鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や    京都 今熊野を散策

2014-03-01 18:47:25 | 日記
今熊野という地名は平安時代に後白河上皇が
1160年(永暦元年)に紀州の熊野から

熊野の諸神を三十三間堂の東側に招き
新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を
創建したことから地名となったようでんな。

古い熊野に対して熊野の新宮・別宮という
ことで「今熊野」と呼ぶようになったとか。

昔はこの辺りは鳥辺野(とりべの)
又は鳥部野(とりべの)と呼びましたんや。

京都では「野」が付く地名が多いでっけど
これは殆どが昔の葬送地なんですわ。

「嵯峨野」に「化野」や「紫野」に
「蓮台野」や「高野」など。

「鳥辺野」は市内から近いことも有り
身近な葬送地だったようでっせ。

(鳥部山 現在は阿弥陀ケ峯) (標高192m)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

前々回に紹介しました豊臣秀吉の廟がある山で
平安時代には鳥部山(とりべやま)だったとか。

現在は東海道本線や新幹線が山の南側を
東山トンネルで抜けてますんや。

この山から眺めて南西側を「鳥戸野」(とりべの)と
書き貴族など高貴なお方の葬送地になりますんや。

反対に北西側を「鳥辺野」(とりべの)と書き
こちらは京都庶民の葬送地になってたんだって。

現在もこの山の裏手には京都市の中央斎場が有り
国道1号線を挟んで清水寺や大谷本廟もおます。

現在でも京都を代表する霊園が多く見られまっせ。

だから平安時代などは遺体を捨てて風葬や鳥葬が
行なわれる、おどろおどろした場所でしたんや。

当時は鴨川を三途の川と考え、それから東は
人も寄り付かぬ寂しい場所だったとか。

現在の清水寺舞台の下などは死体を捨てた所で
死臭を防ぐために舞台が高いんだとの説も。

現在の賑わいなどとても考えられないのが
当時の「鳥辺野」界隈だったようでっせ。

(東大路通り 今熊野)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

東大路通りはこの先で右へカーブして鴨川を渡ると
九条通りと名前が変わり五重塔で有名な東寺の
前に出るようになってますんや。

画像の右手に見える森は「新熊野神社」ですな。

(新熊野神社=いまくまのじんじゃ)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

後白河上皇時代の新熊野神社は応仁の乱で焼失し
江戸時代になってから後水尾天皇の皇子で

聖護院宮(しょうごいんのみや)道寛親王が
約500mほど南の東大路通りに再建されたのが
現在の新熊野神社なんだそうですわ。

朝廷にはお金がなかったけど後水尾天皇に輿入れした
徳川秀忠の娘で東福門院和子さまのお金が
この、お社の再建に大きな援助になったんだって。

(泉涌寺道)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

ここから東大路通りとお別れして「泉涌寺道」へ
入って行くことにしまひょ。

源氏物語にでてくる「夢の浮橋」がこの先に
在ったそうでっけど
現在は暗渠になって居て何処なのか分かりまへん。

この辺りは先程に書きました「鳥戸野」(とりべの)で
昔は高貴なお方の葬送地ということになりま。

(泉涌寺 総門)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

泉涌寺(せんにゅうじ)は明治維新までは皇室の
菩提寺でしたので「御寺」(みてら)とお呼びします。

この総門の側に「即成院」という塔頭がおますんや。

(泉涌寺の塔頭 即成院)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

読みづらいですが昔は伏見寺とよばれるお寺で
明治の廃仏毀釈でここへ移されたようで
那須与一の墓と伝えられる石塔があるんだって。

今回はパスして泉涌寺の参道を奥へ進みまひょ。

(今熊野観音寺) (西国三十三ヶ所第十五番札所)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

平成の4年にこのお寺に来てますんやけど
どうも記憶に残ってませんな。

こんな赤い橋があれば見覚えがあるはずなのに
当時はまだ赤い橋がなかったのかしら?

(今熊野観音寺 ご朱印) (平成4年に参詣)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

まさかタクシーで乗り付けたことは無いはずだし。

見事に、わての記憶から忘却の彼方になってまんがな。

(今熊野観音寺 赤い橋で自分撮り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

本堂を眺めても一向に昔の記憶が蘇りませんわ。

この日は同時に六角革堂へもお参りしてますんやけど
そちらの方は記憶が残っているのに何故でっしゃろ。

(今熊野観音寺 本堂)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

今熊野観音寺は昔は東山観音寺と呼んだそうな。

後白河上皇の頭痛を治したとかで上皇は生涯に
34回も熊野詣でをされているんですが
必ずここへお参りしてから熊野へ向かわれたとか。

そんな訳で「新那智山」という山号も
上皇さまから頂いたように記されてますので
後白河上皇が深く信仰されたお寺のようですな。

(今熊野観音寺 本堂の内部)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

これ以上は撮影禁止だから仕方がないですわ。

西国三十三ヶ所の第十五番札所としては
昔から有名なんでっけど
最近は「ぼけ封じ」のお参りが多いとか。

わても、「ぼけ封じ」をお願いをしときまひょ。

(今熊野観音寺 ぼけ封じの ご朱印)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(ぼけ封じの観音様)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(今熊野観音寺 境内の三重の石塔)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

平安時代の石塔だとは分かるんだけど応仁の乱で
由緒書きが焼失してしまったんでしょうな。

創建当時の三重の石塔とだけ説明されてましたよ。

ここの奥に霊園がおますんやけど、そこに
藤原三代のお墓が在ると聞いてましたんや。

係りの方にお聞きして足を延ばしてみましたで。

(藤原三代の墓) 


