万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

小さな政府のパラドックス―利権配分型の大きな政府へ

2020年09月12日 11時43分43秒 | 国際経済

 小さな政府とは、政府の事業範囲が狭く、財政規模の小さなコンパクトな政府もモデルとして理解されています。政策としては、公益事業の民営化とセットとされており、グローバリズム、並びに、新自由主義の同伴者でもあります。郵政民営化を進めたかつての小泉政権を初め、民営化を叫んだ政治家の人々は‘官から民へ’をスローガンとして掲げ、あたかも、民間企業が伸び伸びとと活動する自由な経済の到来というイメージを振りまいてきたのです。

 

 しかしながら、よく現実を観察してみますと、小さな政府論には、パラドックスがあるように思えます。その理由は、民営化によってもたらされた結果とは、公共サービス分野における大手企業による独占や寡占でしかなかったからです。多くの人々が民営化に対して寄せていた期待とは、公共事業分野が民間事業者に広く開放されることで、多くの企業が同市場に参入し、そこでは公平なルールの下で自由な競争が行われ、利用者が、安価で良質のサービスを受けられる状態であったはずです。実際に、民営化の根拠として強調されたのは、硬直化した公共事業分野に民間の競争メカニズムを導入することで、国民の利益や利便性の向上に資することでした。民営化による最大の受益者は、自由競争の果実を享受し得る国民とされたのです。

 

 ところが、いざ、蓋を開けてみますと、期待とは裏腹に、ソフトバンクグループの孫正義氏のように、‘政商’とも称される、政府と癒着するIT起業家も現れるようになりました(LINEなどのIT大手も、常々、公的事業に入り込もうとする…)。確かに、事業主が国や自治体から民間企業が代わったものの、それは、公平で自由な競争の結果ではなく、むしろ、資金力において優位にあり、かつ、政府に取り入った一部事業者による事業の独占や寡占であったのです(分割後に民営化された事業体は別として…)。それもそのはず、公共事業分野とは、もとより事業の性質上、極めて公共性の高く(その多くはインフラ事業…)、自由競争が働かない分野であるからです。公共サービス分野については、その殆どは独占禁止法の適用除外の対象です。

 

 ここに、小さな政府のパラドックスが自ずと明らかになります。それは、小さな政府政策、即ち、民営化を推進すればするほど、国レベルであれ、地方自治体レベルであれ、政府の許認可権を含む利権や監督権限が肥大化するというパラドックスです。財政規模を基準として分類しますと、小さな政府は、確かに予算規模の‘小さな政府’なのですが、民営化した公共サービス分野における利権や監督権限を含めれば、‘大きな政府’と言わざるを得ません。小さな政府の結果として現れた経済は、それが一部であれ、法の支配に基づくルール型の経済ではなく、むしろ、政府が介在する配分型の経済なのです。

 

 しかも、アメリカではGAFAが積極的に政府や政治家に対してロビー活動を展開しているように、IT大手の資金力や人脈は、政府の政策をも方向付ける力を有します。かくして、様々な事業上の権利を付与する側にある政府(政治家や官僚)は、民間事業者から賄賂攻勢を受けやすい立場となり、腐敗しやすい体質を抱え込むこととなるのです。この側面は、改革開放路線によって、一党独裁の下で権力を独占する共産党幹部が、利権配分によって大富豪となった中国とも共通しています。そして、民営化とは、得てして海外企業への自国市場開放を伴いますので、政府は、中国企業をも含む海外企業からの働きかけをも受けることになりましょう。

 

 小さな政府とは、その実、大きな政府であったというパラドックスは、今後、改めて官民の線引き問題を考えてゆく必要性を示唆しております。そして、小さな政府の実像が、政府と政商企業との癒着体制、即ち、悪しき‘マネー支配’を意味するとしますと、それは、民主主義にとりましても脅威となるのではないかと思うのです。


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