万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”憲法9条原理主義”?-タリバンと共通する洗脳問題

2015年06月11日 15時18分50秒 | 日本政治
政府見解に「説得力なし」=長谷部早大教授が批判―安保法制
 宗教的な教義や思想を記した聖典を絶対視し、如何なる不都合にも目を瞑り、自らの解釈を他者にも押し付けようとする人々は、”原理主義者”と呼ばれています。”原理主義者”は、古今東西を問わず、あらゆる宗教や思想に現れますが、強固に凝り固まってしまった思考回路から抜け出ることは至難の業です。

 ”9条信者”と言う言葉は、日本国憲法第9条をあたかも宗教の根本教理の如くに崇める人々を表現した言葉であり、これらの人々にとって、憲法は聖典と化しています。そして、自らが正しいと決めた解釈を絶対視する状態に至りますと、それはもう、さらに極端へと先鋭化された原理主義に他なりません。戦後、日本国憲法は、日本国の武装解除と平和志向への転換を促進すべく、アメリカの占領行政の一環として制定されました。しかしながら、憲法制定時におけるアメリカの目的は冷戦の激化によって変更を迫られ、日米同盟の締結は、政府の合憲解釈を以って実現します(最高裁判所も合憲と判断…)。また、近年の中国の軍事的台頭を背景に、今日、安保法制を歓迎しているのは他ならぬアメリカであり、第二次世界大戦にあって、日本国の軍国主義の被害を受けたとされる東南アジア諸国です。ところが、日本国内には、既に、アメリカの思惑を越えて憲法第9条原理主義が根を張っており、軍事分野における日本国の行動に反対する一大勢力を形成しております。この展開、アフガニスタンのタリバンとも似通っております。反ソ勢力としてタリバンを支援したところ、ソ連軍撤退後、即ち、目的達成後は、神の名の下で非人道的な支配を標榜し、テロを攻撃手段とする反米勢力に転じてしまったのですから。

 一時的な政治的な目的のために宗教や思想を利用しますと、後に政策目的が変わっても、洗脳効果だけは長期的に人の行動を強力に方向付けますので、後からコントロールしようとしても、時すでに遅しとなります(対抗勢力に再利用されることにも…)。日本国憲法に関する議論が常に埒が明かなくなる原因の一つも、反対派の原理主義化に求めることができます(議論が成立しない…)。安保法制についても、日本国民は、常に、洗脳と原理主義の問題が横たわっていることを念頭において、現実的な評価をなすべきではないかと思うのです。

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2 コメント

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Unknown (ねむ太)
2015-06-11 20:38:30
こんばんは。九条原理主義・・イスラーム原理主義、教条主義、根は同じですよ。
イスラーム原理主義・・ムハンマドの著したコーランには一字一句誤謬がないのだから絶対に変えてはならない。
時代や世界が変わったら武力で革命を起こしてでもムハンマドのコーランを守らせろ。
教条主義・・マルクスの理論に誤謬はないのだから、マルクスの理論を堅持しなければ鳴らない、其のためには革命も辞さず。
九条真理教・・憲法九条は平和を謳っているのだから絶対に堅持しなければならない。
九条を守ってさえ居れば攻撃も侵略もされることはない。
外国で邦人が難にあった時は・・自己責任で勝手に死んでくださいね。
イスラーム原理主義者が教育に対して敵対するのは、教育を受け誰もがコーランを読めるようになれば詭弁は通用しなくなるからです。
共産主義も然り、高度な教育を受け歴史や伝統に基づく哲学を学べば共産主義の欺瞞が暴かれてしまうからです。
九条信者の推進する平和教育という名の洗脳・・武力は侵略や戦争を惹起する事もあるが、弱いものを守り平和を守維持する事に寄与する事もできる、歴史・哲学・倫理を学び正しく用いる事ができれば。
この、歴史・哲学・倫理を学び人としての在り方、生き方を質し真っ当に生きてゆこうと考えるのが保守の思想なのです。
保守思想の対極にあるのがフランス革命(ルソーの思想)を原点とする近代思想なのです。
歴史も哲学も倫理もいらない、理性に従って生きることで人は天の高みにまで上り詰める事ができる・・
原点はデカルトにあります。
イスラーム原理主義も共産主義も、正体は偶像崇拝なのです。
我が国には「いわしの頭も信心から」という言葉があります。
人が現実に像を作って拝んでいるぶんには何の問題もないのですが、自らの心の中に、自らが思う神の姿を作り上げ、自らを神に近いものとし忠誠を求め、崇拝を求める。
批判する者は殺しても構わないとする思想こそが偶像崇拝の本質なのです。
我が国ではフランス革命は市民革命であり、王による封建制から解き放たれ民主主義・人権・平等・友愛等を勝ち得た、と教えていますが・・
フランス革命の現実は共産革命と同じなのです。
フランス革命が起きた時、多くのフランス人は先祖代々の生き方を望む声も多かったのですが、革命に賛同しない町や村に軍隊を送り・・全土が内乱状態に陥っています。
悲しいことに農民が鍬や鋤を手に抵抗しても訓練された軍隊には勝てない・・革命軍による一方的な殺戮の様相を呈したのです。
自らの思想や信条に賛同しないものは殺しても構わない・・スターリンによる粛清、毛沢東による文化大革命・ポルポトによるカンボジアの虐殺・・同じことなのです。
ポルポトはカンボジアのエリートとして将来を期待されフランスのソルボンヌ大に留学しています。
フランス革命を素晴らしいものとして教え、民主主義・人権・平等などを市民が勝ち取ったと教えている現実が九条信者が共産主義者である事を何より明確に物語っています。
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ねむ太さま (kuranishi masako)
2015-06-11 21:41:50
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。
 古今東西の歴史を振り返りますと、宗教であれ、イデオロギーであれ、絶対化された思想というものが人間を虜にし、人間性を失わせるという現象が多々見受けられます。これは、高い知能を備えた人間ゆえの病理ですので、病気は病気として対応しませんと、人類が、人類を攻撃し破壊し尽くすことになりかねません。自己免疫疾患のように…。なお、デカルトにつきましては、功罪両面を持つのではないかと思います。デカルトの提唱した懐疑主義自体は、本来、懐疑を許さない原理主義に対するアンチテーゼとなるはずでした…。あらゆる思想は、極端に走りますと自己暴走を開始しますので、21世紀の課題は、原理主義対策の抑止的な思想を生み出すことかもしれません。
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