万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

BLM運動の違和感

2020年09月28日 12時53分30秒 | アメリカ

 アメリカでは、白人警察官が黒人容疑者を死亡させた事件をきっかけとして、黒人差別反対を訴えるBLM運動が起きることとなりました。プロのテニスプレーヤーである大阪なおみ選手も、出場した全米オープンにおいて自らのマスクに7人の黒人の名前を記すことで人種差別反対をアピールしています。人種差別反対については誰もが異論はないものの、今般の黒人差別反対運動にはどこか違和感を覚えてしまうのです。

 

 その理由の一つは、今般の黒人差別問題に限って言えば、同問題は、アメリカの国内問題としての側面が強いからです。歴史的に見ますと、同問題が発生したのは、アメリカ大陸に奴隷商人を介してアフリカから多数の黒人の人々が連れてこられたからに他なりません。一つの国に複数の人種が混住することとなり、かつ、両者が主人と奴隷の関係となってしまったからこそ、人種差別問題が発生したのです。言い換えますと、国民の凡そ全員が黒人種であるアフリカ諸国では、黒人差別問題は起きようもありません。今般のBLMにあっても、アフリカ諸国から積極的にアメリカ政府に対して正式な抗議や改善要求が寄せられたわけではなく、日本国政府も含め、有色人種の国であるアジア諸国も静観しています。また、一部には街頭デモ等も行われましたが、国際的な社会運動としての広がりにも欠けたのも、アメリカの内部問題とする認識が強かったからなのでしょう。この点、日本国籍を有する大阪選手の行動は、自らのアイデンティティーをアメリカの黒人に置いて行動していることとなります。

 

 そして、人種差別が人類普遍の人権問題でありながら、今般の黒人差別問題に違和感があるもう一つの要因は、同国にあっては、既に人種間の差別が法的には撤廃されている点にあります(この点、中国政府によるチベット人、ウイグル人、モンゴル人に対する仕打ちはジェノサイドに等しく、国際人道法にも反している…)。況してやテニス界にあっては、ウイルアムズ姉妹が黒人選手として幾度となく全米オープンで優勝を飾っています。女子テニスの場合にはラリーが続くことが多いですので、テニスは、持久力に優れたアフリカ系の選手が比較的有利となるスポーツです。実際に、大阪選手も同大会で優勝しており、不当な差別的な扱いを受けているわけでもないのです。むしろ、現実のアメリカ社会では、イエール大学に対して違憲判決が下されたように、大学の入学、公務員の採用、そして企業の昇進等においては黒人の人々の方が優遇されています。アファーマティヴ・アクションによってむしろ白人側が不利益を被る逆差別が生じている現状にあって黒人差別を訴えても、どこか公平性に欠けているように感じてしまうのです。

 

 また、BLM運動の標的が白人警察官に絞られている点も、違和感が生じる要因です。死亡した黒人の人々の多くは犯罪容疑者ですので、状況としては、警察権力の下で拳銃を手にして取り締まる側と無防備な状況で取り締まりを受ける側との構図となります。物理的な力の強弱を基準とすれば、白人=強者と黒人=弱者との間の不平等な関係となり、そうであるからこそ、権力によって弱者が虐げられているというイメージが強調されがちです。しかしながら、死亡した黒人にはそもそも犯罪容疑がありましたので、警察の取り締まり方法の行き過ぎや乱暴さは理解し得ても、全くの無実を想定することはできませんし、一般の人々が、全面的に共感したり、擁護するには無理があります。しかも、何故か、警官ではない一般の白人が一般の黒人に対して危害を加えたとする事件は殆ど報告がないにも拘わらず(逆に、一般の黒人が暴動を起こし、一般の白人の商店等を襲い、商品を奪い去ったとする報道はある…)、警察批判や組織の改革要求のみがエスカレートしているのです。これでは、人種差別反対ではなく、警察の弱体化、あるいは、治安維持分野における黒人優遇が真の目的ではないかと疑われてもしかたがありません。

 

 加えて疑問に思うのは、仮に、大阪選手が同大会に優勝しなかったならば、どうなっていたのか、という素朴な疑問です。同選手が優勝したからこそ、BLM運動は一先ずは有終の美を飾ったのですが、途中で白人選手に敗退した場合を想定していたのか、疑問を感じざるを得ないのです。スポーツの試合に政治・社会問題を持ち込み、‘人種差別反対’といったメッセージを掲げて試合に臨みますと、観客やファンは、その対戦相手を応援することが難しくなります。観客にとりましても、対戦相手に対する応援は、‘人種差別主義者’への応援と見なされかねないからです。また逆に、‘人種差別反対’を掲げた側が敗れることも当然にあり得るのですから、これは、極めて危険な賭けであったはずです(一回戦で敗退すれば、BLM側が負けたことに?)。こうした点から、選手たちの政治・社会的なアピールが強まりますと、観る側は、スポーツとして純粋にテニスを楽しめなくなるのです。

 

 しかも、極めつけに、BLM運動の背景にはアメリカ社会を分断させ、混乱に陥らせることを目的とした中国の工作活動の存在を指摘する報道もあり、余計に怪しさが増してきます。安易にBLM運動に同調いたしますと、知らず知らずのうちに、アメリカに仕掛けられた社会の分断や国家分裂を狙う活動に協力することにもなりかねず、同運動に対しては、冷静に距離を置いて接するべきようにも思えるのです。

コメント (2)
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