JR宮島口駅から普通電車で約20分ぐらいで山口県に入りま。
確か広島県の大竹市の先で小瀬川を渡ったのが県境かしら?
川を挟んで三井化学の工場が両県にまたがっておますんや。
戦後に日本で最初の石油化学コンビナートが出来たのが、ここ
広島県大竹市と山口県の岩国市なんだって。
戦前の海軍や陸軍の敷地が多かったので戦後は民間に払い下げられ
帝人・日本製紙・東洋紡・三菱レイヨン・三井化学など。
現在も瀬戸内工業地帯として、有名企業が稼働してまっせ。
(JR山陽本線 岩国駅舎)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
今でこそ地方都市に良く在るJRの駅でっけど、SLの時代には
岩国駅には大きな機関庫があって貨物の取り扱いも多かったんでっせ。
広島方面からきたSLはここで水と石炭を補給し西へ向かったんですわ。
鉄ちゃん爺やが高校の修学旅行で、ここに夕方に到着して30分ぐらい
SLが停車中にホームで手足を伸ばして屈伸運動をしましたね。
そんな訳で現在もJR西日本の広島地区と山口地区の分岐点でおます。
当時の面影は無いけど留め置き用の線路が今も数多く残っていて
華やかな時代の名残が少しだけですが感じられますな。
鉄ちゃん爺やが乗ってきた普通電車もここで折り返しの終点ですわ。
(JR岩国駅前で ラッピングバス)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
宇野千代さんはここ岩国市がお生れの土地だったんだそうな。
代表作品の「おはん」でラッピングされて市バスが走ってまっせ。
この方は私が関東に単身赴任していた頃に98歳でしたかな
都内の虎ノ門病院でお亡くなりになったとか聞きましたな。
JR岩国駅前から路線バスで約15分~20分ぐらい走りますんや。
日本三大名橋として有名な錦帯橋=きんたいきょう、へ向かいまひょ。
(名勝 錦帯橋の石碑)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この錦帯橋(きんたいきょう)は約200mの川幅がある一級河川の錦川を
アーチ橋3連を中央部に両端に反り橋を2連加えて造られてまんねんで。
この錦帯橋を造らせたのは岩国藩3代藩主 吉川広嘉(きっかわひろよし)で
江戸時代の1673年(延宝元年)に城下町と陣屋を結ぶ為だった言われてま。
この初代の橋は翌年に早くも錦川の洪水で流失し、翌年から再建された橋が
約200年経った昭和の時代まで残り、日本三大名橋と呼ばれるように成り
岩国市と言えば錦帯橋(きんたいきょう)と呼ばれるようになったとか。
この2代目の錦帯橋が1950年(昭和25年)のキジア台風で流失。
1953年(昭和28年)に3代目の錦帯橋が再建されたと言われてま。
2004年(平成16年)に架け替え工事が50年ぶりに行われて
現在の錦帯橋は創建から数えて4代目ということに成るんだって。
(錦帯橋の入場券 往復で300円)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
錦帯橋の保護と修復に観光客から入場料として往復で300円を徴収する
そんな訳で、通行料とは呼ばないとか言われてますんや。
なんでも対岸に住む住民は無料で渡れるとか聞きましたんや
これは確認した訳じゃないので定かじゃおまへんけどな。
江戸時代に庶民はこの錦帯橋を渡る許しは貰えなかったとの説。
だから渡れたのは岩国藩の武士や本家の毛利藩士だけだったようでっせ。
(錦帯橋の上から撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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(一級河川 錦川の流れ)
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錦帯橋の上から眺めてる内に3匹ぐらい鮎が釣れてましたで。
やはり上流に大きな町がないので水は奇麗な清流なので羨ましい。
橋の上から対岸の山の方を撮影して見まひょ。
(岩国城 天守閣) (1963年・昭和37年再建)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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岩国藩は江戸時代には参勤交代をする大名として幕府は認めていたのに
本家の毛利藩が大名として認めず陪臣としての待遇しか与えなかったとか。
だから正式には岩国藩じゃなく岩国領として考えられていたそうでっせ。
初代藩主の吉川広家は毛利藩を率いて関ヶ原へ出陣したんだけど毛利藩家老
福原広俊と計り東軍の徳川家康に内応して兵を動かさなかったんだそうな。
処が戦後になって毛利輝元が西軍の総帥として動いたとの証拠を掴み
吉川広家と取り決めた毛利家の領土の安堵約束を破棄したんだって。
吉川広家は自分に与えられた30万石を放棄し本家の毛利家に譲るように
徳川家康の了承を得て毛利藩本家を守り通したとされています。
