JR大阪駅前が変わりつつおますんや。
5年~10年ぐらい前の画像と合わせて移り行く姿を紹介しまひょ。
(JR大阪駅の銘板)
(JR大阪駅に到着する 直前の車窓から)
(JR大阪駅 観光用の駅名標)
(JR大阪駅 ノースゲートビル)
(JR大阪駅 サウスゲートビル)
JR大阪駅は西日本一の乗降客のあるメインの駅なんですよ。
同じ場所に乗り入れている私鉄や大阪メトロは「梅田駅」と呼ぶんで
他府県から来られた方には、迷わすような地名に成ってますんや。
インバウンドで来られた外国の方にも分かりやすくすべきだとの事から。
(阪急電車の 駅名標) (2015年8月撮影)
そんな事情から、阪急電鉄と阪電鉄では2019年10月から
「大阪 梅田駅」と名称を変更したそうですわ。
残念ながら新型コロナの影響でデジカメ撮影が出来てまへん。
(阪急電車のマルーン色は 昔から変わらず)(2017年7月撮影)
阪急電車の塗装は創業者である小林一三さんの考えを今も踏襲し
他の私鉄やJRさんとは違って、伝統の塗装を守ってまんねんで。
汚れの目立たないビンテージワインの色なんだとの説がおますかな。
二つ目の画像の行き先表示も「京都 河原町」に変更されたと聞いてまぁ。
(大阪メトロ 駅名標) (2016年8月撮影)
地下鉄の大阪メトロさんはそのままの表示のようでんな。
大阪人なら常識で別に「梅田駅」で十分なんでっけど。
「梅田=うめだ」を音読みにしたら「梅田=バイデン」だと
米国の次期大統領の名前に成ると、ネットで噂のようですわ。
色んな事を考える人が居るもんだと感心しました。
それではJR大阪駅前の移り変わりに入りまっせ。
(旧 大阪中央郵便局) (2009年5月撮影)
1939年(昭和14年)から使用されてましたが老朽化し
2009年(平成21年)に閉鎖と成ったと記憶しまんねん。
昔は大阪駅前には大型の観光バスが停められないことも有って
鉄ちゃん爺やも慰安旅行でこの前で集合したことがおましたで。
確か現在は取り壊されて更地になってましたが郵政グループで
オフイスビルを建てるとか聞いてまっけど、新型コロナで
1年近く訪れてまへん、工事が始まっているのか不明でおます。
次はJR大阪駅の南側に眼を移して見まひょかな。
(旧 大阪神ビル=阪神百貨店本店) (2013年10月撮影)
(梅田新歩道橋から 旧の大阪神ビルを撮影)(2013年10月撮影)
見慣れた風景でしたが2014年(平成26年)から改修工事が
始まり二期に分けて2022年(令和4年)まで続くんだって。
完成したら38階建ての188.9mのビルになるそうですわ。
(旧 新阪急ビル & 大阪神ビル) (2012年11月撮影)
画像の向かって左が新阪急ビルで2014年から解体が始まり
2018年(平成30年)に一期工事が終わったのかな?
画像の向かって右が旧の大阪神ビルで一期工事の終了後に
取り壊されて第二期工事が始まっているようでんな。
阪神百貨店がこの新しいビルに移動して新装オープンだったはず。
確か当初は「梅田1丁目1番地計画」という仮称だったけど
「大阪梅田ツインタワー・サウス」と名称が決まったんだね。
(一期工事が終了した 大阪梅田ツインタワー・サウス) (2019年10月撮影)
(解体工事が始まった 旧の大阪神ビル) (2019年10月撮影)
現在は撮影後で約1年が経過してますんで第二期工事も随分と
進行してると思いまんねん、生憎と新型コロナで撮影が不能でおます。
百貨店は9階までを使用し、それから上部はオフイスなどに成るそうで
2021年(令和3年)秋には百貨店の部分は完成だそうですわ。
だから今は解体も終わり9階ぐらいの建物は出来つつ有るのかも?
