万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

二つの保守―日本系と大日本帝国系?

2020年09月27日 11時14分45秒 | 日本政治

 今般の菅義偉政権の成立は、自民党内における分断を表面化するきっかけとなったように思えます。田中角栄政権が誕生した頃から、国民の目には見えない処で鬩ぎあいが続いてきたのでしょうが、親中派と反中派との間で同じ党とは思えないほどのスタンスの違いが見受けられるのです。

 

 かねてより自民党は、保守政党の看板を掲げながらも、その実態は、共産主義者までもが混在する‘包括政党’とも称されてきました。‘清濁併せ呑む’、あるいは、無節操ともいうべき党内の多様性こそが、実のところ、長期政権を支える強みでもあったのです。しかしながら、親中派政党である公明党との連立が固定化する一方で、党内では二階俊博議員が総務会長や選挙対策局長といった重職を歴任し、2016年から今日至るまで幹事長職に居座り続けるに至ると、同党は、頓に親中色を強めてゆくこととなりました。安倍政権の末期には、習近平国家主席の国賓来日や春節における中国人観光客の大量受け入れなど、政経両面において多くの国民の危機意識が目覚めるような中国配慮の政策が目立つようになるのです。

 

 保守政党が共産主義国家と結託するのですから、これ程酷い矛盾もないのですが、日本国の保守、あるいは、右翼の歴史を紐解きますと、自民党が二つ、あるいは、三つに分断される理由も見えてくるように思えます。サンフランシスコ講和条約が成立し、日本国が主権を回復した後、アメリカは、日本国内での影響力を残す目的もあって、日本国の保守政党を支援したとされています。自民党は、1955年に、自由党と日本民主党との保守合同により誕生しており、当初より親米政党として発足しているのです。このため、今日に至るまで、自民党は、保守政党であると共に親米政党でもあったのです。

 

 それでは、何故、自民党は、今日、紅色に染まりつつあるのでしょうか。その理由は、おそらく、日本国の政治的保守には、二つの異なる系統が流れ込んでいるからなのかもしれません。その一つは、今日の国際社会における国家の枠組みに関する基本原則であり、かつ、国民国家体系を支えている‘一民族一国家’の原則を以って日本国とみなす、伝統派の保守です。伝統派の人々は、古代から連綿と続く日本の歴史や固有の慣習等を護ろうとすると共に、日本人一般の意識や意見、社会通念を尊重しようとします。急激な変化を嫌いますし、外来の文物を受け入れるにしても、その是非を極めて慎重に吟味しようとします。国民本位という意味において、同系統は、民主主義や自由、そして法の支配といった諸価値とも馴染みやすいとも言えましょう(日本国民の大半は、こちらのタイプなのでは…)。

 

 そして、もう一つの保守とは、明治以降に登場してきたものであり、帝国志向の系譜です。この系譜では、日本国の地理的な領域は、江戸時代の版図を越えてゆきます。‘日本人’の範囲も、古来の日本人のみならず、日清戦争以来、日本国が自らの版図に組み込んだ地に住む異民族の人々を含んでいるのです。いわば、大日本帝国こそが‘日本’なのであり、広域的な多民族国家であった時代に、日本国の理想を求めている人々とも言えましょう。同派の人々は、国家体制としては全体主義との親和性が高く(国家社会主義…)、‘五族協和’をモットーとした満州国をモデルとしている節もあります。満州国では、共産主義者も官僚として登用されており、また、敗戦を前にして、関東軍の中には、中国共産党と共に対米戦争を継続すべし、との意見もあったそうです。そして、帝国志向の保守は、広域的な経済活動による利益の最大化を目指して国境を撤廃しようとするグローバリズムとも相性が良いのです。

 

 このように、日本国の保守には二系統が混在しているとしますと、菅政権化にあって、入国規制の緩和やインバウンドの再開方針、そして、輸出志向の農政など、軌道修正することなくグローバリズム路線に邁進し、新自由主義的な政策を並べている理由も分かってきます(給付金の再配布やマイナンバーカードと紐づけされるデジタル化の推進も、国民監視制度、あるいは、‘パンとサーカス’政策とも言えるベーシック・インカム制度を導入するための下準備かもしれない…)。菅首相の父、菅和三郎氏は、戦前にあっては満州の地にあり、ソ連邦の侵攻を受けて命からがら秋田に逃げかえった経験から、‘世界は一つであるべき’としばしば語っていたそうです。悲惨な戦争体験からの言葉なそうですが、‘ワン・ワールド’とも言うべき思想を、同首相は受け継いでいるのかもしれません。少なくとも、新政権が掲げる諸政策を見る限り、伝統派の保守ではないようなのです。

 

 これまで、国民の多くは、保守というものを、一緒くたにしてきた感があります。しかしながら、自民党を観察いたしますと、その始まりにおいて二つの系統が流れ込んでおりますので、アメリカの影響力が後退する、あるいは、新自由主義と手を結んだ中国の力が伸長するにつれて、中国共産党と親和性の高い帝国志向の保守が、党内にあって伝統派の保守、並びに、親米派の保守に対して優勢となったとも考えられます。

 

このように、保守には全く正反対とも言うべき二つの系統が混在しているとしますと、米中関係の激化の最中にあって、国民も、伝統派の保守と大日本帝国派の保守とを区別し、政治家一人一人の真のスタンスを見極める必要があるのではないかと思うのです。

コメント (2)
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