万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

’民主主義’を手中にしたい中国‐’抱きつき作戦’の成否は?

2021年12月08日 16時20分26秒 | 国際政治

 自らが最高指導者として君臨する共産党一党独裁体制を確立した習近平国家主席を悩ませているもの、それは、恒大集団のデフォルト問題のみではありません。同国家体制を根底から揺るがしかねない最大の脅威とは、民主主義に他なりません。そこで、この’目の上のたんこぶ’を取り除くために同主席が選んだ方法とは、所謂’抱きつき作戦’のようなのです。

 

 ’抱きつき作戦’とは、内心においては敵と見なすもの、あるいは、脅威と感じるものに対して敢えて友好的な姿勢で積極的にアプローチし、自らの内側に取り込んでしまうというものです。自らの内部に取り込んでしまえば、煮ようが焼こうが勝手であり、もはや自らにとって危険なものではなくなるのです。権謀術数に長けた中国では、しばしばこの作戦が実践されており、笑顔の裏側を知った時には時すでに遅し、というお話も少なくありません(日本の政治家も企業も気を付けて!)。

 

 かくして’抱きつき作戦’は中国の得意技の一つなのですが、今般、中国は、民主主義をターゲットしてこの作戦を遂行中しているようです。果たして、この作戦、中国の思惑通りに成功するのでしょうか。何故ならは、共産主義の下で独裁体制を敷く中国にとりまして、民主主義は異物であり、真逆の価値であるからです。

 

 同作戦における中国の論法とは、(1)民主主義の普遍的価値を認めつつ、民主主義の多様性を主張する⇒(2)民主主義の基準を自己流に定義する⇒(3)同基準に照らして他国の民主的制度を批判する⇒(4)自らの’民主主義’の優位性を主張する、というもののようです。先日も、アメリカが世界110カ国の首脳を招待して「民主主義サミット」を開催するのを前にして、「中国の民主」なるタイトルの白書を発表しています。同白書にあって、アメリカの民主的選挙制度は手厳しく批判されており、富裕層がお金で票を買い、政治家は選挙の時にしか国民の声を聞かない、腐敗した見せかけの民主主義と酷評しています。社会共産主義国にはかねてより’人民民主主義’という概念がありましたが、(習政権では、自国の民主主義を「全過程人民民主」と定めている…)、自由主義国において普通選挙とセットで定着している自由民主主義より優れていると主張したいのでしょう。

 

 しかしながら、それでは、中国が民主主義国家であるのか、と申しますと、誰もが否定的な見解を示すことでしょう。そもそも、中国の主張によれば、人民に奉仕する国=民主的国家と言うことになるのですが、この定義は、善政の定義ではあっても、民主主義を認定する基準とはなりません。古今東西を問わず、世襲君主制にあっても人民に奉仕した君主は散見されます。例えば、啓蒙君主にして「君主は人民の第一の僕」という言葉を残したプロシアのフリードリヒ2世の治世も民主主義の時代に分類されましょう。

 

しかも、中国が策定したとされる民主主義の8条件には(自らが設定した基準に照らして自己採点すれば、中国はゼロ点になってしまうのでは…)、民主的体制の最大の特徴であり、他の体制と区別する基準ともなる、国民の政治的自由や政治参加の権利の保障が抜けております。民主主義とは、国民が言論の自由を基礎とした政治的自由を享受し(国民各自が、自らの政治的見解を自由に表明し得ると共に、オープンに自由闊達な政策議論ができる状態…)、国民が政治に参加する権利が、実際に国民各自がそれらを行使し得る制度として確立されていなくては絵に描いた餅に過ぎないのです。

 

中国のアメリカ批判も、民主主義の制度的欠陥や制度上の盲点を指摘したに過ぎず、今後、アメリカにあって制度的改良が加えられれば、民主主義という価値をより体現する国家へと発展することとなりましょう。その一方で、中国はどうでしょうか。国民の政治的自由と権利の制度的保障に照らしますと、同国が如何に’人民民主主義’を強調しよとも、非民主的国家です。そして、真の意味での民主主義の制度化は、一党独裁体制そのものの自己否定を意味するのです。言い換えますと、中国が真の民主主義に抱きつこうとしますと、逆に、民主主義に中国の独裁体制が飲み込まれてしまい、自己消滅を招くかもしれません。そして、この日が訪れることを、中国国民を含め、多くの人々が願っているのではないでしょうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする