今般のコロナ禍により、憲法改正に際しての論点として緊急事態条項の感染症対策への適用拡大が急浮上することとなりました。同条項があれば、ロックダウンやワクチン接種の義務化といった諸外国が実施してきた強硬措置をより容易に取りやすくなることが期待されたからです。しかしながら、感染症の蔓延防止を目的とする緊急事態条項の活用は、望ましい対応なのでしょうか。
今般のコロナ禍にあって、日本国政府は、憲法において非常事態条項は設けられていないものの、現行の法体制において合法的に非常事態宣言を行っております。マスクの着用やソーシャル・ディスタンスの維持といった行動規範、並びに、移動等の行動規制については義務化はされず、国民に対するお願いの形式を以って対処したのですが、今日、日本国のコロナ禍は、第6波の到来が懸念されつつも収束の兆しを見せております(オミクロン株が弱毒化株であれば怖れるに足りない…)。少なくとも日本国においては、憲法に緊急事態条項を欠く現状にあっても事足りたことを意味しております。現状から判断すれば、緊急事態条項を感染症対策に拡大する必要性は極めて低いのですが、その他にも、同条項の感染症への拡大には幾つかの問題点があるように思えます。
第1に、非常事態条項が発動されますと、首相や大統領といった政治的トップに権力が集中することとなります。しかしながら、政治家が、感染症の最も有効な対策を考案できるわけではありません。その道の専門家ではないからです(この側面は、防衛戦争においても集権型にシフトするリスクを示している…)。
第2に、未知の感染症の場合、そのウイルス等の病原体の有毒性や感染力等の特性については、それらが完全に解明されるまでには相当の時間を有します。あらゆる情報を入手し得る立場にあったとして、有効な対策を立案するための基礎となる情報やデータは直ぐに揃えることはできず、決定に誤りが生じる可能性は否定できません。菅前首相は、ワクチン接種の推進をはじめ、自らの決断を自画自賛しておりますが、日本国における感染率や重症化率の低さを考慮しますと、適切な判断であったのか疑問が残るところです。
そして第2に関連して第3に問題となるのは、緊急事態を根拠として推進されるワクチンや治療薬についても未知の部分が多い点です。今般の遺伝子ワクチンも、当初にあって高い感染や重症化予防の効果が宣伝されていましたが、今では、長期的効果は疑問視されており、追加接種が必要とされています。また、接種後の健康被害も多数報告されており、日本国内でも、死亡者数が1300を越えています。中短期的な血栓の形成や心筋炎等の発症のみならず、将来的な健康被害についてもリスクが指摘されていますので、仮に、ワクチンに致命的な欠陥がある場合には、政府の即断は、自国民に対して取り返しのつかない被害を与えることとなりましょう。義務化ともなれば、国民は、危険なワクチンを強制接種させられる事態に直面しますので、これは、国民から自らの生命・身体に対する自由や権利を奪う、著しい人権侵害となりましょう。
そして、第4として指摘される点は、感染症の蔓延防止を理由とした全体主義への移行リスクです。緊急事態宣言や非常事態宣言の発令は、程度の差こそあれ、国家体制の有事型への転換を意味しますが、これは、平時にあっても同体制が常態化してしまう危険性を伴います。仮に、感染症にまで適用対象を拡大するとしますと、全体主義への体制転換の機会、あるいは、口実が増えますので、国民にとりましては必ずしも歓迎すべきことではなくなります。今般も、ワクチンパスポートの導入にあってデジタル全体主義への移行が懸念されており(日本国内でも、既にワクチン接種アプリの運用が始まっている…)、このリスクは絵空事ではありません。ロックダウンも、戒厳令に近い意味合いを持ちかねないのです。
以上に、緊急事態条項の発動を感染症に対しても認める場合に予測される主要な問題点を指摘してきましたが、感染症の蔓延防止には、国民の基本的な自由や権利を擁護しつつ、それにより相応しく、かつ、医科学的にも効果的な方法があるはずです。緊急事態条項の発令によって事態が悪化する可能性を考慮すれば、感染症対策ついては別の道を探るべきではないかと思うのです。