万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

憲法第68条も改正すべきでは-人事の首相一任方式は適切なのか?

2020年09月17日 11時23分18秒 | 日本政治

 昨日9月16日、菅義偉新首相の下で閣僚人事が行われ、皇居における認証式を経て新たな内閣が発足いたしました。自民党内の派閥力学によって擁立された政権であるだけに、‘派閥に配慮しない’との新首相の前言とは裏腹に、今般の組閣は、派閥間調整の産物に過ぎないとする手厳しい評も見受けられます。真相は藪の中なのですが、国民の多くが新内閣の顔ぶれを‘適材適所’と見なしているとは言い難く、親中派の二階幹事長を留任させた党内人事と相まって失望感も広がっています。

 

民主主義国家にあっても、人事とは、時にして国民が望む有能で善良な政府の出現を阻む阻害要因ともなってきました。とりわけ、日本国のような議院内閣制の国では、政党内での党首選出、衆議院選挙、国会での首相選出、首相による組閣…というふうに、二重三重の手続きを経ますので、国民の意向が、首相を含む統治機構の人事に反映されることは殆どありません。

 

また、先日も、菅首相は、官僚組織に関連して、自らの政策に反対する、あるいは、意見する官僚に対して異動を示唆し、人事権を以って上意下達のシステムへの転換を図る方針を示しましたが、この手法は、北朝鮮と然程変わりはありません。同国における最近の出来事として、金正恩委員長の政策を批判した有能なエリート官僚5人が処刑されたとする報道がありました。人事を握るトップが反対者の‘首を切ってしまう’、即ち、完全に排除し得るシステムという意味において違いはないのです(実際に、生かしているか、命を奪っているかの違いしかない…)。

 

 人事権とは、しばしば‘生殺与奪の権’ともなるのですが、これまで、同権限に対する国民の関心は薄かったように思えます。しかしながら、マスメディアやネット上では、しばしば‘○○が干された’とか、‘報復人事か’といったセンセーショナルな見出しを目にすることもあり、また、企業等の社会一般の組織にあっても、‘上司に反対したために左遷された’というようなお話はよく耳にします。実のところ、誰もが遭遇し得る身近な問題でありながら、何故か、等閑にされてきたのです。

 

 制度設計の観点からしますと、人事権とは、独裁者が真っ先に掌握したがる権限であるように、最も‘人の支配’に陥りやすい権限です。しかも、組織の目的や存在理由とも乖離が生じやすく、職務上に要する能力よりも、人事権を握る者の個人的な好悪の感情、賄賂の多少、自己に対する貢献度や忠誠心の高低、親密性の濃淡といった‘私的基準’によって人選がなさますと、組織の目的達成や役割を基準とした人選からは遠のくばかりとなるのです。結局は、本来、組織の目的や役割には適っている有能な人材がパージされ、やがて組織自体が傾くことにも少なくないのです。

 

このため、一般の企業や組織では、組織の目的に適った公平、かつ、最適な人事を心掛けるべく、中立的な人事評価制度を設け、客観的に能力や実績を評価し得るように努力を重ねてきました(AIの積極的導入も同観点から主張されている…)。その一方で、今日の統治制度を見ますと、現行の閣僚人事システムは、安全装置の欠如した危険極まりない状態のまま放置されてきたように思えます。

 

 現憲法の第68条では、組閣の権限は、首相の専権事項として定められています。憲法上の規定ですので、誰もがこの条文を前提として疑問を懐くこともなく現状を受け入れています。いわば、思考停止の状態にあるのですが、首相に人事権を一任する危険性が明らかとなった今日、制度の方を変えてみるとする発想もあって然るべきように思えます。民主主義国家の場合、民意に応えて善き統治機能を提供することが組織としての目的ですので、この目的から離れないような制度的な工夫を凝らす必要があるのです。

 

 例えば、アメリカのような大統領制を採用する国家では、大統領が各省庁の長官を任命するに際しては、議会両院の承認を要します。議院内閣制の場合には、首相が議会から指名されるため、こうした方式は採るのは難しいのですが、議院内閣制という間接的な選出方法であればこそ、首相を含めた内閣全体に対する承認権を国民に与えるという方法も一案となりましょう。また、各閣僚の任命権を首相に独占させるのではなく、首相と同様に、閣僚ポストをそれぞれ個別に国会で指名するという方法もないわけではありません。あるいは、自薦他薦を認めるといった方向での改革もあり得ます。小学校や中学校の学級委員の選出場面を思い起こしてみますと、学級委員長が人事権を独占し、他の○○委員を任命するという形式は殆どなかったのではないでしょうか(仮に、委員長一任方法であれば、子供達でもおかしいと言い出すのでは…)。むしろ、メンバーのコンセンサスを重視し、その職に適した人物を公平な評価基準に基づいて個別に選ぶ方が、人事の在り方としては理に適っているようにも思えます。

 

 憲法改正と申しますと、第九条ばかりが注目されますが、同条の改正問題が、第68条の改正を含めて日本国の統治制度の発展を阻んできた側面もないわけではありません。国民が蚊帳の外に置かれてしまう現状を脱するためには、まずは、自由な発想こそ尊重されるべきであり、統治制度につきましても民主主義をさらに強化すべく、抜本的な見直しにこそ着手すべきではないかと思うのです。


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