日朝首脳会談の可能性が取り沙汰されるにつれ、暫くの間忘れられていた日朝平壌宣言も、再度注目を集めるようになりました。と同時に、その成立過程や内容についても疑問が呈されるに至っております。
先日も、同宣言をめぐる日朝交渉を記録したはずの公文書が見当たらない、とする記事が産経新聞上に掲載されておりましたが、同宣言には、「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大な損害と苦痛を与えたという歴史の事実」という事実に反する記述もあります。1910年から1945年までの35年間に亘る日本国による朝鮮統治は、併合条約に基づくものであり、一般のアジア諸国の植民地化とは異なっています。この件に関しては、先に挙げた産経新聞記事でも触れられており、特に、日本国からの莫大な投資の下で北朝鮮地域は大工業地帯として発展しており、こうした事例は他のアジア諸国の植民地には見られないそうです。
そして、‘植民地支配’とは何か、という問題について考える時、その一つの特徴として挙げられるのが、鉱物資源やインフラ敷設権などの経済的な権益の確保です。西欧列強、あるいは、東インド会社等は、アジア・アフリカの国や地域を直轄領として植民地化するに先立ち、現地における様々な利権を手にしています。植民地化とは、宗主国による統治権の掌握のみならず、経済的な利権の独占をも意味したのです。それでは、朝鮮半島はどうであったのか、と申しますと、日本国による韓国併合以前にあって、李氏朝鮮は、様々な権益を既に西欧列強に売り渡していました。
このため、日本国が国際社会において韓国を併合する方針を公にした際に諸外国から寄せられた最大の懸念は、併合に伴う日本国による朝鮮半島における権益の独占でした。そこで日本側は、これらの懸念を払拭するために、韓国併合以降も朝鮮半島における諸外国の権益を保障する旨を国際社会に対して約したのです。この事実は、仮に朝鮮半島の植民地化が進行していたとすれば、それは李氏朝鮮時代に始まるのであり、折からの財政難から権益を次々に海外諸国に売却した李氏朝鮮政府に第一義的な責任があったことになります(併合後、日本国が諸外国から買い戻した権益もあったらしい…)。また、日本国政府は、併合後、朝鮮半島から資源を搾取することなく現地においてインフラ整備を含む先進的な工業地帯を建設し、産業の近代化と発展に努めているのです。
こうした歴史的経緯を踏まえますと、平壌宣言に明記されているように、日本国が‘植民地支配’によって一方的に損害と苦痛を与えたとする一文は、北朝鮮側の主観的な‘歴史認識’ではあっても客観的な‘事実’とは言えないように思えます。しかも、戦前にあっては李氏朝鮮時代よりも国民の生活レベルが上昇し、戦後にあっては北朝鮮の建国を境に最貧国のレベルまで経済が縮小したのですから(その一因は、ソ連邦による工業設備の持ち去り…)、日本国による統治時代が、朝鮮半島の人々に損害を与えたはずもありません。況してや両国は、相互に甚大な人的・物的被害をもたらす戦争さえしていないのです。
平壌宣言にかくも重大な事実誤認がある以上、日本国政府は、既に空文化している平壌宣言に拘る必要はなく、歴史的な事実に基づく新たなる対北戦後処理の基本方針を策定すべきではないかと思うのです。
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先日も、同宣言をめぐる日朝交渉を記録したはずの公文書が見当たらない、とする記事が産経新聞上に掲載されておりましたが、同宣言には、「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大な損害と苦痛を与えたという歴史の事実」という事実に反する記述もあります。1910年から1945年までの35年間に亘る日本国による朝鮮統治は、併合条約に基づくものであり、一般のアジア諸国の植民地化とは異なっています。この件に関しては、先に挙げた産経新聞記事でも触れられており、特に、日本国からの莫大な投資の下で北朝鮮地域は大工業地帯として発展しており、こうした事例は他のアジア諸国の植民地には見られないそうです。
