「外国籍取得したら日本国籍喪失」は違憲 8人提訴へ
報道に拠りますと、外国籍を取得すると日本国籍を失うと定める国籍法の合憲性を争う訴訟が、東京地方裁判所に起こされるそうです。原告は、スイスやフランスに在住している8名の元日本国籍者とのことですが、この訴え、原告側が主張する憲法上の根拠を見ましても、かなり無理があるように思えます。
原告側は、第一に、国籍法第1条1項は、憲法第13条(幸福追求権)に反するとしています。しかしながら、第13条は、“公共の福祉に反しない限り”個人の幸福追求は“立法その他の国制上で”尊重されると述べるに留まり、その具体的な内容を詳述しているわけではありません。原告側は、現行の国籍法の規定は個人の幸福追求を害していると訴えていますが、裁判所においてこの言い分が認められれば、あらゆる法律が、違憲として判断されるリスクが生じます。何故ならば、法律とは、無限の自由(放縦)ではなく、規律ある自由を実現するために、個人の行動に一定の枠を与えるものであるからです。第13条が、一部の人々の個人的、かつ、主観的な幸福感の有無によって法律を改変する法的根拠となるならば、これは、拡張解釈による法の私物化としか言いようがありません。
原告側が第二に根拠としている憲法の条項は、第22条2項(国籍離脱の自由)です。この条項には、「何人も、外国に移住し、又は、国籍を離脱する自由を侵されない」とあります。同条文を文字通りに素直に読めば、原告の人々は、まさしくこの自由を謳歌したこととなります。何故ならば、外国に移住し、(外国国籍を取得することで)自らの自由意思で日本国籍を離脱したのですから。しかも、条文では、“外国国籍を取得する自由”ではなく、“国籍を離脱する自由”と明記しており、むしろ、無国籍者の発生を回避し、外国国籍の取得と日本国籍の離脱を一対として捉えている現行の国籍法第1条1項の規定と合致しているのです。
さらに、原告側は、上記の憲法の条文の他に、時代の変化を違憲の根拠として挙げています。重国籍の禁止は、明治憲法下の徴兵制(兵役の義務)を前提としたものであり、日本国を含め、多くの諸国において徴兵制が廃止され、グローバル化が進展した今日では時代遅れであると主張しているのです。しかしながら、重国籍と徴兵制の問題に関しては、国際法において調整のルールが設定されており(「二重国籍における軍事的義務に関する議定書」)、国際社会では、徴兵制の有無は二重国籍の容認とは直接には関係しません。また、蓮舫議員の二重国籍問題に関連して議論されたように、民主主義国家である限り、同問題は、政治や社会等の全般に亘って外国による内政干渉の問題を引き起こします。加えて、近年、スウェーデンやフランスにおいて徴兵制復活の動きがあることに加え、オーストラリアなどでも重国籍の国会議員が失職しており、徴兵制廃止や二重国籍容認は時代の流れとも言い難く、むしろ重国籍が問題視されているのが現状です。
このように考えますと、現行の国籍法を違憲とする原告側の言い分は、極めて“我儘”な要求に聞こえます(そもそも原告の人々は、権利は求めても、日本国に対する義務を負うつもりはあるのでしょうか…)。もっとも、原告側の主張を否認する判決が下されれば、重国籍を認めていない現行の国籍法の合憲性が確定することになり、これまでその曖昧さが問題視されてきた“外国人の日本国籍取得における重国籍”の禁止についても、法的解釈が明確化する一助となるかもしれないと思うのです。
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報道に拠りますと、外国籍を取得すると日本国籍を失うと定める国籍法の合憲性を争う訴訟が、東京地方裁判所に起こされるそうです。原告は、スイスやフランスに在住している8名の元日本国籍者とのことですが、この訴え、原告側が主張する憲法上の根拠を見ましても、かなり無理があるように思えます。
原告側は、第一に、国籍法第1条1項は、憲法第13条(幸福追求権)に反するとしています。しかしながら、第13条は、“公共の福祉に反しない限り”個人の幸福追求は“立法その他の国制上で”尊重されると述べるに留まり、その具体的な内容を詳述しているわけではありません。原告側は、現行の国籍法の規定は個人の幸福追求を害していると訴えていますが、裁判所においてこの言い分が認められれば、あらゆる法律が、違憲として判断されるリスクが生じます。何故ならば、法律とは、無限の自由(放縦)ではなく、規律ある自由を実現するために、個人の行動に一定の枠を与えるものであるからです。第13条が、一部の人々の個人的、かつ、主観的な幸福感の有無によって法律を改変する法的根拠となるならば、これは、拡張解釈による法の私物化としか言いようがありません。
原告側が第二に根拠としている憲法の条項は、第22条2項(国籍離脱の自由)です。この条項には、「何人も、外国に移住し、又は、国籍を離脱する自由を侵されない」とあります。同条文を文字通りに素直に読めば、原告の人々は、まさしくこの自由を謳歌したこととなります。何故ならば、外国に移住し、(外国国籍を取得することで)自らの自由意思で日本国籍を離脱したのですから。しかも、条文では、“外国国籍を取得する自由”ではなく、“国籍を離脱する自由”と明記しており、むしろ、無国籍者の発生を回避し、外国国籍の取得と日本国籍の離脱を一対として捉えている現行の国籍法第1条1項の規定と合致しているのです。
さらに、原告側は、上記の憲法の条文の他に、時代の変化を違憲の根拠として挙げています。重国籍の禁止は、明治憲法下の徴兵制(兵役の義務)を前提としたものであり、日本国を含め、多くの諸国において徴兵制が廃止され、グローバル化が進展した今日では時代遅れであると主張しているのです。しかしながら、重国籍と徴兵制の問題に関しては、国際法において調整のルールが設定されており(「二重国籍における軍事的義務に関する議定書」)、国際社会では、徴兵制の有無は二重国籍の容認とは直接には関係しません。また、蓮舫議員の二重国籍問題に関連して議論されたように、民主主義国家である限り、同問題は、政治や社会等の全般に亘って外国による内政干渉の問題を引き起こします。加えて、近年、スウェーデンやフランスにおいて徴兵制復活の動きがあることに加え、オーストラリアなどでも重国籍の国会議員が失職しており、徴兵制廃止や二重国籍容認は時代の流れとも言い難く、むしろ重国籍が問題視されているのが現状です。
このように考えますと、現行の国籍法を違憲とする原告側の言い分は、極めて“我儘”な要求に聞こえます(そもそも原告の人々は、権利は求めても、日本国に対する義務を負うつもりはあるのでしょうか…)。もっとも、原告側の主張を否認する判決が下されれば、重国籍を認めていない現行の国籍法の合憲性が確定することになり、これまでその曖昧さが問題視されてきた“外国人の日本国籍取得における重国籍”の禁止についても、法的解釈が明確化する一助となるかもしれないと思うのです。
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