万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

NPT体制の不条理ー核廃絶は不可能では?

2022年12月06日 12時32分55秒 | 国際政治
考えてもみますと、「非核兵器国」にとりましてNPT体制ほど不条理なものはないかもしれません。何故ならば、大航海時代来、軍事大国が競うように勢力圏を広げる傍ら、金融財閥を中心とした世界権力によるコントロールが浸透した結果こそ、今日の国際社会におけるNPT体制であるからです。核兵器を生み出したのはこれらの勢力であるにも拘わらず、その危険性を理由に中小国が核を保有することを‘国際犯罪化’し、自らはそれを寡占してしまったのです。

これは、いわゆる自ら仕掛けて自らを利する‘マッチポンプ’であり、大多数の中小諸国は、核の抑止力を得ることも、核兵器国に対して正当防衛権を発動することも、事実上、封じられてしまいました。しかも、核技術は、原子力発電にも利用されますので、NPTは、「非核兵器国」のエネルギー供給手段をもコントロールしているのです。かくして「核兵器国」の横暴に対して「非核兵器国」はなすすべもなく、「核兵器国」との間で戦争ともなれば、その結果は決まっています。

法の主要な役割の一つが、属性の相違にも拘わらず等しく権利を保障すること、即ち、弱者の保護であるならば、NPTは、法としての存在意義に重大な疑義があるのです。‘力に勝る国が劣る国を支配しても良い’となりますと、この発想は、野蛮な時代への回帰であり、他者の自由や自己決定の権利を認めない奴隷制を認めたにも等しくなります。アーサー・デスモンドの唱えた反道徳主義とも言える「力は正義なり」にも通じましょう。

 ところが、大多数の「非核兵器国」は、NPT体制の不条理に気がついていません。不平等条約であることを認識していても、「非核兵器国」の多くは、核廃絶の美名をもって自らのNPT遵守の姿勢を堅持することで平和に貢献していると信じ込んできたのです。唯一の被爆国である日本国はとりわけこの傾向が著しく、核武装やNPT体制の見直しを言い出そうものなら、核兵器廃絶の方針に反するとして激しいバッシングを受けかねません。しかしながら、NPT体制の構造的な欠陥からしますと、「非核保有国」=平和国家という自己陶酔的な評価は疑わしくなります。

果たして、全ての国家の安全を保障しない国際制度を、今後とも維持すべきなのでしょうか。NPTは一般国際法としての要件を欠いており、かつ、意図的に杜撰な制度設計で済ませたことで、戦争利権と深く関わる故に「核兵器国」並びにその背後にあって隠然たる影響力を及ぼす世界権力が、全世界をコントロールし得る体制を構築しています。言い換えますと、NPT体制を抜本的に見直さない限り、人類は、繰り返されてきた戦争の歴史に終止符を打つことができず、近い将来、第三次世界大戦並びに核戦争を再び経験することとなりかねないのです。そして、NPT改革において最大の抵抗勢力となるのは、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮と言った不法並びに違法に核兵器を保有する諸国を含めた「核兵器国」となることは疑い得ません。

手強い‘抵抗’が予測されるものの、NPT改革は、現下のウクライナ紛争や懸念される台湾有事のみならず、そして日本国を含む各国の防衛政策にも関連しますので、緊急の課題です。そして、この問題に取りかかるに際して原点に返って考えるべきは、核兵器を保有する国が一国でも出現した場合、最早、核廃絶は不可能なのではないのか、という根本的な問いかけです。何故ならば、核保有国に核兵器を強制的に放棄させようとすれば、それを上回る物理的な強制力を有するからです。歴史を振り返りましても、マンハッタン計画にもって他国に先駆けて核兵器の開発に成功したアメリカは、それが人類滅亡を招きかねないほど危険であることに気付いても、自ら核兵器を捨てようとはつゆとも思わなかったことでしょう。戦争の勝敗を決定づける威力があったからこそ、そして、それが自国への攻撃を思いとどまらせる絶対的な抑止力となり得ることを熟知していたからこそ、これを使用したのであり、ソ連邦も他の核保有国も、非合法的手段を用いてまでこれを手に入れようとしたのです。

どの国も、同時、唯一の核保有国であるアメリカに対して力をもって核を放棄させることは不可能であることを十分すぎるぐらいに理解していたはずです。仮に、これを試みたとしても、核による報復を受けて無残な結果に終わったことでしょう。そして、核保有国が増加した後は、核保有国でさえ、他国に核兵器を放棄させようとすれば、自滅ともなりかねない核戦争を覚悟しなければならなくなったのです。核兵器を上回る破壊力を有する兵器が存在しない以上、あるいは、核兵器を確実に無力化する技術が確立していない状況下では(もっとも、これが実現すれば、通常兵器による戦争となり、また、結局は‘いたちごっこ’となる可能性も・・・)、一国でも核保有国が存在する場合、最早手遅れなのです(核禁止条約も、夢のまた夢では・・・)。

この側面に注目しますと、たとえ、NPT体制を抜本的に改革し、国家の統治機構レベルと同様に執行機能を整備し、中立・公平な執行機関を設けたとしても、核を放棄させることが極めて困難であることが分かります。NPTの執行機関は、国家の警察機関のように違反国を取り締まるだけの物理的強制力、即ち、核兵器を上回る武力を持ち得ないからです。となりますと、核戦争を回避するためには、立法、執行、司法機能の何れにあっても、国家の統治機構とは、根本的に異なる制度設計が必要と言うことになりましょう(つづく)。

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