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

画像の向かって右から天台座主「慈円」中央が
関白太政大臣「藤原忠通」一番左側が
摂政「九条兼実」と言われていますね。

中央が保元の乱に登場する後白河天皇側の関白
両脇は関白「藤原忠通」の息子に当たる
兄の九条兼実と弟の大僧正慈円になりますんや。

九条兼実じゃなくて藤原長実との説もあるとか。

天台宗の座主をした「慈円」さんが何故に、ここ
真言宗のお寺にお墓があるのかも不思議ですな。

供養塔かも知れないけど現在も京都の冷泉家が
この宝塔を維持管理されているんだって。

藤原摂関家に関連する石塔には間違いはなさそう。

それでは泉涌寺の方へ向かいまひょかな。

(泉涌寺への参道)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(泉涌寺=せんにゅうじ 大門) (重要文化財)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

このお寺には今まで一度も訪れたような記憶がない。

京都の市内にもお寺は多く在るけど泉涌寺は割と
観光コースからは外れているような感じ。

(泉涌寺 本日は拝観無料)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

何だか得をしたような気分になりまんな。

ほんなら~ 泉涌寺の境内へ入りまひょ。

泉涌寺は真言宗の泉涌寺派の大本山なんだって。

江戸時代には皇室のお寺なので「御寺=みてら」
と呼ばれ、歴代の天皇が崩御されるとここの門主が
葬儀を主催しここの霊明殿にお祀りしたんだそうな。

(泉涌寺 仏殿)  (重要文化財)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

参道からこの建物を写すと良い感じなんだけど
残念ながら工事中でシートが被さってますな。

この工事が理由で拝観料が無料になってるのかな?

何度も同じコメントになりますんやけど
ここも応仁の乱で全ての建物が焼失してますんや。

京都市内では応仁の乱で焼かれなかったお寺ちゅうのが
珍しいということになりまんな。

徳川4代将軍家綱公の時代に再建されたとか。

戦前までは宮内省が修理などの費用は負担していたが
現在は普通の寺院と同じになっているとのこと。

(泉涌寺境内 大門を背景に自分撮り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(泉涌寺 本坊)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

読みづらいけど「香淳皇后」さまの月命日の表札が?

明治以降は皇室は仏教から離れて菩提寺もないはず。

でもここ泉涌寺では昭和天皇さまも香淳皇后さまも
江戸時代の天皇さまと同様にお祀りされていて
月命日に霊明殿でお祈りが続けられているようでんな。

江戸時代の天皇さまは「ご位牌」が残っているんだけど
昭和天皇さまや香淳皇后さまの「ご位牌」も
特別に泉涌寺ではお作りしてあるのかしら?

(泉涌寺の ご朱印)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

流石に皇室のお寺だけに16弁の菊の御紋が押してま。

この本坊の南側に「霊明殿」と言う大事な建物がおます。

江戸時代・歴代の天皇さまの「ご位牌」はここ
霊明殿にお祀りされているようでんな。

(泉涌寺 霊明殿)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(勅使門) (霊明殿への正門)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

現在も天皇陛下から命じられた勅使しか入れないようですな。

このお寺には今上天皇も即位の直後と即位10周年の
二度だけ歴代の天皇さまへ報告に立ち寄られているとか。

(泉涌水屋形=せんにゅうすいやかた)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

泉涌寺の名前が付けられた由来がこの湧き出る泉のようでっせ。

現在も湧き出ているとかで大事に管理されているようでんな。

(四條天皇他二十四方御陵参道 石碑)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

四條天皇とは鎌倉時代・承久の乱の後に即位した
後堀河天皇の皇子で続いて即位されたお方ですが
このお方で後高倉院の血統は絶えていますね。

その他は後水尾天皇以降の歴代江戸時代の天皇さまと
皇后さま皇太后さまや内親王さまですな。

(霊明殿をサイドから撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この霊明殿から東側に向かってに山裾に
「月輪陵=つきのわりょう」がおますんや。

おそらく江戸時代だから石塔の簡素なお墓が
並んでいるんだと思いますね。

明治になってから宮内省が立派に改装して
現在の形になったんだと思いますんや。

(泉涌寺内 月輪二十四陵)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

泉涌寺の方は戦後になってから宮内庁の管轄から外れ
現在は「泉涌寺を護る会」が維持管理しているとか。

この月輪二十四御陵だけは現在も宮内庁の管轄でんな。

(宮内庁の 月輪陵&後月輪陵  御名前掲示板)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

歴史上に登場するお方が並んでいますね。

ここに掲げられてる天皇や皇后さまの他に

単独で孝明天皇さまと英照皇太后さまの御陵が
近くで別に設けられているのは
やはり明治天皇のお父君だからでしょうな。

この、お二方の御陵は墳丘もあり立派だそうで
やはり明治政府の天皇家に対する配慮でしょうか。

最後に泉涌寺の入口を入ってすぐ左手に
楊貴妃観音がおますのでそれを貼り付けまっせ。

(泉涌寺境内 楊貴妃観音)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

暗くて楊貴妃観音さまは写りませんでした。

100円だけ出費して写真を購入しましたんや。

楊貴妃観音さまの説明は上の掲示板を読んで頂戴ね。


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

昼食は東大路通りへ戻って小さな蕎麦屋さんへ入りましたで。

なんでも幕末から続く4代目のお婆さまがご店主のよう。

化学調味料は一切使わない自家製の自慢の出汁を使っている
昆布に鰹節と薄口醤油で仕上げているような感じ。

(京都名物 にしん蕎麦)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

長くなりますんで今日はこれぐらいでお仕舞い。

次回は今熊野から少し北側にある妙法院門跡や
関東に多くの末寺を持つ智積院を紹介しまっさ。

ほんなら、これでさいなら~