今熊野という地名は平安時代に後白河上皇が
1160年(永暦元年)に紀州の熊野から
熊野の諸神を三十三間堂の東側に招き
新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を
創建したことから地名となったようでんな。
古い熊野に対して熊野の新宮・別宮という
ことで「今熊野」と呼ぶようになったとか。
昔はこの辺りは鳥辺野(とりべの)
又は鳥部野(とりべの)と呼びましたんや。
京都では「野」が付く地名が多いでっけど
これは殆どが昔の葬送地なんですわ。
「嵯峨野」に「化野」や「紫野」に
「蓮台野」や「高野」など。
「鳥辺野」は市内から近いことも有り
身近な葬送地だったようでっせ。
(鳥部山 現在は阿弥陀ケ峯) (標高192m)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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前々回に紹介しました豊臣秀吉の廟がある山で
平安時代には鳥部山(とりべやま)だったとか。
現在は東海道本線や新幹線が山の南側を
東山トンネルで抜けてますんや。
この山から眺めて南西側を「鳥戸野」(とりべの)と
書き貴族など高貴なお方の葬送地になりますんや。
反対に北西側を「鳥辺野」(とりべの)と書き
こちらは京都庶民の葬送地になってたんだって。
現在もこの山の裏手には京都市の中央斎場が有り
国道1号線を挟んで清水寺や大谷本廟もおます。
現在でも京都を代表する霊園が多く見られまっせ。
だから平安時代などは遺体を捨てて風葬や鳥葬が
行なわれる、おどろおどろした場所でしたんや。
当時は鴨川を三途の川と考え、それから東は
人も寄り付かぬ寂しい場所だったとか。
現在の清水寺舞台の下などは死体を捨てた所で
死臭を防ぐために舞台が高いんだとの説も。
現在の賑わいなどとても考えられないのが
当時の「鳥辺野」界隈だったようでっせ。
(東大路通り 今熊野)
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東大路通りはこの先で右へカーブして鴨川を渡ると
九条通りと名前が変わり五重塔で有名な東寺の
前に出るようになってますんや。
画像の右手に見える森は「新熊野神社」ですな。
(新熊野神社=いまくまのじんじゃ)
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後白河上皇時代の新熊野神社は応仁の乱で焼失し
江戸時代になってから後水尾天皇の皇子で
聖護院宮(しょうごいんのみや)道寛親王が
約500mほど南の東大路通りに再建されたのが
現在の新熊野神社なんだそうですわ。
朝廷にはお金がなかったけど後水尾天皇に輿入れした
徳川秀忠の娘で東福門院和子さまのお金が
この、お社の再建に大きな援助になったんだって。
(泉涌寺道)
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ここから東大路通りとお別れして「泉涌寺道」へ
入って行くことにしまひょ。
源氏物語にでてくる「夢の浮橋」がこの先に
在ったそうでっけど
現在は暗渠になって居て何処なのか分かりまへん。
この辺りは先程に書きました「鳥戸野」(とりべの)で
昔は高貴なお方の葬送地ということになりま。
(泉涌寺 総門)
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泉涌寺(せんにゅうじ)は明治維新までは皇室の
菩提寺でしたので「御寺」(みてら)とお呼びします。
この総門の側に「即成院」という塔頭がおますんや。
(泉涌寺の塔頭 即成院)
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読みづらいですが昔は伏見寺とよばれるお寺で
明治の廃仏毀釈でここへ移されたようで
那須与一の墓と伝えられる石塔があるんだって。
今回はパスして泉涌寺の参道を奥へ進みまひょ。
(今熊野観音寺) (西国三十三ヶ所第十五番札所)
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平成の4年にこのお寺に来てますんやけど
どうも記憶に残ってませんな。
こんな赤い橋があれば見覚えがあるはずなのに
当時はまだ赤い橋がなかったのかしら?