でも100万石の毛利家が30万石に減封されたのは吉川広家だとの思いが
毛利本家には有って江戸時代を通じて本家とは疎遠な付き合いが続いたとか。
元和の一国一城令により岩国城は破却されたけど、周防の国には岩国城しか
存在しないのに毛利家に遠慮しての処置は吉川広家の考えだったようですわ。
だから3万石から寛永時代に6万石になったけど損な役割をしたようでんな。
(佐々木小次郎の像)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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広島の孫がまだ小学校の2~3年生の頃にこの小次郎の像の前で
鉄ちゃん爺やと写真を写したのも早いもんで7年前になりますんや。
その時に初めて佐々木小次郎が岩国生まれなんだと知りましたけど。
(吉川経家の 弔魂碑)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
明治になってから建てられた碑だけど、吉川経家(きっかわつねいえ)
この方は戦国時代末に毛利家の先方として鳥取城に入っていた武将で
豊臣秀吉の鳥取城包囲作戦に破れて、家臣と庶民の命を助ける条件で
切腹した方で、岩国藩の吉川家の分家にあたる方ですな。
この方も、毛利本家の為に損な役目を勤めて亡くなったようですわ。
元々が毛利本家を支える為に吉川元春が養子に入った家系だから
その三男の吉川広家も分家の吉川経家も宿命と考えていたんでしょうな。
(岩国名物 日本一100種類ソフトクリーム)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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「むさし」と「小次郎商店」が隣同士で同じソフトクリームの販売。
モメ事がないのは両家が親戚同士だとの説が有るようでっせ。
確かに100種類のソフトクリームなんて、ここでしか見れまへんけど。
もう一度だけ錦帯橋を河川敷に降りて下から眺めて見まひょ。
(槍倒し松) (やりこかしまつ と読む)
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(巌流 ゆかりの柳)
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両方ともに説明書きを貼り付けて置きますんで読んで貰いまひょ。
これらは錦帯橋の側に在りましたんで写しましたんや。
(錦帯橋 錦川の河原から撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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木材は全て国産の木を全国から集めて巻き金とカスガイのみを使ってあるとか。
松やクヌギやヒバなど五種類の木が使われていると書かれてましたで。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(錦川 鵜飼の船)
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錦帯橋の「う飼い」も岐阜県の長良川の鵜飼いと並んで有名なんですよ。
やはり、どちらも清流で鮎も多く生息しているようですわ。
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それじゃ、そろそろ広島の娘の家へ戻ることにしまひょ。
錦帯橋バス停もなかなか、洒落た建物でしたで。
(錦帯橋バス停)
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帰りのJR岩国駅行きのバスは国道2号線で渋滞に遭遇しましたわ。
岩国市には岩国錦帯橋空港が官民共同で出来たそうでんな。
(国道2号線の渋滞を 路線バスから撮影)
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岩国市は山口県と言っても県庁所在地の山口市までは約100km。
逆に広島市までは約40kmでJR岩国駅から普通電車で約1時間。
そんな訳で、住民は山口市よりは広島市の方に親密さを感じるんだって。
テレビやラジオも広島の放送を観たり聞いたりする方が多いとか。
これは江戸時代に長州藩から冷遇された岩国藩じだいからの
反骨精神が少しは影響をしているのかもしれませんな。
(岩国市の マンホールの蓋)
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岩国市の錦帯橋の附近には天然記念物の「シロ蛇」や吉川家の家老屋敷などが
公開されてますが、今回は時間が足らないので省略しました。
岩国城からの眺めも良いように聞きましたが今回はパスしました。
次回は広島県でも東の方で備後の国になる尾道市を紹介しまひょ。
ほな、今日はこれで失礼しまっさ さいなら~♪
確か広島県の大竹市の先で小瀬川を渡ったのが県境かしら?
