万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

為替介入リスクとしての‘ソロスの罠’

2024年05月02日 12時02分24秒 | 日本政治
 ‘ソロスの罠’と申しますと、ギリシャ神話の中に登場する寓話のようにも聞えるのですが、この言葉は現代という時代に起きた出来事を表しています(因みに造語です・・・)。どのような出来事であるのかと申しますと、政府による為替介入には、民間投資家が仕掛けた罠にかかるリスクがあるというものです。

 今を遡ること凡そ30年前の1992年9月、イギリスは、ポンドは為替相場の急激な下落による深刻な通貨危機に見舞われます。その原因となったのが、イングランド銀行による外国為替市場における市場介入でした。もっとも、この市場介入は、当時、ポンドもユーロの準備段階として設けられていた欧州諸国通貨間の為替安定システムであるEMSに加わっていたため、義務的なものでした。この政府の介入義務を逆手にとって通貨危機を仕掛けたのが、かのジョージ・ソロス氏であったのです。

 ソロス氏の作戦とは、最初にポンドを市場で大量に売却し、イングランド銀行に介入義務が生じるレベルまで相場をポンド安に導きます。同下落に対応するために、イングランド銀行は、保有する外貨準備を投入してポンドの価値を買い支えることとなります。しかしながら、外貨準備は無限ではありません。外貨準備が底を突いた途端、ポンドの価値は急落してしまうのです(同通貨危機で、ソロス氏は莫大な利益を得ている・・・)。

 ‘イングランド銀行を潰した男’という異名をとることともなったのですが、かくして、‘ソロスの罠’とは、政府に市場介入を行なわせるために仕掛ける通貨安誘導作戦と言うことになります。言い換えますと、‘ソロスの罠’は、通貨安に際しての中央銀行の市場介入には警戒すべし、という歴史の教訓なのです。

 今日、日本国でも、一向に止まらない円安により、政府に対策を求める声も上がっています。為替政策における対策の主要なる手段は、政府・日銀による為替介入と見なされがちですので、世論も市場介入を求めている観もあります。しかしながら、‘ソロスの罠’の教訓に照らしますと、政府による円安是正を目的とした市場介入も、手放しには歓迎できないこととなりましょう。

 実際に、4月29日には、午前10時半頃に160円台まで下落した円相場が、午後には二度に亘って5円ほど上昇を見せたため、日銀による「覆面介入」が噂されています。規模で言えば5兆円ほどなそうですが、今後とも、保有国債等を売却すれば200兆円ほどの介入資金は準備できるそうです。もっとも、報道記事に依れば、米国債を売却すれば米国の長期金利が上昇するため、さらなる日米金利差による円安を招きかねないとして、介入資金200兆円説には疑問を投げかけています。

 昨今の円安の背景には日米間の金利差があり、円を売ってドルを買い、金利の高い米国内に投資・運用するという動きが民間金融機関や一般国民にも広がっています。この点に注目しますと、円安には原因があるのですが、4月29日の値動きを見ますと、海外投資家(投機家)の動きが相場を主導しているようにも見えます。何故ならば、午前における160円台への下落は、4月26日に開催された金融政策決定会合での現状維持の決定に応じて生じているからです。つまり、金曜日の決定が週明け月曜日29日の午前中に円安反応を引き起こしているのです。

 それでは、29日午前における急激な円安は、一体、何を意味するのでしょうか。金融政策決定会合では、長期国債の買い入れ規模の縮小や利上げが見送られており、これらの決定が円安要因であることは確かなことです。このため、もちろん、今後のさらなる円安を見越して内外の金融機関が円売りに走ったとする見方もありましょう。しかしながら、同会合での決定は基本的には‘現状維持’ですし、二度の乱高下も即時的な反応ですので、政府・日銀の介入を誘発するための海外投資家が戦略的な円売りを行なった可能性も捨てきれないのです(介入により円相場が上昇した時点で円安時に手に入れた円を売れば収益が出る・・・)。

 その一方で、市場介入によって日本国政府は、過去の円高時に安値で購入したドルやドル建て債券の売却により巨額の利ざやを得ており、日本国政府が最大の利得者との指摘もあります。また、外国為替特別会計に計上される同利益は、国民に還元されるべきとする意見も見受けられ、増税圧力を軽減させる効果も期待できるかも知れません。必ずしもマイナス面ばかりではないものの、介入効果は短期的ですし、外貨準備の減少は、長期的には貿易赤字国に転じた日本国をさらに衰退させる要因ともなりましょう(円安による外貨獲得効果も相殺となり、将来的には介入余力も失う・・・)。そして、日本国の政府・日銀による市場介入が海外投資家によって仕組まれたものであるならば、最大の利得者は、これらの人々であるのかも知れません(あるいは、人ではなく相場の流れを読んでAIが判断している?)。‘ソロスの罠’のリスクがある限り、政府・日銀による市場介入には慎重さを要するように思うのです。

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