昨日、8月1日からニューヨークにて始まったNPT再検討会議は、核戦争へのエスカレートが危惧されるウクライナ危機の最中での開催だけに、国際社会からかつてない注目を集めています。唯一の被爆国である日本国を代表して岸田文雄首相も出席し、各国代表を前に演説を行ったのですが、同演説、どれほどの諸国の代表の心に響いたのでしょうか。これが怪しい限りなのです。
岸田首相の演説の内容とは、大まかに言えば、‘核戦争の危機にある今だからこそ、非核化に向けて前進しよう’というものです。岸田首相が被爆地である広島出身ということもあり、同演説では、5つの行動計画からなる「ヒロシマ・アクション・プラン」も公表されています。5つの行動とは、(1)威嚇を含めた核兵器不使用の継続、(2)透明性の向上、(3)核兵器の減少傾向の維持、(4)核兵器不拡散と原子力の平和利用の促進、(5)各国首脳の被爆地訪問となります。この他にも「ユース非核リーダー基金」なるものを国連に設け、若者世代が被爆の悲惨な実態を知るためのネットワークを構築すると共に、各国の現・元首脳向けには、「国際賢人会議」の第一回会合を広島で開催するとも語っています。しかしながら、このプラン、‘お花畑’としか言いようがありません。
第1に、核兵器の不使用を提起していますが、ウクライナ危機にあってロシアは既に核兵器の使用を示唆し、威嚇に用いている現実があります。今年の1月3日には、米英仏ロ中の国連安保理常任理事国の五カ国によって「核戦争の防止と軍拡競争の回避に関する共同声明」が発表されていますが、ロシアのみならず、中国が同声明の内容を誠実に遵守すると信じる人は殆どいないことでしょう。また、この行動規範は、核保有国を対象としていますが、首相のいう‘核保有国’にイスラエル、インド、パキスタン、そして、北朝鮮が含まれていなければ意味がありません。これらの諸国には何らの義務も課されませんので、非核保有国は、核による威嚇や攻撃の危機に晒され続けるのです。なお、核を保有していても使用さえしなければ‘問題なし’ならば、この核不使用の原則の下で、日本国を含む中小の非核保有国が抑止力として核を保有することも許されるはずです。つまり、核不使用の原則は、抑止的核保有の原則ともなり得のです(この点は、肯定的に評価できるかもしれない・・・)。
第2、透明性の向上につきましても、あまりにも非現実的と言わざるを得ません。昨日、日経新聞の8月1日付の朝刊の一面には、「新疆核実験再開の兆候」とする見出しの記事が掲載されていました。この記事を読みますと、解析に用いた疑惑の衛星画像は、アメリカの民間企業であるPlanet Lab社よってもたらされたことが分かります。つまり、中国は、常に核開発や核戦略等の実態を隠しているのです。台湾有事を睨んで米中両国が小型核の開発競争にしのぎを削る中、今後とも、非核国の日本国の首相の呼びかけによって、中国が、自らの核戦略をオープンにするとは考えられません。なお、首相は、頓挫している核兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)の交渉開始を求めていますが、この条約は、むしろ、原子力発電で生じるプルトニウム生産をも規制することとなるため、非核保有国の潜在的な核保有オプションを封じることが目的であるのかもしれません。
第3に、岸田首相は、核兵器の減少傾向の維持と述べておりますが、核弾頭の削減が進展したのは米ロ間のみです。中国については今なおも野放しの状況にあり、同国が、対米バランスを目指して核弾頭数を増やしていることは疑い得ません。米中対話を後押しするともありますが、両国とも、それが結局は‘化かし合い’となることに内心気づいているはずです。
第4につきましても、核保有国でさえ北朝鮮の核を放棄させない現状を全く無視しております。否、北朝鮮の事例は、経済的には最貧国であっても、核兵器さえ保有していれば、対等な立場から核保有国、すなわち、軍事大国を牽制し得る事例となっているのです。その一方で、ウクライナの事例は、「ブタペスト合意」を信じて核を放棄したものの、決して核保有国によって安全を保障されることがなかった悲劇を国際社会にまざまざと見せつけています(「ブタペスト合意」によってウクライナは、核保有を断念することの見返りとして、ロシア側から軍事侵略を受けないことが約束されていた)。
そして、第5の各国首脳の被爆地訪問につきましても、その効果は期待薄です。何故ならば、原子爆弾の非人道性、並びに、その被害の凄まじさを知れば知るほどに、各国ともに、核攻撃を受けないがための抑止力としての核を保有しようとする意識も強まるからです。また、威喝として保有しようとする国も出てくるかもしれません。ミサイル防衛システムが未完成な今日において、核攻撃を防ぐ唯一の現実的な手段は、残念なことに核の抑止力しかないのが現状なのです。
楽観的な見通しや油断が許されない国際社会の現状を知る各国の代表にとりましては、首相の演説は、いかにもこの世離れしたように聞こえたかもしれません。今般、安倍首相暗殺事件を機に自民党と新興宗教団体との関係が問題視されることとなりましたが、岸田首相の演説を聞く限り、同政権もまたカルトに染まっているのではないかと疑いも生じます。「核なき世界」を無責任に唱えていられるほど暢気な時代ではなく、目下、現実を見据えた合理的で冷静な思考を要する局面にあります。カルトというものが洗脳によって人の正常な認識力や合理的思考を歪めるならば、同提案は、まさしくカルト的なのです。
もっとも、岸田首相の提案は、世界支配の観点からしますと、「核なき世界」という美名の下で中小の非核国を自発的にNPT体制に従わせるという意味においては理解の範疇に入りますし、詐術的ではあっても‘合理的’ではあります。新興宗教団体が超国家勢力によって組織された実行部隊である可能性を考慮しますと(NPT再検討会議については、政教分離の原則を無視して創価学会の池田大作氏も緊急提言を行っている・・・)、岸田政権は、やはりカルト政権にして傀儡政権なのかもしれないと思うのです。