そして、‘植民地支配’とは何か、という問題について考える時、その一つの特徴として挙げられるのが、鉱物資源やインフラ敷設権などの経済的な権益の確保です。西欧列強、あるいは、東インド会社等は、アジア・アフリカの国や地域を直轄領として植民地化するに先立ち、現地における様々な利権を手にしています。植民地化とは、宗主国による統治権の掌握のみならず、経済的な利権の独占をも意味したのです。それでは、朝鮮半島はどうであったのか、と申しますと、日本国による韓国併合以前にあって、李氏朝鮮は、様々な権益を既に西欧列強に売り渡していました。
このため、日本国が国際社会において韓国を併合する方針を公にした際に諸外国から寄せられた最大の懸念は、併合に伴う日本国による朝鮮半島における権益の独占でした。そこで日本側は、これらの懸念を払拭するために、韓国併合以降も朝鮮半島における諸外国の権益を保障する旨を国際社会に対して約したのです。この事実は、仮に朝鮮半島の植民地化が進行していたとすれば、それは李氏朝鮮時代に始まるのであり、折からの財政難から権益を次々に海外諸国に売却した李氏朝鮮政府に第一義的な責任があったことになります(併合後、日本国が諸外国から買い戻した権益もあったらしい…)。また、日本国政府は、併合後、朝鮮半島から資源を搾取することなく現地においてインフラ整備を含む先進的な工業地帯を建設し、産業の近代化と発展に努めているのです。
こうした歴史的経緯を踏まえますと、平壌宣言に明記されているように、日本国が‘植民地支配’によって一方的に損害と苦痛を与えたとする一文は、北朝鮮側の主観的な‘歴史認識’ではあっても客観的な‘事実’とは言えないように思えます。しかも、戦前にあっては李氏朝鮮時代よりも国民の生活レベルが上昇し、戦後にあっては北朝鮮の建国を境に最貧国のレベルまで経済が縮小したのですから(その一因は、ソ連邦による工業設備の持ち去り…)、日本国による統治時代が、朝鮮半島の人々に損害を与えたはずもありません。況してや両国は、相互に甚大な人的・物的被害をもたらす戦争さえしていないのです。
平壌宣言にかくも重大な事実誤認がある以上、日本国政府は、既に空文化している平壌宣言に拘る必要はなく、歴史的な事実に基づく新たなる対北戦後処理の基本方針を策定すべきではないかと思うのです。
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議論を整理いたしますと、(1)善悪の区別はある、という点では、宗純さまも、私も、意見は一致しているようですが、(2)善悪の区別に普遍的な’基準’があるのか、という点については、宗純さまは’ない’とお考えのようです。私は、善悪の判断基準は’ある’と考えておりますし、私以外の多くの日本人も同様の意見かと思います。最も本質的な部分においてその行為が’利己的他害性’を含むかによって、善悪は、凡そ、区別できるのです。例えば、本記事の主題でもあります歴史的な事実について考えますに、朝鮮半島の両国が事実に反する’偽りの歴史’を主張しております。この主張によって、日本国は、名誉を傷つけられ、償いまでしなければならないとなりますと、明らかに、南北両国の主張は利己的他害性を含みますので、’悪’となります。法律も裁判も、こうした判断基準あってこそ成り立つのですから、基準をないとする宗純さまのお考えは、間違っているのではないかと思います。原点に帰って善悪の区別の基準について考えてくだされば、幸いでございます。
善悪とは、『普遍的ではない』との、大人なら、誰でも知っている客観的な事実を、何故否定するのでしょうか。
幸福な幼稚園児でもあるまし
なんとも不思議な話だ。
善悪の区別を付けない人など、世の中に存在しませんよ。
それは、あなたの脳内だけに存在するかも知れないが、世の中には存在しない。
何度も言いますが、
善悪の基準が個人個人とか、個人の集団で、それぞれ別々だから。現実世界では色々な騒動が起きているのですよ。
如何も、誰にとっても100%正しい基準があると信じていて、少しも疑っていいないようだが、
それは何かの宗教的信念ですね。
科学とは何の関係も無いようなので、話はこれで打ち切りますが、
