その3です。
ここで書かれているのはラストのワークのこと。
イメージの旅です。
…今でも思い出します。
あのときの空気感。
彼が立っている姿。
崇高ですらありました。
自然に涙があふれてくるような、
そんな「風景」でした。
イメージを使ったワークは
それに振り回されると危険な場合もあります。
が、意識のどこかが冷静であること(第3の目を持つ自分がいること)で
大地とつながっていられます。
これは、身体を伴ってのジャーニーであるからこそ、と言っていいでしょう。
オットーさんはその抑制もしっかりと持ちつつ
イメージの世界を持続しました。
放射能のこと。
オットーさんは「勝手に問題を解決」と書かれていますが
これこそが「祈り」であると私は思います。
実際に現場で見守っていたときも、そう感じました。
彼はあのとき、集合的無意識のような、
「個」を超えた存在になっていました。
瞑想や祈りをする方にも、ぜひ読んでいただきたいです。
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身体が温まったところで、最後のワークです。
呼吸を整えながら、説明を聞きました。
自分を脱ぎ捨てるワークです。
肉体を脱ぎ捨てて魂の状態になって、動きます。
いくつかのイメージの使い方が有るというお話から、少しずつ自分を脱ぎ捨てると言うことのイメージをそれぞれに固めてゆきます。
水をくぐるイメージやトンネルを通り抜けるイメージ、
服や仮面を脱ぎ捨てる動きによって身体を取り外していくイメージなどの提案があり、
水がいい人とトンネルがいい人がいたので、間をとって鍾乳洞の中の泉のイメージで行きましょうということになり、
静かな音楽と原さんのナビゲーションがはじまりました。
洞窟の中に立っているイメージから、徐々に足先を水に浸していく感覚を再現していきます。
ここからは、一人一人の世界。
イメージの旅の始まりです。
僕は、つま先に水を感じる感覚を呼び起こしました。
自分の記憶にある、水に入ったときにつま先が感じた感触をよみがえらせます。
少しずつ、深みに向かって歩きました。
この日は、自分のイメージがとても強く働くということがもうわかっていました。
水の圧力を思い出しその感覚を再現していきます。腰のあたりまで水が来たときに、とても危険なものを感じました。
このまま、頭まで水につかってしまうと、自分のイメージの強さで窒息してしまいそうな気になったのです。
身体の感覚に集中しながらも、どうしようかと考えている自分がいました。
僕は水を呼吸することにしました。かつて、SF映画でみたことがあったのです。
酸素を供給できる液体で、肺をいっぱいに満たせば、液体を呼吸することが出来るといいます。
僕はしゃがんで水に浸かりながら、水を呼吸するイメージを浮かべました。
すると、身体にも水がしみこんできて泥のような状態になって仰向きに横たわりました。
すると、前日のセッションで浮かんだ、湿地帯の泥のイメージに重なってきたのです。
身体の形が有りますが、ほぼ空っぽな状態になったので、このまま寝ていてもいいかという気分になりました。
天井を見ると洞窟の割れ目があり、空が見えていました。
そこから入ってくる光が水面ではねているのを見て、ああ、光になるんならなってもいいなと考えました。
自分の身体の形をした泥の固まりの中には光が詰まっています。
あとは、この泥の固まりを脱ぎ捨てれば、自分は光になります。
そこで、まず、左手から殻がぽろぽろとはがれ落ちて光が中から出てくるイメージを持ちました。
原さんのナビゲーションが、光になってもいいというような事を言っているのが聞こえてきて、オッケー、大丈夫と思いました。
ときどき目を閉じたり開けたりしているのでもちろん周りは見えていますが、イメージしているものを阻害することはありません。
ナビゲーションの声や音楽も聞こえているので、イメージにも影響を受けているとは思いましたが、
それも、ちょっとしたヒントになるだけで、イメージはとぎれません。
全身が光になって立ち上がったとき、