川を挟んで三井化学の工場が両県にまたがっておますんや。
戦後に日本で最初の石油化学コンビナートが出来たのが、ここ
広島県大竹市と山口県の岩国市なんだって。
戦前の海軍や陸軍の敷地が多かったので戦後は民間に払い下げられ
帝人・日本製紙・東洋紡・三菱レイヨン・三井化学など。
現在も瀬戸内工業地帯として、有名企業が稼働してまっせ。
(JR山陽本線 岩国駅舎)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
今でこそ地方都市に良く在るJRの駅でっけど、SLの時代には
岩国駅には大きな機関庫があって貨物の取り扱いも多かったんでっせ。
広島方面からきたSLはここで水と石炭を補給し西へ向かったんですわ。
鉄ちゃん爺やが高校の修学旅行で、ここに夕方に到着して30分ぐらい
SLが停車中にホームで手足を伸ばして屈伸運動をしましたね。
そんな訳で現在もJR西日本の広島地区と山口地区の分岐点でおます。
当時の面影は無いけど留め置き用の線路が今も数多く残っていて
華やかな時代の名残が少しだけですが感じられますな。
鉄ちゃん爺やが乗ってきた普通電車もここで折り返しの終点ですわ。
(JR岩国駅前で ラッピングバス)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
宇野千代さんはここ岩国市がお生れの土地だったんだそうな。
代表作品の「おはん」でラッピングされて市バスが走ってまっせ。
この方は私が関東に単身赴任していた頃に98歳でしたかな
都内の虎ノ門病院でお亡くなりになったとか聞きましたな。
JR岩国駅前から路線バスで約15分~20分ぐらい走りますんや。
日本三大名橋として有名な錦帯橋=きんたいきょう、へ向かいまひょ。
(名勝 錦帯橋の石碑)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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この錦帯橋(きんたいきょう)は約200mの川幅がある一級河川の錦川を
アーチ橋3連を中央部に両端に反り橋を2連加えて造られてまんねんで。
この錦帯橋を造らせたのは岩国藩3代藩主 吉川広嘉(きっかわひろよし)で
江戸時代の1673年(延宝元年)に城下町と陣屋を結ぶ為だった言われてま。
この初代の橋は翌年に早くも錦川の洪水で流失し、翌年から再建された橋が
約200年経った昭和の時代まで残り、日本三大名橋と呼ばれるように成り
岩国市と言えば錦帯橋(きんたいきょう)と呼ばれるようになったとか。
この2代目の錦帯橋が1950年(昭和25年)のキジア台風で流失。
1953年(昭和28年)に3代目の錦帯橋が再建されたと言われてま。
2004年(平成16年)に架け替え工事が50年ぶりに行われて
現在の錦帯橋は創建から数えて4代目ということに成るんだって。
(錦帯橋の入場券 往復で300円)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
錦帯橋の保護と修復に観光客から入場料として往復で300円を徴収する
そんな訳で、通行料とは呼ばないとか言われてますんや。
なんでも対岸に住む住民は無料で渡れるとか聞きましたんや
これは確認した訳じゃないので定かじゃおまへんけどな。
江戸時代に庶民はこの錦帯橋を渡る許しは貰えなかったとの説。
だから渡れたのは岩国藩の武士や本家の毛利藩士だけだったようでっせ。
(錦帯橋の上から撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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(一級河川 錦川の流れ)
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錦帯橋の上から眺めてる内に3匹ぐらい鮎が釣れてましたで。
やはり上流に大きな町がないので水は奇麗な清流なので羨ましい。
橋の上から対岸の山の方を撮影して見まひょ。
(岩国城 天守閣) (1963年・昭和37年再建)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
岩国藩は江戸時代には参勤交代をする大名として幕府は認めていたのに
本家の毛利藩が大名として認めず陪臣としての待遇しか与えなかったとか。
だから正式には岩国藩じゃなく岩国領として考えられていたそうでっせ。
初代藩主の吉川広家は毛利藩を率いて関ヶ原へ出陣したんだけど毛利藩家老
福原広俊と計り東軍の徳川家康に内応して兵を動かさなかったんだそうな。
処が戦後になって毛利輝元が西軍の総帥として動いたとの証拠を掴み
吉川広家と取り決めた毛利家の領土の安堵約束を破棄したんだって。
吉川広家は自分に与えられた30万石を放棄し本家の毛利家に譲るように