我が日本国や日本人に対しては多くの国の人は勤勉で正直、内気だとのイメージを持っているいが、
困ったことに韓国だけは180度、逆になっている。
この事実から分かるように、善悪の基準が、国によって違ってるのです。
善悪が『普遍的ではない』との、普通の現実が否定するようでは、駄目で、誰のためにもならない
それは安易な観念論で
厳しい現実世界では生き残れないでしょう。
いえいえ、善悪の区別をしない人こそ、狂信者であり、こうした宗教こそ邪教なのではないでしょうか。世の中には正邪の区別があることこそ、’昔の日本人は例外なく知って’おりました。日本人は善悪の区別には敏感であったからこそ、昔話でも、利己的理由から他者を侵害する悪者を懲らしめる勧善懲悪のストーリーが多いのではないでしょうか。
なお、宗教の教義が全て善なわけではなく、成立過程における時代背景等から、善とはあまり関係のない様々な要素が入り混じっています。今日必要とされるのは、純粋に悪の本質を見極めることであり、これこそ、’利己的他害性’ではないかと考えるのです。
もちろん宗教とか哲学は自分では普遍性を主張しているのですが、
少しも普遍的でないから混乱するのです。
パキスタンとかイラン、サウジアラビアなどイスラム国では不倫とか同性愛は死刑ですよ。もっとも悪いとされているのは棄教で、もちろん問答無用で死刑なのです。
何故アフガニスタンがボロボロになったかの理由ですが、2001年にアメリカ軍に侵攻され首都カブールを放棄したが、
タリバンは今の日本の右翼と同じように『自分たちが正しい』として、勝つまで戦争を止めないのすね。
それで延々と今でも戦争が続いている。
国土は極度に荒廃するが、・・・
確かにこの方法なら、タリバンが勝ちそうだが、国が完璧に破壊されてしまう。
戦争とは選挙とか競技スポーツと同じルール。勝った方が正しいとの原則で出来あがっている。
余りかが正しいのではなくて、それは『アメリカが勝った』との客観的事実を示しているだけなのです。
この程度は昔の日本人は例外なく、全員が知っていたのですよ。
今では平和ボケの極みで、恐ろしい現実が見えてないのでしょう。
あるいは何かの破壊的カルト宗教なのか。
『善悪の区別とは、至って簡単』などと考えるのは、普通はカルト宗教の狂信者だけですよ。
それ程簡単でないから、哲学が生まれたり、世界で色々な騒動が起きるのです。
善悪の区別とは、至って簡単であり、’利己的他害性’こそ、悪の本質として定義できます。これを基準にして判断いたしますと、大抵の物事は、善悪の区別を付けることが出来ます。実際に、戦争には勝利したとはいえ、欧州諸国の植民地支配も、’悪’と判断されたからこそ、消滅したのではないでしょうか。宗純さまの考え方はサイコパス等の極少数の人々のものであり、道徳や倫理を無視してしまう自らの悪魔的な考え方こそ、疑ってみるべきではないでしょうか(勝ちさえすれば、悪魔も善なのでしょうか?)。
日本ですが、別に台湾と朝鮮とを差別していない。
まったく同じことをしているのですよ。
ところが、結果が180度違っていた。
私を含め、その他一般の人々は、皆、善悪を判断しております。・・・・・国際社会もまた、何としても善を実現しようともがいている・・
だから、何度も言いますが、
善悪を論じるから大混乱するのですよ。正誤だけを論じるべきなのです。
過酷な植民地支配と言えばイギリスによるインド支配が有名だが、英国は第二次世界大戦に勝ったので→善なのです。
良いアメリカと悪い日本とは、単に日本が負けたという意味ですよ。
いくら『日本は悪くない』と言っても覆らないのです。なぜなら、それは『日本が負けた』と同じ意味だからなのです。
今の悪い日本を『正しい日本』に変換する方法とは、もう一度アメリカと戦って勝つか、五分五分程度の引き分けに持ち込む以外の方法が無い。何とも恐ろしい事実に気が付く必要があるでしょう。
日本人として、悔しいのは分かるが、なんとも、仕方がないのです。
