関東大震災から100年を経た今日、10万人にも及ぶ人々が犠牲となった大震災の記憶や教訓を後世に伝えるためのイベントや企画が催されています。その中の一つに、福田村事件の映画化があります。福田村事件とは様々な要因が絡んでいるため、いささか複雑なのですが、端的に述べれば、フェイクニュース、あるいは、誇張された情報に反応した村民の過剰防衛行動が、罪もない人々の命を奪ってしまったというものです。
より詳しく述べますと、事件の現場は千葉県の福田村であり、同村自警団によって虐殺の被害を受けたのは香川県の被差別部落出身の薬売りの行商人一行15人の内の9人です。結果だけを見れば、日本人による日本人の虐殺となるのですが、殺害された理由は、福田村の村人達が、讃岐弁の訛りから同薬売りの人々を朝鮮人と間違えたことに依ります。この背景には、1910年の日韓併合があります。同併合により、大震災発生当時、多数の朝鮮半島の人々が日本国内に居住するようになり、これらの人々が、震災の混乱に乗じて暴徒と化したり、井戸に毒を入れたり、放火したり、日本人に危害を加えているとする‘情報’が広く拡散されたからです。
これらの‘情報’は、当時の新聞が‘不逞鮮人’の蛮行として報じ、警察の指導の下で福田村を含めて各地で自警団も結成されたため、大多数の国民も信じるところとなりました。このため、同映画は、メディア等では、‘デマ’によって引き起こされた大衆心理による悲劇的な虐殺事件として紹介されています。パニック的な状況下では、‘誰もが虐殺者になり得る’として・・・。東日本大震災に際しても、外国人による略奪など、フェイクニュースが流布されましたので、福田村事件の映画化は、今後、首都直下型地震や南海トラフ地震が発生した際に、過去の過ちを繰り返さないための歴史的な教訓としての意義が強調さているのです。
もっとも、工藤美代子氏の『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版、東京、2009年)によれば、震災時における朝鮮半島出身者の人々の振る舞いは、全く事実無根のデマとも言えないようです。また、映画では、三・一運動は平和的な朝鮮独立運動とされていますが、翌1924年1月には、皇居前で皇太子暗殺を狙った秘密結社「義烈団」による二重橋事件も起きていますので、当時の日本国政府が朝鮮系組織によるテロを警戒したいたことも事実なのでしょう。古今東西を問わず、異文化間には摩擦が生じるのが常ですし、イザベラ・バード『朝鮮紀行』などを読みますと、衛生観念一つをとりましても日本国との違いは際立っています。
映画化に際して敢えて描かなかったこうした諸点からしますと、映画「福田村事件」は、近年、‘慰安婦問題’や‘徴用工問題’に次いで韓国側が新たな対日カードとして持ち出してきた‘関東大震災朝鮮人虐殺問題’とリンケージしており、いささか韓国寄りの政治色を帯びた作品なのかもしれません。福田村事件の被害者は朝鮮半島出身者と間違われた被差別部落出身の日本人でしたが、日本人ではなく実際に朝鮮半島出身であれば、同じように虐殺されたことを意味するからです。日本国の内外における差別問題を同時に糾弾するには、両者がクロスする福田村事件は、政治・社会的にも最も適した題材であったのでしょう。政治的意図が込められている場合には、補償要求や復讐の根拠ともなりかねませんので、同映画は、一般の日本人からしますと身構えてしまう性格を帯びているのです。
以上に述べてきましたように、同映画の真の目的は、人類共通の普遍的なテーマである‘デマと虐殺’なのか、日韓関係固有の日本国に対する朝鮮半島由来の政治的圧力なのか、判然とはしないのですが、何れにしても、虐殺事件には様々な因果関係のパターンがあるのですから、福田事件の別パターンや逆パターンについても問題を提起しなければ、一面的でアンフェアなように思えます。例えば、デマによる虐殺の別パターンとしては、情報が事実であるにも拘わらず、虐殺等が放置されてしまったケースもありますし、加害者と被害者が入れ替わるケースもあります。その典型例は、終戦直後において実際に満州や朝鮮半島並びに日本国内で起きた、韓国・朝鮮系の人々による日本人に対する虐殺、暴行、略奪行為となりましょう。悲劇的な事件を歴史の教訓として後世に伝えようとするならば、逆パターンとセットとしなければ、普遍的な意義を持ち得ないのではないかと思うのです。