地震が起こってから9日経ちました。
今も被災地では悲しみ苦しんでいる方々がおられることにとても心が痛みます。心からお見舞い申し上げます。
お野菜のお客様や友人たちからたくさんのご心配の声を頂きました。ありがとうございます。私たちは元気です。
このことを忘れたくないので、書いておこうと思います。
あの日地震が起こった時、私たちはちょうど畑から自宅に戻ってくる途中、もうちょっとで家の前、という所にいました。ハル君は背中にいて、幸いなことにのび(犬)まで連れて歩いていました。揺れが始まるとその大きさにびっくりしましたが、古い家が心配になり急いで庭先までかけていって見守りました。何ともいえぬ嫌な音を立てながら揺れる地面、瓦が崩れ始め、近所の石塀が倒れ、怖がるのびを抱きかかえながら、それでも比較的冷静に、どこまで壊れてしまうんだろう、と思ったあたりで、揺れはひとまず止みました。
大きな余震がたびたびで怖かったけれど、でも、この程度の被害で済んでよかった、というのが、初期段階の感想でした。すぐ近所の人たちも出てきて地震が怖かったこと、被害の様子などを確認しあい、連帯感を持ってこの状況にあたれたことも良かったんだと思います。
保育所にハナを迎えに行くと、よく泣いていました。。お昼寝中だったため、「おやつ食べられなかったの」というので、子供たちに残りご飯と焼き海苔を与えると、二人でよく食べすぐに落ち着き、家の中は余震で危ないので、車の中で遊ばせました。
停電中でした。いつ復旧するのかわからなかったので、父ちゃんはまだ明るいうちでしたが、割れ物が散乱する台所で、夕ご飯作りに取り掛かりました。プロパンガスは元気でしたので助かりました。ご飯を炊いて、はなの好きなカレーを作り、ブロッコリまでゆでてくれました。
私は出荷の荷物を仕上げ、集荷場へ。ところが地震の影響で集荷不能と知らされ、まだ全体の地震の大きさを全く把握できていない頃でしたので、ちょっと意外な思いで帰宅。電気なんかすぐ戻るんだろうなぁ、なんて思いながら、懐中電灯やろうそくを探し、部屋を少し片付け、布団を敷く準備までしていました。のんきでした。
地震から2日間は電気のない暮らし。(水道が復旧したのは6日後でした)でも、米も野菜もあるし、珍しいことにポリタンク1本に水が貯めてあったし、庭の浅井戸の蓋をあけてバケツを落として汲みあげれば生活用水は大丈夫、日中の暖かいうちにその水をかまどで沸かして風呂に運び体を洗ったり、軽く農作業も進めつつ、近所の仲間といつも以上に連絡を取り合ったり一緒にご飯を食べたり、冷凍庫の中身を片付けたり。情報は時折つけるラジオのみ。原発のことは心配でしたが、その時もっと大変なことになっている被災地のことにはあまり思いを寄せず、今思えば、勝手に、平和な時間がありました。
地震から2日目の夕方、そろそろ暗くなるよ~早く夕ごはん食べなくっちゃ、と急いでいたころだと思います。父ちゃんがぱっと開けた冷蔵庫内の電気が、ついてる!!!急いで部屋の明かりをつけると、ついた!電気来た~~~!!!と飛び上がって喜びました。明るい部屋にどれだけ安心したことか・・・
そのあと、震災後初めてついたテレビの、その映像にくぎ付けになったのです。ラジオで聞いてはいたけど、ここまでとは・・・なんで、どうして、、から始まり、日本中の人がみんなそうであるように暗く暗く悲しい、やるせない気持ちになりました。
火曜日から東京の実家に来ています。子供たちを少しでも原発から離しておきたいという思いからです。どうせ水道がなく保育所も休み、怖さや心配があるのなら、ばあばの家に行ってればいいじゃない、と、あまり深く考えずに。
色んな情報が流れていて、もともと無知な私たちにとっては、何を信じていいのか、ものすごく危険な状態がやってくる可能性があるのか、そうでもないのか。私たちよりも、もっと原発に近い地域で被災されて苦しんでいる人がいる現実、もっと原発に近い地域で変わらず日常を営んでいる人々のこと、変わらず畑を続ける農業者、家の周りの地元の人々、、私たちばかりこんなところに来ていて申し訳ないという思い、もしもものすごく大変なことになった時には茨城にいても東京にいても大差ないんじゃないか、という疑問、畑の作業が進まないという焦り、(夫は時々茨城に戻り最低限の作業をやっていますが)、他にもいろいろ、、色んな思いが揺れ動いて、少しずつその揺れ幅は小さくなってきているのか、どうなのか。
ま、いっか、と思いながら、実家で今なお片付いていない以前使っていた部屋の私物の整理をしながら子供を見ています。
さて、これからどうするのか、どうなるのか。
茨城のホウレンソウから放射性物質が確認されています。この件につきましても、もう1日よく調べてから、今後の対応を決めていきたいと思います。
ひとまず、思いつくままに、今思うことを書いてみました。もっといろいろあるのですが、きょうはこのくらいに。
後になって、あの震災を機に、すべては良い方向に向かったね、と言えるようなこれからにしていかなくては、と思います。原発で危険の中、力を尽くしてくださっている方々、心から応援しています。私らしくなく祈っています。