身体を脱ぎ捨てたら、どこにでも好きな場所に行けるし好きなものになれるというようなナビが聞こえてきました。
光になった僕が降り立ったのは荒れ地でした。
間違いなく津波で流され放射能で毒された地平線でした。
悔しいような気持ちが起こって、この光の身体を使って汚染された地面を浄化したいと思いました。
すると、僕は地面に根を生やして木になりました。
僕はゆっくり足の裏から毒を吸い上げ、浄化させて空気中にはき出しました。
一息ごとに自分の身体がしぼんでいくのがわかります。
そのとき、あれた地平線のいちばん遠いところに誰かがいました。
それは、昨日、緑の原の向こうに一本の木を見ていた自分でした。
昨日見ていたあの木は自分だったのかと思いながら、呼吸していくと地平線が昨日見た緑の原に変わっていきました、
同時に僕の身体はしぼんでいき、地面に寝転がりました。
光を出しながらこのまま光を使い果たしてなくなるかな、と思ったとき、
神様でも何でも自分の信じるものからエネルギーを貰ってだしなさい、という声が聞こえました。
背中から、どっと光が流れ込んできて、僕の身体を通って世界にはき出されていきます。
僕は光の通り道になりました。ああ、もうこのまま、寝ころんでいるだけでいいやと思ってしばらくじっとしていました。
ふと、僕のよこで誰かが立って動いています。自分も動きたいという気が起こって、ゆっくりと立ち上がりました。
身体が大きくなっていて、手も足も10メートルも向こうまで、もしかしたらもっと向こうまで届いている感じでした。
もうすでに大きさに縛られた身体はありませんから、いくらでも大きく空気をかき混ぜることが出来ます。
地球が見えるという声を聞いた気がします。僕は、可能な限り大きく動きました。
手も足も地球をなでるようなスケールをめざしていました。
青い小さな球体が僕の手の先で一瞬瞬きました。僕はそれを捕まえました。
手の中でそれはもう見えませんが、確かにそこにあり強烈なエネルギーをもってふくらみ始めていました。
僕はそれをふくらむに任せながら、手の届く限り空へゆっくりと持ち上げました。
それはまるく大きく拡散しながら空に上って、きっと世界を包み込んだのです。
そろそろ帰ってきましょうとナビが聞こえてきました。
最初と逆の手順をイメージして、自分の身体に帰ってください、というナビに従って、
僕は自分の抜け殻が横たわっている場所にもどり、最初寝ていた水に、光になったときと同じ形に横たわり、
崩れた身体が元の形に固まる様子をイメージしました。
ふうっとため息が出て、帰ってきました。
僕は普通の身体にもどりました。
ワークショップから、ほぼ10日を経てふりかえってみるといくつか気づくことが有ります。
最終日の最後のワークの印象がとても強いのですが、けしてそのワークだけが突出しているわけではなく、
3回のレッスンの中で感じたことがずっと続いていて一貫しているようです。
また、イメージのストーリーがとても壮大でそのうえ抽象的で、
その時は、意識が没入しているように思っていましたが、意外に自分でコントロールしているように思えます。
特に水に入る場面で、自分のイメージに振り回されないように、イメージを補正しています。
このブレーキがきいていなければ、ちょっとしたパニックを起こしていたかも知れません。
僕は今回、ワークショップの全体を通して、とても楽な気分を保ち続けていました。
頭は、ずっとぼおっとした感じで日頃の生活や日々に考えているいろんなことをしっかりと遮断しています。
この距離感がどこから始まったか、確かでは無いのですが、
始まってすぐにそういう状態になっていたと思います。
それでも、放射能の事など、ふだんよく考えていることが出てきて、
イメージの中で勝手に問題を解決しているあたりはどうも、自分の願望がもろに出ているのかもしれません。
どうにも、とりとめのないレポートになってしまった気がします。
各セッションの順番など正確におぼえていたか少し自信がありません。
最後に、原さんの的確なナビゲーションに感謝します。