万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

緊急事態条項のもう一つの問題-’政府の方が悪い’場合

2021年12月20日 13時33分51秒 | 国際政治

 防衛戦争といった国家存亡の危機にあっては、緊急事態の発生を根拠とした有事型の体制への転換が必要とされるケースはないわけではありません。この観点からすれば、憲法に緊急事態条項を設けるべし、とする主張にも合理的な根拠があります。しかしながら、緊急事態条項については、もう一つ、考えてみるべき問題があります。それは、同条項の適用対象は、必ずしも防衛戦争とは限らない、という問題です。

 

 今般、憲法改正に際して緊急事態条項の導入が論点として急浮上してきた背景には、コロナ対策としてのロックダウン等の強制措置がありました。感染症を終息させるためには、行動や移動の自由を含め、個々人の基本的な自由や権利を制限する必要性が主張されたからです。感染症のみならず、大規模な地震や水害といった自然災害、並びに、人災においても私権制限を要するケースも想定され、緊急事態条項は、こうした’準有事’のケースに直面した際にも、政府が事態収拾のために速やかに行動し、組織的に対応する切り札とも目されているのです。

 

 かくして、緊急事態条項は、防衛戦争のみならず、他の国家的危機に対しても拡大適用される可能性が論じられるに至ったのですが、ここで一つ盲点となるのが、’体制の維持’を目的として緊急事態宣言、あるいは、非常事態宣言が発せられる可能性です。歴史を振り返りますと、国内にあって内乱や反乱、あるいは、革命といった事態が発生した場合、体制側となる政府が、これらの宣言を行うことがあるからです。

 

有事型が常態となっている全体主義国家にあっては、日常にあって私権は常に制限されていますので、とりたてて緊急事態や非常事態を宣言する必要はないのでしょうが、特に問題となるのは、民主主義体制の国家です。民主主義国家では、憲法において国民に参政権、並びに、政治的自由が保障されているため、暴力、並びに、選挙等の公の制度外の手段による国家転覆や政権奪取は、本来、想定されはいません。しかしながら、幾つかの場合には、民主主義国家にあっても、国内秩序が乱れる’緊急事態’や’非常事態’が発生する可能性はあります。こうした事態は、およそ二つのケースに分かれます。

 

 第1のケースは、国内にあって、民主的政体を暴力を以って別の体制に転換させようとする集団が現れ、実際に、その計画を実行に移した場合です。このケースでは、政府は、民主的国家体制を維持するために、武装した反体制組織を鎮圧する必要に迫られます。幸いにして、第二次世界大戦後の日本国においては、暴力で国家体制を転換させるような大規模な反乱は起きていませんが(もっとも、オウム真理教による地下鉄サリン事件は、小規模ながらも国権奪取を目的とした反乱としても理解される…)、破防法が制定され、今日にありましても、政府が、暴力革命を是としてきた共産主義勢力や過激派に対する警戒を緩めていないのも、この可能性が否定できないからです(この観点からすれば、今日の日本国政府による中国への接近は自己矛盾でもある…)。民主的選挙という平和的な手段がありながら、暴力を以って国権を奪うことは、政府が力を以ってしても防がなければならない国家、並びに、国民に対する大罪なのです。つまり、このケースは、民主的国家の正当防衛権として理解されましょう。

 

 その一方で、第1のケースとは逆のパターンもあります。それは、民主的体制を維持すべき政府が、自ら同体制を損なおうとしたり、破壊しようとしている場合です。民主的体制の国では、政治的自由が認められていますので、当然に、国民は、政府を自由に批判できますし、デモ行進もできれば、抗議集会を開くこともできます。そして、仮に、政府や議会が民主主義体制を否定する、あるいは、全体主義体制に移行を含意するような法案を制定したり、制度を導入したり、政策を実施するような事態が発生した場合、それは、国民にとりましては自由、並びに、民主主義の危機となりますので、当然に、反対の声や動きが全国に広がることとなりましょう(なお、国民の政府に対する不満に乗じて軍隊が体制の転換を図ろうとする場合、これはクーデタとなり、やはり、民主主義体制は危機を迎える…)。抗議活動も組織化されるとなりますと、危機感を覚えた政府は、緊急事態宣言、あるいは、非常事態宣言を発して国民の私権を制限し、同運動を暴力で弾圧、あるいは、鎮圧しないとも限らないのです。

 

 第2のケースでは、’政府の方が悪い’、つまり、政府自身が国家体制の破壊者ということになりましょう。憲法改正時における緊急事態条項の導入問題を論じるに際しては、国民が民主的国家体制を護ろうとして政府に対して抗議活動を行うケースがあり得ることを、十分に考慮すべきであるように思えます。そして、この問題は、今日の感染症対策を根拠とした緊急事態宣言の問題とも繋がってくるように思えるのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする