万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

民主的選挙における三頭作戦の問題

2024年06月05日 10時42分50秒 | 統治制度論
 次期大統領選挙のただ中にあるアメリカでは、目下、異変が起きています。二大政党制を背景として共和党と民主党の候補者が対峙する伝統的な対立構図が崩れ、第三候補への支持率が伸びるという現象です。共和党のトランプ前大統領と民主党の現職バイデン大統領との一騎打ちとなるとされた事前予測が覆され、無所属で出馬したロバート・ケネディJr氏の勢いが増していると報じられているのです。

 バイデン大統領には、ウクライナや中国にて家族ぐるみで利権を漁ったとする重大な疑惑があり、片やトランプ前大統領も、抽選で選ばれた一般市民で構成されるニューヨーク州地裁の陪審とはいえ、5月30日に有罪評決を受けています。二者択一を迫られても、何れも選択できないとする有権者は少なくなく、ロバート・ケネディJr候補の支持率上昇は、いわば、膨大な数に上りつつある‘浮動票’の受け皿となっているとも言えましょう。

 しかも、ロバート・ケネディJr候補は、謀略(陰謀)の存在を認めております。CIAの名を挙げての陰謀実在の主張は、‘ディープ・ステート’という表現でそれを抽象的に批判するトランプ大統領よりも、むしろ具体性を帯びてさえいます。同主張の背景には、伯父のジョン・F,・ケネディー大統領や自身の父親であるロバート・ケネディー司法長官が凶弾に斃れつつも、真相が有耶無耶にされたという苦い実体験があるからなのでしょう。ケネディー家がアメリカの暗部を浮かび上がらせる存在であったからこそ、その一員による発言には信憑性も説得力もあるのです。

 かくして、ロバート・ケネディJr候補は、民主・共和両党の候補者に対する批判票を集めることで次期大統領選挙の台風の目となりそうなのですが、同候補の出現によって、アメリカ市民は、有権者に二者択一を迫る二頭作戦から晴れて抜け出すことができるのでしょうか。仮に、ロバート・ケネディJr氏に世界権力の息が全くかかかっていないとすれば、あるいは、同氏は、アメリカを救う現代のヒーローとなるのかも知れません。しかしながら、二頭ならぬ、三頭作戦である可能性もないわけではありません。否、二頭であれ、三頭であれ、数は関係なく(八岐大蛇やメデューサ・・・)、民主的な選挙が、外部、あるいは、上部の勢力に仕切られてしまうリスクへの懸念は払拭できないのです。

 不安材料としてあげられるのは、三人の候補者のイスラエルに対する基本姿勢です。実のところ、三人の候補者全員が、イスラエル支持を表明しているからです。対イスラエル政策については、ロバート・ケネディJr候補も他の二人の候補者と変わりはありません。少なくとも3月の時点では、同候補はイスラエル支持を表明すると共に、休戦に対してもその必要性に疑問を投げかけているのです。しかも、ロイター通信社の記者とのインタヴューでは、イスラエルを「道徳的な国家」とまで述べています。

 三候補者揃ってのイスラエル支持は、アメリカの市民には、大統領選挙にあって反イスラエル(イスラエルによる国際法違反行為への批判や支援の停止・・・)あるいはパレスチナ支持(パレスチナ国の国家承認・・・)という選択肢が存在しないことを意味します。イスラエルによる蛮行に心を痛め、反対するアメリカ人は、抗議活動に参加した大学生のみではないはずです。それにも拘わらず、これらの声は、何れの候補者が当選したとしても、政治の舞台には届かないのです。アメリカ大統領の職権において対外政策は中心的な政策領域ですので、大統領選挙の結果には関係なく、アメリカの親イスラエル政策は既に決まっています。逆から見ますと、イスラエルを支持しなければ、アメリカでは大統領候補にはなれない、とも言えましょう。

 マネー・パワーをもって全世界を仕切ろうとしている世界権力の中枢がユダヤ系である点を考慮しますと、イスラエルを支持するロバート・ケネディJr候補もまた、既に世界権力の配下にある、あるいは、選挙資金等の提供などを介して同勢力からの要請に抗えない立場にある可能性も否定はできなくなります。イスラエル支持が世界権力への‘臣従’と凡そ同義ともなりますと、対外政策のみならず、他の領域にあっても世界権力の意向や利益に資する政策を実現させようとするかも知れません。となりますと、民主的選挙制度は、国民に対して‘自らが選んだ’という幻想を与え、世界権力による‘支配’を納得させるための茶番劇に過ぎなくなりましょう。

 そして、この問題は、世界権力の支配網が全世界に張り巡らされている可能性を踏まえますと、アメリカに限られたものでもなくなります。東京都知事選も例外ではなく、何れの国あるいは首都であれ、民主的選挙を取り巻く現状は、現代という時代が、民主的制度が巧妙に悪用され、形骸化されていることを知らせる警鐘のように思えるのです。

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