(今熊野観音寺 ご朱印) (平成4年に参詣)
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まさかタクシーで乗り付けたことは無いはずだし。
見事に、わての記憶から忘却の彼方になってまんがな。
(今熊野観音寺 赤い橋で自分撮り)
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本堂を眺めても一向に昔の記憶が蘇りませんわ。
この日は同時に六角革堂へもお参りしてますんやけど
そちらの方は記憶が残っているのに何故でっしゃろ。
(今熊野観音寺 本堂)
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今熊野観音寺は昔は東山観音寺と呼んだそうな。
後白河上皇の頭痛を治したとかで上皇は生涯に
34回も熊野詣でをされているんですが
必ずここへお参りしてから熊野へ向かわれたとか。
そんな訳で「新那智山」という山号も
上皇さまから頂いたように記されてますので
後白河上皇が深く信仰されたお寺のようですな。
(今熊野観音寺 本堂の内部)
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これ以上は撮影禁止だから仕方がないですわ。
西国三十三ヶ所の第十五番札所としては
昔から有名なんでっけど
最近は「ぼけ封じ」のお参りが多いとか。
わても、「ぼけ封じ」をお願いをしときまひょ。
(今熊野観音寺 ぼけ封じの ご朱印)
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(ぼけ封じの観音様)
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(今熊野観音寺 境内の三重の石塔)
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平安時代の石塔だとは分かるんだけど応仁の乱で
由緒書きが焼失してしまったんでしょうな。
創建当時の三重の石塔とだけ説明されてましたよ。
ここの奥に霊園がおますんやけど、そこに
藤原三代のお墓が在ると聞いてましたんや。
係りの方にお聞きして足を延ばしてみましたで。
(藤原三代の墓)
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画像の向かって右から天台座主「慈円」中央が
関白太政大臣「藤原忠通」一番左側が
摂政「九条兼実」と言われていますね。
中央が保元の乱に登場する後白河天皇側の関白
両脇は関白「藤原忠通」の息子に当たる
兄の九条兼実と弟の大僧正慈円になりますんや。
九条兼実じゃなくて藤原長実との説もあるとか。
天台宗の座主をした「慈円」さんが何故に、ここ
真言宗のお寺にお墓があるのかも不思議ですな。
供養塔かも知れないけど現在も京都の冷泉家が
この宝塔を維持管理されているんだって。
藤原摂関家に関連する石塔には間違いはなさそう。
それでは泉涌寺の方へ向かいまひょかな。
(泉涌寺への参道)
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(泉涌寺=せんにゅうじ 大門) (重要文化財)
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このお寺には今まで一度も訪れたような記憶がない。
京都の市内にもお寺は多く在るけど泉涌寺は割と
観光コースからは外れているような感じ。
(泉涌寺 本日は拝観無料)
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何だか得をしたような気分になりまんな。
ほんなら~ 泉涌寺の境内へ入りまひょ。
泉涌寺は真言宗の泉涌寺派の大本山なんだって。
江戸時代には皇室のお寺なので「御寺=みてら」
と呼ばれ、歴代の天皇が崩御されるとここの門主が
葬儀を主催しここの霊明殿にお祀りしたんだそうな。
(泉涌寺 仏殿) (重要文化財)
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参道からこの建物を写すと良い感じなんだけど
残念ながら工事中でシートが被さってますな。
この工事が理由で拝観料が無料になってるのかな?
何度も同じコメントになりますんやけど
ここも応仁の乱で全ての建物が焼失してますんや。
京都市内では応仁の乱で焼かれなかったお寺ちゅうのが
珍しいということになりまんな。
徳川4代将軍家綱公の時代に再建されたとか。
戦前までは宮内省が修理などの費用は負担していたが
現在は普通の寺院と同じになっているとのこと。
(泉涌寺境内 大門を背景に自分撮り)
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(泉涌寺 本坊)
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読みづらいけど「香淳皇后」さまの月命日の表札が?
明治以降は皇室は仏教から離れて菩提寺もないはず。
でもここ泉涌寺では昭和天皇さまも香淳皇后さまも
江戸時代の天皇さまと同様にお祀りされていて
月命日に霊明殿でお祈りが続けられているようでんな。
江戸時代の天皇さまは「ご位牌」が残っているんだけど
昭和天皇さまや香淳皇后さまの「ご位牌」も
特別に泉涌寺ではお作りしてあるのかしら?