’客観的な事実’とは、日本国は、朝鮮半島に対しては、多額の経済支援をその償いとして約束するほどの、損害を与えたわけではなく、むしろ、支援者側であったということなのではないでしょうか。つまり、宋純さまと私とでは、事実そのものに関する争いがあるのです。そして、裁判における事実認定が極めて重要なように、’客観的事実’は、善悪の判断材料となりますので、前者を以って善悪の判断を否定する根拠とはなりません。なお、ひとつ分かりましたことは、宋純さまこそ、善悪の判断をしていないことです。しかしながら、私を含め、その他一般の人々は、皆、善悪を判断しております。ですから、宋純さまの主張に納得する人は少ないことでしょうし、国際社会もまた、何としても善を実現しようともがいているのではないでしょうか。
今回ですが、同化政策を’諸悪の根源など、誰も主張していないと思いますよ。
例えばウェールズの同化政策は完璧に成功していて、独立運動など聞いたことも無い。
善悪の問題ですが、これは道徳とか宗教など個人の主観に属しており、別々なのです。無理して同じにする必要は少しも有りません。
今回コメントした動機ですが、
日本の朝鮮支配は植民地主義というよりも、同化政策の側面が大きかった客観的な事実を指摘しただけ。
善悪を優先するほど、迷宮に迷い込むでしょう。
そもそも『日本が悪い』とは、単に『日本が負けた』ことが原因であり、もしも勝っていれば東条英機は日本で一番の大英雄。東京の一番目立つ場所に巨大な銅像が立っている。
負けたから『悪い』となっただけ。同化政策も同じなのです。
ピョウンヤン宣言の不思議ですが、そもそも1965年の日韓条約と基本的に同じ内容ですよ。植民地云々が無かったのは当然で敗戦から20年後なのです。小学生でも全員が知っていた。その半世紀後には植民地の文言を入れたのは『忘れた』人が大勢できたからですね。これも当然な話です。中身が同じだったが南北朝鮮では時間だけが大きく違っていたと解釈するべきでしょう。
2002年ピョウンヤン宣言の場合には条文に何も書いてなかったが、拉致問題での謝罪こそが大問題でしょう。これで完璧に死文化したのですから、条文そのものが無意味になっていた。すべては拉致問題に収斂されるのです。
ところが、米朝首脳会談で、唐突に生き返る。
何故、今までは反古だった文章が蘇ったのか、その原因を考察することが大切でしょう。
宋純さまは、同化政策を以って日本国による’植民地支配’と見なしたいようです。しかしながら、当時、日本国は、それほど強く朝鮮の人々に徹底的な同化を求めたわけではなく、創氏改名も、1939年の事であり、しかも、日本の姓名を強制したわけでもありませんでした。言語にしましても、欧米列強から植民地支配を受けたアジア・アフリカ諸国の大半は、今でも、旧宗主国の言語が使用されている一方で、朝鮮半島では、ハングルによる教育も行われていたため、こうした現象は起きておりません。朝鮮統治に際しては、日本国政府は、同地の文化財の保護にも熱心でありました。韓国の人々は、こうした’事実’を知るべきなのです。なお、同化政策を’諸悪の根源’と見なすのであれば、宋純さまも、平壌宣言の文言が事実に即していないこと、並びに、少なくとも経済的な損害を与えてはいないことを、お認めにならざるを得ないのではないでしょうか。
『本記事では、資源の収奪や国民搾取を目的とした植民地支配ではなかったとし、その上で、併合による統治という言葉』
ですが、これは社会科学用語として、、『同化政策』と普通は呼ばれています。
同じく明治政府では、『皇民化政策』で、朝鮮人に対しても帝国の臣民化を行おうとしたことは明らかな事実ですよ。
異民族である蝦夷地のアイヌ人に対して厳しい同化政策を行って、全て日本人かして仕舞った日本との客観的視点が欠落しています。
ガンジーはインド人エリートなのですが本国の大英帝国に行った時に酷い人種差別に会って、インドの独立を決意したそうですが、
対照的に大日本帝国では朝鮮人差別は無かったと、自民党閣僚などが発言して、最初のコメントのように矢張り謝罪に追い込まれている。
敗戦以前ですが、
建て前上、日本では一切の差別が無かったのは事実なのですね。敗戦以前の学校では朝鮮人差別を厳しく諌めていたのです。
植民地ではない。同じ帝国内の臣民なのだ。『平等』との建前なのですが、これで台湾とか南洋諸島の人々は今でも親日なのです。ところが困ったことに韓国が180度逆の結果になっている不思議。
