万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

中国は自ら仕掛けた‘オウム返しの術’に嵌まる?-習主席の国連演説

2020年09月24日 11時35分49秒 | 国際政治

 日本語には、‘お前が言うな’という言葉があります。インターネットスラングとして‘おまいう’という略語もあるほど、日常的にも頻繁に使われている表現です。自分のことは棚に上げて他者を非難する人に対して、‘自分が同じことをしているのに、他人のことを責める立場にあるのか(批判する資格はない!)’という意味であり、恥知らずな人に対する批判の言葉なのですが、今年の国連総会における中国の習近平国家主席の演説は、まさにこの言葉に相応しいものでした。対米批判を装いつつも、その実、演説の凡そ全てが自分自身の過去、並びに、現在の行為に対する批判で埋め尽くされていたのですから。

 

 今年の国連総会は、新型コロナ禍の影響によりテレビ会議の形式で開催されています。同演説に先立ってアメリカのトランプ大統領が、新型コロナウイルスのパンデミック化をめぐって中国を批判し、責任を追及していますが、習主席の演説は、同大統領の批判に対する直接、かつ、全面的な反論というわけではないようです。全世界に諜報網を張り巡らしている中国のことですから、米大統領のビデオの内容は予め中国側が入手していた可能性は高いのですが、習主席の演説は、逐次、トランプ大統領の批判点に一つ一つ応えるのではなく、具体的な国名を伏せたより抽象的な表現である上に、その主張も、将来における国際秩序の構想にまで広がっています。両者の原稿を比べると、習主席の方が高みから理想論を述べ、人類の道徳・倫理に照らして正論を説いているように聞こえます。そして、それ故に、‘お前が言うな’という反発が巻き起こるのです。

 

 それでは、何故、習主席は、国連総会にあって、即座に言行不一致を指摘されそうな演説を行ったのでしょうか。他の加盟諸国を見下し、偉そうにお説教を垂れるかのような態度は、異常なまでのプライドの高さに起因しているのでしょうが(大国中国は、他の諸国とは格が違い、世界のリーダーである?)、もう一つ、理由を挙げるとしますと、中国の伝統的な論争の手法にあるように思えます。それは、‘オウム返しの術’というものです。‘オウム返しの術’とは、論争となる場合に、相手からの批判をそのまま言い返す、というものです。自らが窃盗を働いた時には、相手方を‘泥棒’と決めつけて批判し、自らが嘘を吐いている時には、相手方を‘嘘つき’呼ばわりする、というものです(強者が弱者を虐げることが許される中国などの社会においては、強者は、言い分を通すため、こうした不合理で非道徳的な論法を常用するのかもしれない…)。

 

中国国内では日常茶飯事のことなのでしょうが、中国の風習が国際社会にまで持ち込まれるとしますと、他国にとりましては迷惑この上ありませんし、対中関係に、心底、疲れ切ることとなります。しばしば、加害者が被害を主張するのですから。朝鮮半島の二国も同様なのでしょうが、これらの諸国との間の外交関係が常々拗れ、不信感が増幅されるのも、‘オウム返しの術’が根付いているからなのかもしれません。同術が、中国の常套手段であるとしますと、国連演説を控えた時期に、中国側は、国際社会における自国に対する批判を事前に徹底的に調べ上げ、それをそのまま他国、即ち、名指しはしないものの主としてアメリカに対する批判文として準備したとも考えられます。

 

しかしながら、‘オウム返しの術’は、こうした慣習が存在してきたところでは通用するのでしょうが、理性を重んじる現代社会にあっては、‘お前が言うな’という反発が返ってくるのみです。そして、今般の習主席の演説が‘オウム返しの術’であることに気が付きますと、人類の進むべき道は、中国の実際の‘行動’の逆を行くことであることにも気づかされます。この意味で、中国の‘オウム返しの術’は破られたのであり、それは、今後、言行一致が求められることで、中国が自らの行動を道徳・倫理的に縛ると共に(中国の伝統では、道徳・倫理は他者を縛るもの…)、国際社会が‘危険国家中国’を包囲する方向に作用するのではないかと思うのです。


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