱われておりました。
同記事によりますと、今年、芝園団地の自治体が、国際交流基金から「地球市民賞」を受賞したそうです。授賞理由は「多文化共生の先進的事例」ですが、同団地の“多文化共生”へのプロセスは、まさしく既存の固有の文化側の消滅への道であることを実例として示しています。
芝園団地とは、埼玉県川口市にある総戸数2500戸の高層住宅棟から成るマンモス団地です。高度成長期には若い世代の家族が入居し、活気にあふれた団地であったのでしょうが、今では、日本人世帯の高齢化と平行するように中国人世帯が増加し、世帯数の半数を占めるにいたっているそうです。当初は、中国人世帯が持ち込んだ慣習からトラブルが生じるなど文化摩擦が生じたものの、同団地自治体が共生に向けた取り組みを開始したところから、こうした問題は収まり、多文化共生社会のモデルとなったと説明されています。
そして、このコラムで注目される点は、共生に向けたオブジェとして、団地内に“大小様々な手形がしるされたテーブルやベンチ”が設置されていることです。これらのオブジェは、「中国人は帰れ」といった落書きを塗り替えたものであり、それ故に、多文化共生を象徴するとされているのです。しかしながら、このオブジェは、多文化共生の行く先には、日中両国の伝統とは全く関係のない別の文化が広がる可能性を示しています。芝園団地では手形アート(handprint art)ですが、文化摩擦を避けるために、敢えて両者共々固有な伝統文化が退けられ、無関係の“第三の文化”が選択されているのです(手形アートの起源は不明なものの、全世界的に行われている…)。それは、“多文化共生文化”とでも称すべき奇妙な画一的文化の出現とその強制かもしれません(固有の文化は個人や家庭レベルで細々と維持されているに過ぎず、”隠れ○○人”化へ…)。
かくして芝園団地の共生オブジェは、多文化共生主義がもたらす多文化から画一的な単一文化へのプロセスを実証しているのですが、人口比を考慮しますと、日本国には、さらにその先には別の近未来が待っているかもしれません。それは、日中半々の人口構成では、“多文化共生文化”が広がりますが、人口比が逆転した場合には、多数派の文化が優勢となる可能性です。住民の半数以上が中国人世帯となれば、やがて“多文化共生文化”の下に隠れていた多数派の固有の文化が表面に浮上し、芝園団地のさらに40年後は中国人社会に変貌しているかもしれません。
芝園団地の事例は、その国の伝統文化⇒移民の増加⇒異文化間の文化摩擦⇒“多文化共生文化”の流れを示していますが、そもそも文化とは、本来は、個人には還元できない集団的な性質を持ちますので、人口比や集団的影響力の変化はその国の文化や社会の変化をも伴います。最終的には、日本国の伝統文化は、観光目的に“先住民の文化”として保護されるか、あるいは、数ある文化の中の一つとして相対化されことでしょう。画一化された“多文化共生文化”の押し付けに留まらず、やがては多数派となった中華文化に染まるとしますと、多文化共生主義がもたらすこの近未来を、日本国民の多くは快く受け入れるのでしょうか。
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同記事によりますと、今年、芝園団地の自治体が、国際交流基金から「地球市民賞」を受賞したそうです。授賞理由は「多文化共生の先進的事例」ですが、同団地の“多文化共生”へのプロセスは、まさしく既存の固有の文化側の消滅への道であることを実例として示しています。
芝園団地とは、埼玉県川口市にある総戸数2500戸の高層住宅棟から成るマンモス団地です。高度成長期には若い世代の家族が入居し、活気にあふれた団地であったのでしょうが、今では、日本人世帯の高齢化と平行するように中国人世帯が増加し、世帯数の半数を占めるにいたっているそうです。当初は、中国人世帯が持ち込んだ慣習からトラブルが生じるなど文化摩擦が生じたものの、同団地自治体が共生に向けた取り組みを開始したところから、こうした問題は収まり、多文化共生社会のモデルとなったと説明されています。
そして、このコラムで注目される点は、共生に向けたオブジェとして、団地内に“大小様々な手形がしるされたテーブルやベンチ”が設置されていることです。これらのオブジェは、「中国人は帰れ」といった落書きを塗り替えたものであり、それ故に、多文化共生を象徴するとされているのです。しかしながら、このオブジェは、多文化共生の行く先には、日中両国の伝統とは全く関係のない別の文化が広がる可能性を示しています。芝園団地では手形アート(handprint art)ですが、文化摩擦を避けるために、敢えて両者共々固有な伝統文化が退けられ、無関係の“第三の文化”が選択されているのです(手形アートの起源は不明なものの、全世界的に行われている…)。それは、“多文化共生文化”とでも称すべき奇妙な画一的文化の出現とその強制かもしれません(固有の文化は個人や家庭レベルで細々と維持されているに過ぎず、”隠れ○○人”化へ…)。
かくして芝園団地の共生オブジェは、多文化共生主義がもたらす多文化から画一的な単一文化へのプロセスを実証しているのですが、人口比を考慮しますと、日本国には、さらにその先には別の近未来が待っているかもしれません。それは、日中半々の人口構成では、“多文化共生文化”が広がりますが、人口比が逆転した場合には、多数派の文化が優勢となる可能性です。住民の半数以上が中国人世帯となれば、やがて“多文化共生文化”の下に隠れていた多数派の固有の文化が表面に浮上し、芝園団地のさらに40年後は中国人社会に変貌しているかもしれません。
芝園団地の事例は、その国の伝統文化⇒移民の増加⇒異文化間の文化摩擦⇒“多文化共生文化”の流れを示していますが、そもそも文化とは、本来は、個人には還元できない集団的な性質を持ちますので、人口比や集団的影響力の変化はその国の文化や社会の変化をも伴います。最終的には、日本国の伝統文化は、観光目的に“先住民の文化”として保護されるか、あるいは、数ある文化の中の一つとして相対化されことでしょう。画一化された“多文化共生文化”の押し付けに留まらず、やがては多数派となった中華文化に染まるとしますと、多文化共生主義がもたらすこの近未来を、日本国民の多くは快く受け入れるのでしょうか。
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