『韓国人から”逆恨み”されている』では表層して見ていませんよ。韓国ですが、歴史を知らないからでは無くて、知っているから怒っている事実を見ていない。
アイヌ人の歴史的な怒りとか悲しみを理解出来ないから、同じように日本の同化政策への朝鮮人の怒りの原因も理解出来ないのです。
本記事では、資源の収奪や国民搾取を目的とした植民地支配ではなかったとし、その上で、併合による統治という言葉を用いております。韓国併合条約に基づいて、日本国の天皇に対して韓国の皇帝が統治権を移譲しているからです。日本人の研究では疑われるのでしょうから、アラン・アイルランド氏が著した”The New Korea”などを読んでみてください。李氏朝鮮時代の悲惨な状況について記録したイザベラ・バード氏の『朝鮮紀行』も、当時の時代状況を知るうえで参考になります。また、日韓の国交正常化交渉では、日本側は、韓国の要求に抵抗しており、’言わずもがな’ではありません。この点も、交渉の記録が公開されておりますので、ご確認ください。日本人にとりましては、韓国人から”逆恨み”されているに等しく、こうした状況を改善するためには、まずは、韓国の人々が事実に即した歴史を知るべきではないかと思うのです。
それ以上でも、それ以下でもない。
植民地主義で無かったなら、なんだったのかを書いていないが、
それは、似ているが中身が違う、同化政策以外にはないのですよ。
御自分の書いた記事をもう少し大切にしてくれないと、・・・・
パラオなど南洋諸島や台湾ですが、日本の植民地以前には衛生状態が最悪だった。
ドイツの植民地時代には人口が激減したが、第一次世界大戦後に日本領になったら短時間で解決する、学校などインフラも整備され地元民は大喜びして世界一の親日になる。
朝鮮半島でも日本は全く同じことを行ったが、今の韓国での日本人とか日本のイメージは嘘つきなどマイナスイメージしかない。
台湾など他の植民地とは正反対なのですよ。
日韓条約に植民地云々が無かったですが、言わずもがな。全員が熟知しているので書く必要が無いのです。
それにしても反論のための反論は不愉快です、
それでは、議論の質を下げるだけで、誰の得にもならないでしょう。
宗純さまにも、事実誤認があるようです。1965年に締結された日韓基本条約、並びに、請求権協定では、’植民地支配’という言葉は一切使用しておりません。平壌宣言では、むしろ、積極的に日本国による加害性を認めており、この点が、歴史の事実に反しているのです。
また、サンフランシスコ講和条約についても、朝鮮に関しては、第2条、第4条、並びに、第9条の受益権を認めており、財産権については、第4条で定めています。厳密に第4条に従えば、日本国にも対韓請求権があったのですが、日韓基本条約締結当時は、冷戦下にあり、かつ、朝鮮戦争による破壊で韓国地域における財産権が混乱した事情もあり(実際には、敗戦を機に朝鮮半島における日本人の資産は韓国人に強奪されている…)、アメリカの仲介によって、日本国側が、経済支援という形で韓国に資金等を提供することで合意に達したのです。
日本統治時代の同化政策については、完全なる日本化を強制したのではなく、ハングルの使用や朝鮮名等も許されておりました(日本国内にあって、朝鮮名で国会議員となった朝鮮人政治家もいる・・・)。日本国への同化を歓迎する朝鮮の人々も少なくなかったはずです。こうした事実に照らしますと、やはり、平壌宣言の’歴史認識’は誤っているとしか言いようがないと思うのです。
ところが、すぐさま韓国などから厳重に批判され、即座に謝罪や訂正をする。ところが、
少し時間が経つと、また少しも懲りずに同じことを繰り返す。
今まで少しも変わらないパターン。
呆れるばかりだ。
当人たちは、日本国に『良かれ』と思っているのだろうが、余計に日本の名誉を傷つける結果に終わっている。
では、何故自民党閣僚が、自分の主張を否定し、謝罪するかの謎ですが、
これは1965年の日韓条約に違反するからですね。サンフランシスコ講和条約にも抵触するので、日本の政治家としては謝るしか方法がないのですよ。まさか日韓条約破棄は言い出せない。
