安部元首相暗殺事件は、岸田文雄首相が国葬を即決したことから、思わぬ方向に波紋を広げることとなりました。国葬に対する各社の世論調査の結果は、メディアが世論誘導・同調圧力装置となっている今日にあってはまちまちなのですが、それでも元統一教会との関係が明らかになるにつれ、国葬に対する反対意見は増加傾向にあるようです。おそらく、声高には反対を叫ばないまでも、大多数の国民が訝しく感じているのでしょう。どこか納得がいかないと・・・。
国葬に関する法令は戦後に廃止されたこともあり、国葬という儀式については法的根拠がない状態にあります。このため、市民団体の動きも活発化してきており、先月の7月21日には、国葬の差し止めを求める仮処分が申し立てられたのに続き、今月の8月9日には、これとは別の団体が提訴に踏み切っています。今後は、安部元首相の国葬に関する違憲性並びに違法性、あるいは、不法性が裁判所で争われることとなりましょう。‘市民団体’とは、退陣後も‘安部政治’を糾弾してきた左翼系の団体と推測され、イデオロギー的な偏向もあるのでしょうが、それでも、国葬の法的根拠の問題は、日本国の法秩序の問題でもありますので、国民の多くも懸念するところです。
それでは、現行の日本国憲法には、元首相の国葬に法的根拠を与える条文が存在しているのでしょうか。実のところ、憲法を端から端まで読みましても、国葬に関する記述を見いだすことはできません。今般の国葬は、7月22日の岸田内閣の閣議決定によって正式に決定されたものの、憲法第73条に定める内閣の職務には、国葬を含む儀式に関する事項が含まれていないのです。
その一方で、憲法において‘儀式’という文字が記されている条文は、天皇の国事行為を定めた第7条10項のみです。それでは、天皇であれば、‘儀式’の一つとして国葬を決定することができるのでしょうか。この点、同項には「儀式を行うこと」と表現されており、儀式の具体的な内容を‘決めること’とは記されてはいません。憲法上、天皇には政治に関する権能はありませんので、同条文も、形式的な主催者を意味するに過ぎないのでしょう。因みに、安部元首相の国葬が行われる場合、その主催者は、天皇なのか、政府なのか、という別の問題も生じるかもしれません。
次に、法律はどうでしょうか。内閣法の第1条にも「内閣は、国民主権の理念にのつとり、日本国憲法第七十三条その他日本国憲法に定める職務を行う」とあります。むしろ、法律は、内閣の職務を憲法の枠内に限定しており、これを越えた権限を行使することはできないと解釈されるのです。なお、内閣設置法第3条33項には、「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」とありますが、この法文は、あくまでも内閣を補佐する役割を担う内閣府の所掌事務について定めたものであり、内閣そのものに関するものではありません(6時30分に加筆しました)。 法律において国家による葬儀を定めているのは、天皇崩御に際して執り行われる大喪の礼のみです。皇室典範第25条には、「天皇が報じたときは、大喪の礼を行う。」とあります。言い換えますと、大喪の礼以外の国葬は、法文において具体的な根拠や内容を明記した法律がないのです。
以上の諸点に鑑みて、‘市民団体’は、法律問題として国葬の差し止めを求めているのですが、第一に問題とされるのは、国葬決定の法的手続きです。同団体は、閣議決定を以て国葬を決定した岸田内閣の行為は憲法に定めた権限を越える越権であり、仮に、安部元首相の葬儀を国葬として行うならば、民主的選挙で選ばれた国会議員が国会において審議を尽くし、国葬に関する法律を成立させた上で執り行うべきと主張しているのです(憲法上、国会が国権の最高機関・・・)。民主的統治制度における手続き上の違憲・違法性を問題とした反対論と言えましょう。
こうした民主的手続き上の批判の他に、市民団体が訴えている第二の問題点は、国葬が、憲法第19条が保障する思想及び良心の自由を侵害する行為に当たるというものです。全ての国民が安部元首相に対して好意的ではないにも拘わらず、国民に対して弔意の表明が強制されるとなれば、自己の内面を歪めざるを得なくなります。地方自治体の中には、半旗の掲揚を求める教育委員会もあるそうですが、国葬の日となる9月27日、校庭に生徒が集められ、全員が頭をたれて黙祷を捧げる光景が全国的に広がれば、どこか全体主義の足音も聞こえてきそうでもあります。もっとも、この批判点は、法律上の根拠がある大喪の礼にも共通することにもなりますので、別に論じる必要がありましょう。
以上の市民団体の背景が何であれ、その主張については、真剣に考えるべき理があるように思えます。仮に、憲法や法律において明文の規定が欠けている場合、内閣がフリーハンドで如何なる事柄でも決定できるとなりますと、悪しき反対解釈となりかねないからです(違憲訴訟が起こされなかった吉田首相の国葬を前例として踏襲する必要はないのでは・・・)。ここは感情を排して法律問題に徹し、裁判所のみならず、国民も慎重に判断するべきと言えましょう。そして、国葬に関する問題は、現行の憲法や法律における合憲性並びに合法性に先立つ問題として、国葬とは何か、あるいは、国家と政治家個人との関係をどのように考えるべきか、という問題を問うているように思えるのです(続く)。