次にに昭和年代の国鉄時代の大阪駅舎を紹介して置きまひょ。
(国鉄時代の三代目 大阪駅舎) (我が街の図書館の写真集より)
大阪市の市電が写ってないので昭和45年前後の画像かも知れまへん。
三代目の大阪駅舎は1943年(昭和18年)に建設中でしたが
戦況が厳しくなり工事中の鉄骨を解体して軍に献上したそうですわ。
左右の建物の鉄骨を解体し軍に献上したので変てこな駅舎になったとも。
本来は5階建てのホテルも完備した駅舎になる予定だったんだって。
鉄ちゃん爺やには疎開から戻った時や高校時代の修学旅行などに
乗車した想い出のある懐かしい国鉄・大阪駅舎でもあるんでっせ。
大阪駅舎の四代目が完成したのは1984年(昭和59年)頃で
三代目の駅舎は私たちの年代には想い出の多い駅舎なんですわ。
平成の時代に大幅に改装されて現在の駅舎は五代目になるそうで
立派になりましたが、大阪の経済の方が萎んでいますよね。
(大阪駅前の 古い画像) (我が街の図書館の写真集より)
画像の右側が曽根崎警察で建設された1929年(昭和9年)には
東洋一と言われた立派な警察署の庁舎で「大大阪」の時代の建物でっせ。
現在は新庁舎に変わり外壁の英国製のタイルが当時の面影を残すために
2階にある免許証更新のフロアの一角に飾られているそうですわ。
大阪の市電が写っているので1950年代の写真でしょうかな?
画像の向かって左上部の建物は当時の阪急百貨店の建物の感じで
路面電車が走って居る道路は御堂筋の、ここが起点に成りまんねん。
(現在の 大阪府警 曽根崎警察庁舎)
回りに高いビルが出来て、影が薄くなつてきましたかな。
現在でも、大阪市内のキタや梅田地区を管轄する警察署で
大阪府警でもエリートが幹部に就く警察署でもおます。
(旧 阪急百貨店 梅田本店) (我が街の図書館の写真集より)
画像の左隅に歩道橋の階段が写ってますので歩道橋が完成した
1964年(昭和39年)以降の姿だと考えられますかな。
平成になって新しい「阪急梅田ビル」に改装されましたんや。
(現在の 阪急梅田ビル)(41階建て 186.9m)
建設中の大阪梅田ツインタワーズ・サウスが完成した後の話。
この「阪急梅田ビル」は「大阪梅田ツインタワーズ・ノース」に
名称が変更に成る予定ですわ、合わせてツインタワーでっせ。
JR大阪駅や梅田界隈では伊丹空港への飛行航路の近くになるので
190m以上のビルは現在も建てられないことになってますんや。
だから高さが約188mぐらいのビルが多いように思いまんねん。
(梅田新歩道橋 寄贈の銘板) (2016年4月撮影)
1964年(昭和39年)10月に今は亡き松下電器の創業者
松下幸之助さんが寄贈された当時は日本一の歩道橋だったとか。
最近は所有者の大阪市がネーミングライツ(命名権)募集し
2014年(平成26年)には地元大阪のロート製薬さんが。
次いで2017年(平成29年)からは阪急・阪神さんが獲得し
「阪急・阪神連絡デッキ 梅田新歩道橋」と名付けているんだとか。
年間610万円でネーミングライツが獲得できるそうでっせ。
長くなりましたので、今回はここでお仕舞にしまひょ。
次回はパート2でJR大阪駅北側付近を紹介しまひょかな。
ほな~ これで、さいなら~♪
5年~10年ぐらい前の画像と合わせて移り行く姿を紹介しまひょ。
(JR大阪駅の銘板)
(JR大阪駅に到着する 直前の車窓から)
(JR大阪駅 観光用の駅名標)
(JR大阪駅 ノースゲートビル)
(JR大阪駅 サウスゲートビル)
JR大阪駅は西日本一の乗降客のあるメインの駅なんですよ。
同じ場所に乗り入れている私鉄や大阪メトロは「梅田駅」と呼ぶんで
他府県から来られた方には、迷わすような地名に成ってますんや。
インバウンドで来られた外国の方にも分かりやすくすべきだとの事から。
(阪急電車の 駅名標) (2015年8月撮影)
そんな事情から、阪急電鉄と阪電鉄では2019年10月から
「大阪 梅田駅」と名称を変更したそうですわ。
残念ながら新型コロナの影響でデジカメ撮影が出来てまへん。
(阪急電車のマルーン色は 昔から変わらず)(2017年7月撮影)
