原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

太古の海のような 生き物の記憶

2011-02-21 | 身体/ダンスから学ぶこと
わたしのWSでは、
毎月テーマを設定して行っている。


身体が、毎日防衛として行っている
緊張状態を少しずつ緩め、
そのときどきの、ありのままの状態に戻って行く。

今回は脱力により感じられる重さにフォーカスして
前半はそのワークを繰り返し行った。

が、そのときに参加する方の状態により
同じことをしていても
各自のプロセスはそれぞれに違ってくる。
気づきはそのひとにより違う。
同じことを何度もやっても毎回感じ方が違う。
それは今の自分を感じるための指標となる。

いつも、大まかな内容はもちろん準備して行くが
ココを目標として全員こっちを向きなさい、というやり方は
好きではないし、
そのときに生まれてくるものを大切にしているので
インナージャーニーをしていく方向は
ひとそれぞれになるのだ。

が、それぞれの身体が動き出し始めると
何かが流れ出してくる。
その流れを見ながら微調整をしていくのが
自分の仕事のひとつである。

そして、「場」がひとつの生き物のように見えてくる。
その中にはさまざまな細胞がうごめいている、というような。
ひとつの生き物の中にはこんなにも多くの細胞があるのだ、というような。

昨日もそんな瞬間があった。

ひとりで踊っていたり
ふたりで踊っていたり
そのなかを巡って行くひとがいたり、
踊りはそれぞれなのだが、
ひとりひとりからさまざまなエネルギーが流れ出す。影響し合う。
やがてひとつの大きな流れとなる。
違う動きをしていても、違うイメージの中にいても、
総体的にひとつのエネルギーとなるのだ。

終わりのシェアの時わたしはこう言った。

「まるで太古の海のようだった。
原初的な生命体が、海の中で生まれてくる。そしてまた消えて行く。
そんないのちの受け皿の、太古の海のようだった」と。

前半の終わり、
脱力のワークを床の上で何度も行って
重さを引き上げて立ち上がるワークをし、
それぞれの身体がしっかりと大地にグラウンディングして
立っているさまは、
まるでイースター島の石像のように見えた。
規則性はないけれど、
連続性のある絶妙な配置だった。

誰もが、どっしりと、そこに確かに「存在」していた。

「周りを見渡して下さい。これがダンスなんです」と
わたしは言った。

参加者のひとりがあとから
「あのとき首筋がぞぞっとした」、と言った。


身体の中には太古の記憶もあるのかもしれない。
集合的無意識も、ずっとずっと眠っているのだ。

それが、踊ることによって顔を出し、
そのものになっているひともいる。

ひとりひとりの感情も
柔らかく包みながら。


「場」の空気は
皆が出したエネルギーによって、
さまざまな成分の溶け込んだ「温泉」のようになる。

すぐには気づかなくても、
何かがまた生まれでたのだろう。

そしてそれぞれの生活に戻って
その何かと向き合い、育てて行くのだろう。


わたしは、こういう時間が本当に大好きだ。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 動きと重さが流れをつくる~2... | トップ | 3/6のヒーリングストレッチ&... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

身体/ダンスから学ぶこと」カテゴリの最新記事