コロナ禍の猛威に晒された諸外国では、重症化、並びに、死亡率が日本国よりも格段に高いこともあって、ワクチン接種を義務化する政府も出現するようになりました。その一方で、接種義務化に対する国民の抵抗も強く、各地で義務化反対の大規模なデモが起きているそうです。それでは、この反対デモ、政府が暴徒として’鎮圧’すべき類のものなのでしょうか。
ワクチンと治療薬との違いは、前者は健康な人に対する予防行為である一方で、後者は、特定の病気の人を対象とした治療行為というところにあります。新たに開発されたワクチンがなかなか保健当局から承認されない理由も、投与対象が健康な人である故に、一つ間違えますと’殺人’になりかねないからとされています(不特定多数を対象としますので、被害も広範に…)。治療薬の場合には、出発点がそもそもマイナス状態にありますので、新薬投与によってマイナス方向に作用するリスクがあっても許容されますが、ワクチンの場合には、初期状態がプラスの範囲にありますので、僅かでもマイナス効果が出ますと’他害’となってしまうのです。ワクチンと治療薬では、対象の相違により、承認までのハードルの高さに違いがあるのです。
今般の新型コロナウイルス感染症のワクチンについては、アメリカの保健当局が緊急使用を認める形で接種が始まり、WHOの後押しもあって、この動きはあれよあれよという間に全世界の諸国に広がることとなりました。比較的’軽症’であった日本国でさえ、政府が接種プロジェクトを推進し、統計上では全人口の80%以上が既に二回接種を終えています。しかしながら、追加接種が始まる一方で、ワクチン接種後の死亡者数は日本国内でも1300人を既に越えており、ワクチンの安全性が確認されているわけではありません。死亡に至らなくとも、心筋炎や心膜炎の発症率の上昇のみならず、様々な深刻なワクチン接種後の症状が報告されており、ワクチン接種による健康被害は無視できない状況にあると言えましょう。
こうしたワクチン接種により人々の命や身体が害されるリスクが認められるケースでは、接種の義務化については慎重であるべきは当然のことのように思われます。そして、ここに、政府が国民を命の危険に晒すのは許されるのか、仮にそれを正当化する要件があるとすればそれは何か、そして、政府によるワクチン義務化に対する抗議や拒絶は正当防衛に当たるのか、といった様々な問題が提起されることとなるのです。
政府の基本的な役割の一つは、国民の生命や身体を護ることにありますので、有害性が認められるワクチン接種の義務化は、本末転倒となりかねません。しかも、これまでの関連情報や報告によりますと、新型コロナウイルスの場合には、ワクチンを接種しても感染もすれば、他者を感染させもします。半年ほどの間は重症化防止の効果は認められるものの、「ブレークスルー感染」もあり得ますので、生涯に亘って定期的に有害性のあるワクチン接種しなければならなくなります。こうしたワクチン効果の限界、並びに、問題点を考慮しますと、政府が、国民の命や健康を危険に晒す、あるいは、犠牲にしてまでワクチン接種を義務化する正当な根拠があるとは思えません。況してや、日本国における感染率は1.37%程度であり、重症化率は感染者を100とすればその1.6%、死亡率は1.0%に過ぎないのです。オミクロン株が弱体化されたものであれば、日本国のみならず、全ての諸国においてワクチン義務化は無意味となりましょう(しかも、治療薬や治療法の改善により、感染者の重症化率も死亡率も低下している…)。
あらゆる角度から見ましても、死亡リスクを有するワクチン接種の政府による義務化が正当化できないとなりますと、それは同時に、ワクチン接種を拒否する行為は、国民による正当防衛権の行使を意味しましょう。そして、正当性や必要性に関する然したる国民的な議論もなく、自由主義国の政府までもが接種の義務化を急いでいる現状は、しばしば自国民をも犠牲に供する全体主義に染まりつつあるようにも見えてきます。何れの政府も、国民の基本的な権利としての正当防衛権を尊重すべきであり(接種拒否も反対デモも認める…)、ワクチン接種の義務化路線は放棄すべきではないかと思うのです。