(泉涌寺の ご朱印)
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流石に皇室のお寺だけに16弁の菊の御紋が押してま。
この本坊の南側に「霊明殿」と言う大事な建物がおます。
江戸時代・歴代の天皇さまの「ご位牌」はここ
霊明殿にお祀りされているようでんな。
(泉涌寺 霊明殿)
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(勅使門) (霊明殿への正門)
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現在も天皇陛下から命じられた勅使しか入れないようですな。
このお寺には今上天皇も即位の直後と即位10周年の
二度だけ歴代の天皇さまへ報告に立ち寄られているとか。
(泉涌水屋形=せんにゅうすいやかた)
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泉涌寺の名前が付けられた由来がこの湧き出る泉のようでっせ。
現在も湧き出ているとかで大事に管理されているようでんな。
(四條天皇他二十四方御陵参道 石碑)
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四條天皇とは鎌倉時代・承久の乱の後に即位した
後堀河天皇の皇子で続いて即位されたお方ですが
このお方で後高倉院の血統は絶えていますね。
その他は後水尾天皇以降の歴代江戸時代の天皇さまと
皇后さま皇太后さまや内親王さまですな。
(霊明殿をサイドから撮影)
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この霊明殿から東側に向かってに山裾に
「月輪陵=つきのわりょう」がおますんや。
おそらく江戸時代だから石塔の簡素なお墓が
並んでいるんだと思いますね。
明治になってから宮内省が立派に改装して
現在の形になったんだと思いますんや。
(泉涌寺内 月輪二十四陵)
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泉涌寺の方は戦後になってから宮内庁の管轄から外れ
現在は「泉涌寺を護る会」が維持管理しているとか。
この月輪二十四御陵だけは現在も宮内庁の管轄でんな。
(宮内庁の 月輪陵&後月輪陵 御名前掲示板)
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歴史上に登場するお方が並んでいますね。
ここに掲げられてる天皇や皇后さまの他に
単独で孝明天皇さまと英照皇太后さまの御陵が
近くで別に設けられているのは
やはり明治天皇のお父君だからでしょうな。
この、お二方の御陵は墳丘もあり立派だそうで
やはり明治政府の天皇家に対する配慮でしょうか。
最後に泉涌寺の入口を入ってすぐ左手に
楊貴妃観音がおますのでそれを貼り付けまっせ。
(泉涌寺境内 楊貴妃観音)
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暗くて楊貴妃観音さまは写りませんでした。
100円だけ出費して写真を購入しましたんや。
楊貴妃観音さまの説明は上の掲示板を読んで頂戴ね。
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昼食は東大路通りへ戻って小さな蕎麦屋さんへ入りましたで。
なんでも幕末から続く4代目のお婆さまがご店主のよう。
化学調味料は一切使わない自家製の自慢の出汁を使っている
昆布に鰹節と薄口醤油で仕上げているような感じ。
(京都名物 にしん蕎麦)
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長くなりますんで今日はこれぐらいでお仕舞い。
次回は今熊野から少し北側にある妙法院門跡や
関東に多くの末寺を持つ智積院を紹介しまっさ。
ほんなら、これでさいなら~
1160年(永暦元年)に紀州の熊野から
熊野の諸神を三十三間堂の東側に招き
新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を
創建したことから地名となったようでんな。
古い熊野に対して熊野の新宮・別宮という
ことで「今熊野」と呼ぶようになったとか。
昔はこの辺りは鳥辺野(とりべの)
又は鳥部野(とりべの)と呼びましたんや。
京都では「野」が付く地名が多いでっけど
これは殆どが昔の葬送地なんですわ。
「嵯峨野」に「化野」や「紫野」に
「蓮台野」や「高野」など。
「鳥辺野」は市内から近いことも有り
身近な葬送地だったようでっせ。
(鳥部山 現在は阿弥陀ケ峯) (標高192m)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
前々回に紹介しました豊臣秀吉の廟がある山で
平安時代には鳥部山(とりべやま)だったとか。
現在は東海道本線や新幹線が山の南側を
東山トンネルで抜けてますんや。
この山から眺めて南西側を「鳥戸野」(とりべの)と
書き貴族など高貴なお方の葬送地になりますんや。
反対に北西側を「鳥辺野」(とりべの)と書き
こちらは京都庶民の葬送地になってたんだって。
現在もこの山の裏手には京都市の中央斎場が有り
国道1号線を挟んで清水寺や大谷本廟もおます。
現在でも京都を代表する霊園が多く見られまっせ。
だから平安時代などは遺体を捨てて風葬や鳥葬が
行なわれる、おどろおどろした場所でしたんや。
当時は鴨川を三途の川と考え、それから東は
人も寄り付かぬ寂しい場所だったとか。
現在の清水寺舞台の下などは死体を捨てた所で
死臭を防ぐために舞台が高いんだとの説も。
現在の賑わいなどとても考えられないのが
当時の「鳥辺野」界隈だったようでっせ。
(東大路通り 今熊野)
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東大路通りはこの先で右へカーブして鴨川を渡ると
九条通りと名前が変わり五重塔で有名な東寺の
前に出るようになってますんや。
画像の右手に見える森は「新熊野神社」ですな。
(新熊野神社=いまくまのじんじゃ)