阪急電車の塗装は創業者である小林一三さんの考えを今も踏襲し
他の私鉄やJRさんとは違って、伝統の塗装を守ってまんねんで。
汚れの目立たないビンテージワインの色なんだとの説がおますかな。
二つ目の画像の行き先表示も「京都 河原町」に変更されたと聞いてまぁ。
(大阪メトロ 駅名標) (2016年8月撮影)
地下鉄の大阪メトロさんはそのままの表示のようでんな。
大阪人なら常識で別に「梅田駅」で十分なんでっけど。
「梅田=うめだ」を音読みにしたら「梅田=バイデン」だと
米国の次期大統領の名前に成ると、ネットで噂のようですわ。
色んな事を考える人が居るもんだと感心しました。
それではJR大阪駅前の移り変わりに入りまっせ。
(旧 大阪中央郵便局) (2009年5月撮影)
1939年(昭和14年)から使用されてましたが老朽化し
2009年(平成21年)に閉鎖と成ったと記憶しまんねん。
昔は大阪駅前には大型の観光バスが停められないことも有って
鉄ちゃん爺やも慰安旅行でこの前で集合したことがおましたで。
確か現在は取り壊されて更地になってましたが郵政グループで
オフイスビルを建てるとか聞いてまっけど、新型コロナで
1年近く訪れてまへん、工事が始まっているのか不明でおます。
次はJR大阪駅の南側に眼を移して見まひょかな。
(旧 大阪神ビル=阪神百貨店本店) (2013年10月撮影)
(梅田新歩道橋から 旧の大阪神ビルを撮影)(2013年10月撮影)
見慣れた風景でしたが2014年(平成26年)から改修工事が
始まり二期に分けて2022年(令和4年)まで続くんだって。
完成したら38階建ての188.9mのビルになるそうですわ。
(旧 新阪急ビル & 大阪神ビル) (2012年11月撮影)
画像の向かって左が新阪急ビルで2014年から解体が始まり
2018年(平成30年)に一期工事が終わったのかな?
画像の向かって右が旧の大阪神ビルで一期工事の終了後に
取り壊されて第二期工事が始まっているようでんな。
阪神百貨店がこの新しいビルに移動して新装オープンだったはず。
確か当初は「梅田1丁目1番地計画」という仮称だったけど
「大阪梅田ツインタワー・サウス」と名称が決まったんだね。
(一期工事が終了した 大阪梅田ツインタワー・サウス) (2019年10月撮影)
(解体工事が始まった 旧の大阪神ビル) (2019年10月撮影)
現在は撮影後で約1年が経過してますんで第二期工事も随分と
進行してると思いまんねん、生憎と新型コロナで撮影が不能でおます。
百貨店は9階までを使用し、それから上部はオフイスなどに成るそうで
2021年(令和3年)秋には百貨店の部分は完成だそうですわ。
だから今は解体も終わり9階ぐらいの建物は出来つつ有るのかも?
次にに昭和年代の国鉄時代の大阪駅舎を紹介して置きまひょ。
(国鉄時代の三代目 大阪駅舎) (我が街の図書館の写真集より)
大阪市の市電が写ってないので昭和45年前後の画像かも知れまへん。
三代目の大阪駅舎は1943年(昭和18年)に建設中でしたが
戦況が厳しくなり工事中の鉄骨を解体して軍に献上したそうですわ。
左右の建物の鉄骨を解体し軍に献上したので変てこな駅舎になったとも。
本来は5階建てのホテルも完備した駅舎になる予定だったんだって。
鉄ちゃん爺やには疎開から戻った時や高校時代の修学旅行などに
乗車した想い出のある懐かしい国鉄・大阪駅舎でもあるんでっせ。
大阪駅舎の四代目が完成したのは1984年(昭和59年)頃で
三代目の駅舎は私たちの年代には想い出の多い駅舎なんですわ。
平成の時代に大幅に改装されて現在の駅舎は五代目になるそうで
立派になりましたが、大阪の経済の方が萎んでいますよね。
(大阪駅前の 古い画像) (我が街の図書館の写真集より)
画像の右側が曽根崎警察で建設された1929年(昭和9年)には
東洋一と言われた立派な警察署の庁舎で「大大阪」の時代の建物でっせ。
現在は新庁舎に変わり外壁の英国製のタイルが当時の面影を残すために
2階にある免許証更新のフロアの一角に飾られているそうですわ。
大阪の市電が写っているので1950年代の写真でしょうかな?
