今年の『ナショナル ジオグラフィック』2月号のテーマは、“善と悪”でした。脳科学から人類に善人と悪人が混在する理由を解明しようとする試みですが、この研究、政治を考える上でも示唆に富んでおります。
記事を要約すれば、善人と悪人、即ち、自己犠牲を厭わない利他的な人と犯罪者やサイコパス等の利己的な人とでは、脳内における共感の回路に違いがあり、特に扁桃体が重要な部位となります。前者の扁桃体が平均して8%程大きい一方で、後者は扁桃体や眼窩全頭皮質の部位が小さいのみならず、機能障害もあるそうです。現在、こうした知見は優しい心を育てるトレーニングの開発等にも活用されており、犯罪者を減らし、善き安全な社会の実現に向けた取り組みに貢献しているとのことです。
今日の脳科学は、人間社会には善人と悪人の両者が混在していることを立証しているのですが、近代以降の政治思想を見ますと、人間観において極端な立場からの主張が大半を占めてきたように思われます。近代以降の人権思想は、全ての人間を、‘理性を備えた善人’と見なす性善説に基づいており、それ故に、“悪人”に対する対応が十分とは言えませんでした。“犯罪者の人権を守れ”の大合唱によって、一般の人々が暴力の餌食になり、被害者が泣き寝入りとなるケースも少なくなかったのです。また、暴力革命を肯定する共産主義などは、その主導者自身がサイコパスであった可能性も否定はできません。一般の人々の立場や運命に対する思いやりも共感も一切なく、革命に伴う虐殺に対して良心の痛みを感じていないのですから。
そして、統治の仕組みがこうした偏った人間観に基づいて設計されていたり、政策が策定されていたりする場合には、それは、得てして深刻な問題をもたらします。日本国の憲法第9条はその最たる事例であり、近隣諸国や国際社会には悪人ならぬ“悪しき国家”など存在していないものと前提として起草されています。この結果、当然の正当防衛の行為さえ、違憲と見なされかねないのです。また、隣国の中国は、その利己的なサイコパス的行動を、‘共産主義理論は絶対’する主張を以って肯定しようとさえしています。
政治の世界に正邪の区別を持ち込もうとすると、リベラル派を始めとした“進歩的知識人“なる人々は、価値相対論を持ち出し、勧善懲悪を古びた黴臭い、あるいは、幼稚な思想と決めつけて嘲笑してきました。しかしながら、現代の脳科学が、悪人の存在を科学的、かつ、実証的に裏付けている以上、良き統治を実現するためには、地方、国家、そして、国際社会といったあらゆるレベルで、加害防止・制御装置や善人保護措置を備えた制度設計を試みる必要があるのではないでしょうか。そして、善人と悪人が存在する以上、政治家を選ぶに際しても、善人が選ばれるシステムを構築すべきであり、それは、民主主義のより優れた方向への発展をおいて他にはないのではないかと思うのです。
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記事を要約すれば、善人と悪人、即ち、自己犠牲を厭わない利他的な人と犯罪者やサイコパス等の利己的な人とでは、脳内における共感の回路に違いがあり、特に扁桃体が重要な部位となります。前者の扁桃体が平均して8%程大きい一方で、後者は扁桃体や眼窩全頭皮質の部位が小さいのみならず、機能障害もあるそうです。現在、こうした知見は優しい心を育てるトレーニングの開発等にも活用されており、犯罪者を減らし、善き安全な社会の実現に向けた取り組みに貢献しているとのことです。
今日の脳科学は、人間社会には善人と悪人の両者が混在していることを立証しているのですが、近代以降の政治思想を見ますと、人間観において極端な立場からの主張が大半を占めてきたように思われます。近代以降の人権思想は、全ての人間を、‘理性を備えた善人’と見なす性善説に基づいており、それ故に、“悪人”に対する対応が十分とは言えませんでした。“犯罪者の人権を守れ”の大合唱によって、一般の人々が暴力の餌食になり、被害者が泣き寝入りとなるケースも少なくなかったのです。また、暴力革命を肯定する共産主義などは、その主導者自身がサイコパスであった可能性も否定はできません。一般の人々の立場や運命に対する思いやりも共感も一切なく、革命に伴う虐殺に対して良心の痛みを感じていないのですから。
そして、統治の仕組みがこうした偏った人間観に基づいて設計されていたり、政策が策定されていたりする場合には、それは、得てして深刻な問題をもたらします。日本国の憲法第9条はその最たる事例であり、近隣諸国や国際社会には悪人ならぬ“悪しき国家”など存在していないものと前提として起草されています。この結果、当然の正当防衛の行為さえ、違憲と見なされかねないのです。また、隣国の中国は、その利己的なサイコパス的行動を、‘共産主義理論は絶対’する主張を以って肯定しようとさえしています。
政治の世界に正邪の区別を持ち込もうとすると、リベラル派を始めとした“進歩的知識人“なる人々は、価値相対論を持ち出し、勧善懲悪を古びた黴臭い、あるいは、幼稚な思想と決めつけて嘲笑してきました。しかしながら、現代の脳科学が、悪人の存在を科学的、かつ、実証的に裏付けている以上、良き統治を実現するためには、地方、国家、そして、国際社会といったあらゆるレベルで、加害防止・制御装置や善人保護措置を備えた制度設計を試みる必要があるのではないでしょうか。そして、善人と悪人が存在する以上、政治家を選ぶに際しても、善人が選ばれるシステムを構築すべきであり、それは、民主主義のより優れた方向への発展をおいて他にはないのではないかと思うのです。
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