同じ植民地でもパラオなど南洋諸島では世界一の親日だし、台湾の親日も有名だが、日本は朝鮮半島だけ別のことをした訳ではない。
パラオや台湾では学校を作ってことを喜ばれ、同じことをした朝鮮では日本語を強制されたと怒っているのですが・・・
植民地経営の経験が無い日本人は意識していないが、似ているようで意味が違う、同化政策だったのですよ。
日本は蝦夷地のアイヌ民族に対して同化政策で成功したので、同じことを南洋諸島とか台湾朝鮮で行った。
台湾で成功しても、日本より長い歴史がある朝鮮の同化政策は無理で、成功するはずが無いのです。
私は、北朝鮮の本体が日本にあるのではなく、明治以降、日本にも巣食ってきた何らかの国際組織が、国際情勢を裏から操ってきたのではないかと疑っております。こうした闇の存在を想定しなくては、説明できない出来事が多すぎるのです。そろそろ、こうした組織の存在を認めた上で、世界史を見直すべき時が来ているように思えます。
私は、歴史的な事実に照らしますと、日本国の朝鮮半島の統治は、資源の収奪や住民の搾取を主たる目的とした所謂’植民地支配’とは異なっていたのではないかと思います。また、李氏朝鮮時代とは、清国の属国であった時代ですし、イザベラ・バードの『朝鮮紀行』などを読みますと、日本による統治時代よりも遥かに悲惨な社会であったようです。もちろん、民族自決の原則からしますと、日本国の併合は批判されても致し方ないのですが、少なくとも、平壌宣言で記しているような、経済的に損害を与えたわけではなかったと思うのです。
安倍総理は日本国内あるいは米国のトランプ大統領が属していない勢力から日朝国交正常化と経済支援を命令されており、それを拉致問題を理由に拒んでいるという構図かもしれません。
そもそも、米国の力を持ってすれば、米軍が駐留する日本で、拉致事件など起きるはずがないのです。CIAなら簡単に諜報できたはず。
ご指摘の通りではないかと思います。仮に、朝鮮半島や満州が豊富な天然資源に恵まれていたならば、石油の禁輸によって日本国が経済的に追い詰められるはずはなかったと思います。また、これらの地域に莫大な資金を集中的に投下したため、日本国の本土はむしろ開発が遅れ、農村の疲弊から深刻な社会不安まで発生しております。歴史の事実を直視しませんと、現在に生きる日本国民までもが多大なる不利益を被ることになるのではないかと心配しております。
欧州諸国(イギリスやスランス、オランダなど)が、得られたような、植民地支配者としての利益はあったのでしょうか? 北朝鮮や満州は資源が豊富だったから植民地支配して資源を収奪したという言い方をする人もいますが、そうした豊富な資源は実は無かったから、日本は石油の輸入をABCD包囲網により止められて、国民生活を守るために対米英開戦を決断するに至ったのではないでしょうか?
政治家も、マスコミも、何故か、朝鮮統治の実像については事実を直視しようとは致しておりません。おそらく、その背景には、全世界の世論を誘導する力を持つ国際組織が潜んでいるのではないかと推測しております。しかしながら、近年、ネットによる情報発信が可能となったことで、その影響力も低下してきているようにも思えます。少なくとも、日本国は、歴史的事実に基づいて政策を立案すべきであり、’歴史認識’によって歪められてはならないと考えております。
なお、kuranishi masakoさんと呼んでくださって結構です。私もまた、onecatさまをはじめ皆さま方から様々なことを教えていただいておりますので。
正論なのに、なぜ自民党の政治家諸氏は、何を気兼ねし、何に怯え、これが公言できないのか。
私はここに、戦後政治の闇を感じます。反日左翼と、お花畑の住民は、期待するものはありませんが、保守自民党の政治家が、これを口にしないだけでなく、「反省」や「お詫び」を言うのですから、不思議でなりません。
(今まで、kuranishi masakoさんと、お呼びしていましたが、ベッラさんが先生と言われておりますので、私もそう致します。特別の理由はありませんが、ベッラさんは、ブログを始めた当初、私が色々教えてもらった、先生ですから、見習うことといたしました。)