画像の向かって左上部の建物は当時の阪急百貨店の建物の感じで
路面電車が走って居る道路は御堂筋の、ここが起点に成りまんねん。
(現在の 大阪府警 曽根崎警察庁舎)
回りに高いビルが出来て、影が薄くなつてきましたかな。
現在でも、大阪市内のキタや梅田地区を管轄する警察署で
大阪府警でもエリートが幹部に就く警察署でもおます。
(旧 阪急百貨店 梅田本店) (我が街の図書館の写真集より)
画像の左隅に歩道橋の階段が写ってますので歩道橋が完成した
1964年(昭和39年)以降の姿だと考えられますかな。
平成になって新しい「阪急梅田ビル」に改装されましたんや。
(現在の 阪急梅田ビル)(41階建て 186.9m)
建設中の大阪梅田ツインタワーズ・サウスが完成した後の話。
この「阪急梅田ビル」は「大阪梅田ツインタワーズ・ノース」に
名称が変更に成る予定ですわ、合わせてツインタワーでっせ。
JR大阪駅や梅田界隈では伊丹空港への飛行航路の近くになるので
190m以上のビルは現在も建てられないことになってますんや。
だから高さが約188mぐらいのビルが多いように思いまんねん。
(梅田新歩道橋 寄贈の銘板) (2016年4月撮影)
1964年(昭和39年)10月に今は亡き松下電器の創業者
松下幸之助さんが寄贈された当時は日本一の歩道橋だったとか。
最近は所有者の大阪市がネーミングライツ(命名権)募集し
2014年(平成26年)には地元大阪のロート製薬さんが。
次いで2017年(平成29年)からは阪急・阪神さんが獲得し
「阪急・阪神連絡デッキ 梅田新歩道橋」と名付けているんだとか。
年間610万円でネーミングライツが獲得できるそうでっせ。
長くなりましたので、今回はここでお仕舞にしまひょ。
次回はパート2でJR大阪駅北側付近を紹介しまひょかな。
ほな~ これで、さいなら~♪
何千倍の違いですね~。。
昨日銀行の後駅前を歩いてきましたが
10年20年変わりのない風景です。
コロナのせいか歩いている人も少ないです。
大阪駅、最後に行ったのは何年前かしら?
十年位?
娘夫婦は、大学が京都だし、
婿は大阪人なのでね、身近な駅だと思います。
梅田は、阪急沿線に住んでいた私にとっては、なじみ深い場所です。
阪急百貨店のビル、懐かしいですねぇ。
ステンドグラスのところで、大学時代、夜に酔っぱらってバレーボールしたこと思い出しました。
今、同じような光景をみると、きっと、馬鹿な大学生が、ケシカランと思うのですが。。。
今の大学生はそんなアホなことはしませんね。
大阪駅の北側も2025年ぐらいには
大きく変わるそうですが、私は生きていても
デジカメ散歩が出来るぐらいの体力が
残っているのかは疑問ですけど。
そのまま残っている風景も大事だと思います。
ご当地の倉敷市内などはそのまま残したいですね。
少し手前の南柏駅には関東に単身赴任中は
月に1~2度は訪れていました。
普通電車しか停まらないので柏駅駅や取手駅の方が
便利な街だと考えていあmしたね。
高くて今のように色々と写せないでしたよね。
息子と国鉄を乗り回した時代はフイルムの時代で
36枚撮りで一回の旅行になりましたね。
今はデジカメで100枚ぐらいは軽く一回の
旅行で写せる時代に成りましたかな。
梅田界隈は社用でのみ行くだけの街でしたね。
流石に引退して15年に成りますので
飲み屋さんも殆どが代替わりされてますかな。