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後白河上皇時代の新熊野神社は応仁の乱で焼失し
江戸時代になってから後水尾天皇の皇子で
聖護院宮(しょうごいんのみや)道寛親王が
約500mほど南の東大路通りに再建されたのが
現在の新熊野神社なんだそうですわ。
朝廷にはお金がなかったけど後水尾天皇に輿入れした
徳川秀忠の娘で東福門院和子さまのお金が
この、お社の再建に大きな援助になったんだって。
(泉涌寺道)
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ここから東大路通りとお別れして「泉涌寺道」へ
入って行くことにしまひょ。
源氏物語にでてくる「夢の浮橋」がこの先に
在ったそうでっけど
現在は暗渠になって居て何処なのか分かりまへん。
この辺りは先程に書きました「鳥戸野」(とりべの)で
昔は高貴なお方の葬送地ということになりま。
(泉涌寺 総門)
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泉涌寺(せんにゅうじ)は明治維新までは皇室の
菩提寺でしたので「御寺」(みてら)とお呼びします。
この総門の側に「即成院」という塔頭がおますんや。
(泉涌寺の塔頭 即成院)
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読みづらいですが昔は伏見寺とよばれるお寺で
明治の廃仏毀釈でここへ移されたようで
那須与一の墓と伝えられる石塔があるんだって。
今回はパスして泉涌寺の参道を奥へ進みまひょ。
(今熊野観音寺) (西国三十三ヶ所第十五番札所)
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平成の4年にこのお寺に来てますんやけど
どうも記憶に残ってませんな。
こんな赤い橋があれば見覚えがあるはずなのに
当時はまだ赤い橋がなかったのかしら?
(今熊野観音寺 ご朱印) (平成4年に参詣)
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まさかタクシーで乗り付けたことは無いはずだし。
見事に、わての記憶から忘却の彼方になってまんがな。
(今熊野観音寺 赤い橋で自分撮り)
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本堂を眺めても一向に昔の記憶が蘇りませんわ。
この日は同時に六角革堂へもお参りしてますんやけど
そちらの方は記憶が残っているのに何故でっしゃろ。
(今熊野観音寺 本堂)
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今熊野観音寺は昔は東山観音寺と呼んだそうな。
後白河上皇の頭痛を治したとかで上皇は生涯に
34回も熊野詣でをされているんですが
必ずここへお参りしてから熊野へ向かわれたとか。
そんな訳で「新那智山」という山号も
上皇さまから頂いたように記されてますので
後白河上皇が深く信仰されたお寺のようですな。
(今熊野観音寺 本堂の内部)
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これ以上は撮影禁止だから仕方がないですわ。
西国三十三ヶ所の第十五番札所としては
昔から有名なんでっけど
最近は「ぼけ封じ」のお参りが多いとか。
わても、「ぼけ封じ」をお願いをしときまひょ。
(今熊野観音寺 ぼけ封じの ご朱印)
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(ぼけ封じの観音様)
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(今熊野観音寺 境内の三重の石塔)
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平安時代の石塔だとは分かるんだけど応仁の乱で
由緒書きが焼失してしまったんでしょうな。
創建当時の三重の石塔とだけ説明されてましたよ。
ここの奥に霊園がおますんやけど、そこに
藤原三代のお墓が在ると聞いてましたんや。
係りの方にお聞きして足を延ばしてみましたで。
(藤原三代の墓)
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画像の向かって右から天台座主「慈円」中央が
関白太政大臣「藤原忠通」一番左側が
摂政「九条兼実」と言われていますね。
中央が保元の乱に登場する後白河天皇側の関白
両脇は関白「藤原忠通」の息子に当たる
兄の九条兼実と弟の大僧正慈円になりますんや。
九条兼実じゃなくて藤原長実との説もあるとか。
天台宗の座主をした「慈円」さんが何故に、ここ
真言宗のお寺にお墓があるのかも不思議ですな。
供養塔かも知れないけど現在も京都の冷泉家が
この宝塔を維持管理されているんだって。
藤原摂関家に関連する石塔には間違いはなさそう。
それでは泉涌寺の方へ向かいまひょかな。
(泉涌寺への参道)
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(泉涌寺=せんにゅうじ 大門) (重要文化財)
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このお寺には今まで一度も訪れたような記憶がない。
京都の市内にもお寺は多く在るけど泉涌寺は割と
観光コースからは外れているような感じ。
(泉涌寺 本日は拝観無料)
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何だか得をしたような気分になりまんな。
ほんなら~ 泉涌寺の境内へ入りまひょ。
泉涌寺は真言宗の泉涌寺派の大本山なんだって。
江戸時代には皇室のお寺なので「御寺=みてら」
と呼ばれ、歴代の天皇が崩御されるとここの門主が
葬儀を主催しここの霊明殿にお祀りしたんだそうな。
(泉涌寺 仏殿) (重要文化財)
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参道からこの建物を写すと良い感じなんだけど
残念ながら工事中でシートが被さってますな。
この工事が理由で拝観料が無料になってるのかな?
