万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘天安門ファイル’が語る日本外交失敗の教訓ーその1

2020年09月20日 15時11分21秒 | 国際政治

今日、ようやく天安門事件後の日本外交の内幕が明らかにされつつあります。時事通信社の開示請求に外務省が応じ、秘密指定が解除された‘天安門事件外交文書ファイル’の9冊が公開されたからです。同ファイルが明らかにしたのは、自国民虐殺という非人道的な行為に対して毅然として批判するよりも、中国との経済関係を優先した当時の日本国政府の残念な対応でした。天安門事件から30年余りを経た今日、同ファイルは、今日の日本国に何を語り掛けるのでしょうか。

 

 天安門事件発生した1989年6月4日、当時の日本国の首相は宇野宗佑氏であり、外務大臣は三塚博氏が務めていました。時事通信社が報じるところによれば、同事件発生の報を受けた直後にあって、外務省は、「人道的見地から容認出来ない」と前置きしながらも、日中間の体制や価値観の相違を理由に中国の国内問題と見なし、「我々の対中国非難にも自ら限界あり」とする文書を作成していたそうです。

 

 初動体制において既に及び腰の姿勢が見受けられるのですが、事件発生から5日後の6月9日には、北京の在中日本大使館は、外相宛ての大至急電にて‘対中批判による逆効果’、並びに、‘中国政府の扇動による排外思想の拡大’に関る懸念を伝えており、同月22日には、民主主義や人権といった日本国の価値よりも‘長期的、大局的見地’を重視し、経済分野における中国の改革・開放政策を支持すべきとする対中政策の基本方針を固めています。そして、西側諸国の一致団結した対中批判による中国の孤立化は、‘得策ではない’として退けているのです。

 

日本国政府の同政策方針は、翌月の7月14日から16日にかけて開催が予定されていたアルシュ・サミットに向けて具体化してゆきます。宇野首相も、同サミットを前にした翌月7月6日には‘日本国と米欧との価値観の違いをアピールする’よう外務事務次官等に指示しております。省内にあっては、日本国政府の人道軽視や経済優先の態度に起因する西側諸国からの‘日本の孤立’が危惧され、7月8日には、実際にアメリカの高官から批判を受けながら、こうした声はかき消されたのです。

 

そして、アルシュ・サミットに関連する「中国問題に対する総理発言案(7月11日付)」において、まずもって驚かされるのは、日本国政府によるアジアの‘歴史認識’です。同案では、‘現在の中国は『弱い中国』である’、‘『弱い中国』は排外的になる’、‘排外的な中国は有害である’、故に、‘中国を孤立させてはならない?’とする三段論法まがいの非論理的な論法で、米欧諸国を説得しようとしたからです。この論法が‘非論理的’である理由は、‘排外的で『弱い中国』’であった方が、平和にとりましては遥かに望ましいからです。排外主義も、それが国内的な運動であれば有害とはなりません。日本政府としては、1919年の五四運動の再来を懸念したのかもしれませんが、同運動は、むしろ、‘帝国主義’とも称された当時のグローバリズムに対する抵抗運動の側面を持ちます(そもそも中国国内に多数の外国人や海外資本が存在しなければ、排外主義も起きようがない…)。

 

幾度となく中国の歴代王朝から周辺諸国が侵略を受けたアジアの歴史からしますと、‘『強い中国』は危険であり、『弱い中国』のままに孤立させておく’が、論理的には正しい結論となるはずです。非人道的な体制を維持したまま、厳しい対中制裁を科すことなく中国の経済成長を先進諸国が救ければ、長期的には『強い中国』が出現するのは自明の理であり、『弱い中国』の状態にあればこそ、天安門事件をきっかけとした対中封鎖政策こそ、平和のためには最善の策であったはずなのです。(次回に続く


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