徳川家康の了承を得て毛利藩本家を守り通したとされています。
でも100万石の毛利家が30万石に減封されたのは吉川広家だとの思いが
毛利本家には有って江戸時代を通じて本家とは疎遠な付き合いが続いたとか。
元和の一国一城令により岩国城は破却されたけど、周防の国には岩国城しか
存在しないのに毛利家に遠慮しての処置は吉川広家の考えだったようですわ。
だから3万石から寛永時代に6万石になったけど損な役割をしたようでんな。
(佐々木小次郎の像)
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広島の孫がまだ小学校の2~3年生の頃にこの小次郎の像の前で
鉄ちゃん爺やと写真を写したのも早いもんで7年前になりますんや。
その時に初めて佐々木小次郎が岩国生まれなんだと知りましたけど。
(吉川経家の 弔魂碑)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
明治になってから建てられた碑だけど、吉川経家(きっかわつねいえ)
この方は戦国時代末に毛利家の先方として鳥取城に入っていた武将で
豊臣秀吉の鳥取城包囲作戦に破れて、家臣と庶民の命を助ける条件で
切腹した方で、岩国藩の吉川家の分家にあたる方ですな。
この方も、毛利本家の為に損な役目を勤めて亡くなったようですわ。
元々が毛利本家を支える為に吉川元春が養子に入った家系だから
その三男の吉川広家も分家の吉川経家も宿命と考えていたんでしょうな。
(岩国名物 日本一100種類ソフトクリーム)
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「むさし」と「小次郎商店」が隣同士で同じソフトクリームの販売。
モメ事がないのは両家が親戚同士だとの説が有るようでっせ。
確かに100種類のソフトクリームなんて、ここでしか見れまへんけど。
もう一度だけ錦帯橋を河川敷に降りて下から眺めて見まひょ。
(槍倒し松) (やりこかしまつ と読む)
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(巌流 ゆかりの柳)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
両方ともに説明書きを貼り付けて置きますんで読んで貰いまひょ。
これらは錦帯橋の側に在りましたんで写しましたんや。
(錦帯橋 錦川の河原から撮影)
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木材は全て国産の木を全国から集めて巻き金とカスガイのみを使ってあるとか。
松やクヌギやヒバなど五種類の木が使われていると書かれてましたで。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(錦川 鵜飼の船)
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錦帯橋の「う飼い」も岐阜県の長良川の鵜飼いと並んで有名なんですよ。
やはり、どちらも清流で鮎も多く生息しているようですわ。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
それじゃ、そろそろ広島の娘の家へ戻ることにしまひょ。
錦帯橋バス停もなかなか、洒落た建物でしたで。
(錦帯橋バス停)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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帰りのJR岩国駅行きのバスは国道2号線で渋滞に遭遇しましたわ。
岩国市には岩国錦帯橋空港が官民共同で出来たそうでんな。
(国道2号線の渋滞を 路線バスから撮影)
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岩国市は山口県と言っても県庁所在地の山口市までは約100km。
逆に広島市までは約40kmでJR岩国駅から普通電車で約1時間。
そんな訳で、住民は山口市よりは広島市の方に親密さを感じるんだって。
テレビやラジオも広島の放送を観たり聞いたりする方が多いとか。
これは江戸時代に長州藩から冷遇された岩国藩じだいからの
反骨精神が少しは影響をしているのかもしれませんな。
(岩国市の マンホールの蓋)
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岩国市の錦帯橋の附近には天然記念物の「シロ蛇」や吉川家の家老屋敷などが
公開されてますが、今回は時間が足らないので省略しました。
岩国城からの眺めも良いように聞きましたが今回はパスしました。
次回は広島県でも東の方で備後の国になる尾道市を紹介しまひょ。
ほな、今日はこれで失礼しまっさ さいなら~♪