何度も同じコメントになりますんやけど
ここも応仁の乱で全ての建物が焼失してますんや。
京都市内では応仁の乱で焼かれなかったお寺ちゅうのが
珍しいということになりまんな。
徳川4代将軍家綱公の時代に再建されたとか。
戦前までは宮内省が修理などの費用は負担していたが
現在は普通の寺院と同じになっているとのこと。
(泉涌寺境内 大門を背景に自分撮り)
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(泉涌寺 本坊)
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読みづらいけど「香淳皇后」さまの月命日の表札が?
明治以降は皇室は仏教から離れて菩提寺もないはず。
でもここ泉涌寺では昭和天皇さまも香淳皇后さまも
江戸時代の天皇さまと同様にお祀りされていて
月命日に霊明殿でお祈りが続けられているようでんな。
江戸時代の天皇さまは「ご位牌」が残っているんだけど
昭和天皇さまや香淳皇后さまの「ご位牌」も
特別に泉涌寺ではお作りしてあるのかしら?
(泉涌寺の ご朱印)
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流石に皇室のお寺だけに16弁の菊の御紋が押してま。
この本坊の南側に「霊明殿」と言う大事な建物がおます。
江戸時代・歴代の天皇さまの「ご位牌」はここ
霊明殿にお祀りされているようでんな。
(泉涌寺 霊明殿)
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(勅使門) (霊明殿への正門)
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現在も天皇陛下から命じられた勅使しか入れないようですな。
このお寺には今上天皇も即位の直後と即位10周年の
二度だけ歴代の天皇さまへ報告に立ち寄られているとか。
(泉涌水屋形=せんにゅうすいやかた)
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泉涌寺の名前が付けられた由来がこの湧き出る泉のようでっせ。
現在も湧き出ているとかで大事に管理されているようでんな。
(四條天皇他二十四方御陵参道 石碑)
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四條天皇とは鎌倉時代・承久の乱の後に即位した
後堀河天皇の皇子で続いて即位されたお方ですが
このお方で後高倉院の血統は絶えていますね。
その他は後水尾天皇以降の歴代江戸時代の天皇さまと
皇后さま皇太后さまや内親王さまですな。
(霊明殿をサイドから撮影)
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この霊明殿から東側に向かってに山裾に
「月輪陵=つきのわりょう」がおますんや。
おそらく江戸時代だから石塔の簡素なお墓が
並んでいるんだと思いますね。
明治になってから宮内省が立派に改装して
現在の形になったんだと思いますんや。
(泉涌寺内 月輪二十四陵)
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泉涌寺の方は戦後になってから宮内庁の管轄から外れ
現在は「泉涌寺を護る会」が維持管理しているとか。
この月輪二十四御陵だけは現在も宮内庁の管轄でんな。
(宮内庁の 月輪陵&後月輪陵 御名前掲示板)
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歴史上に登場するお方が並んでいますね。
ここに掲げられてる天皇や皇后さまの他に
単独で孝明天皇さまと英照皇太后さまの御陵が
近くで別に設けられているのは
やはり明治天皇のお父君だからでしょうな。
この、お二方の御陵は墳丘もあり立派だそうで
やはり明治政府の天皇家に対する配慮でしょうか。
最後に泉涌寺の入口を入ってすぐ左手に
楊貴妃観音がおますのでそれを貼り付けまっせ。
(泉涌寺境内 楊貴妃観音)
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暗くて楊貴妃観音さまは写りませんでした。
100円だけ出費して写真を購入しましたんや。
楊貴妃観音さまの説明は上の掲示板を読んで頂戴ね。
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昼食は東大路通りへ戻って小さな蕎麦屋さんへ入りましたで。
なんでも幕末から続く4代目のお婆さまがご店主のよう。
化学調味料は一切使わない自家製の自慢の出汁を使っている
昆布に鰹節と薄口醤油で仕上げているような感じ。
(京都名物 にしん蕎麦)
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長くなりますんで今日はこれぐらいでお仕舞い。
次回は今熊野から少し北側にある妙法院門跡や
関東に多くの末寺を持つ智積院を紹介しまっさ。
ほんなら、これでさいなら~