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メガ地震に震えあがる。。。

教授会が始まって45分経った頃。

同僚の誰かが地震だ!と叫ぶ。

揺れる揺れる。

長い時間の揺れに、最悪のことが起きるのではないかと震えあがった。

教授会は、本学で最も高い建物の最上階、7階で4学部とも開かれている。

 

揺れている間、多くの同僚は机の下に入った、

私を含め3名は、机の下に入らなかった。

お腹が邪魔して身体を折りたためないためではなく、

揺れている間に荷物を片づけて、非常階段を下りた方が良いと考え、出入り口近くに一人移動した。

まだ余震が続く中、果たして、全教員が非常階段で1階まで下り、外に出た。

地面から余震を何度も感じた。

昨年オープン(改装)したばかりの学生会館に、教職員学生に集まったが、

集まるだけでどうすることもない。

やがて、教授会、大学院研究科委員会の中止が伝えられる。

いつでも帰宅できるように、鞄を取りに研究室に戻る。

20冊程度の本が散乱し、併せて書類も床に転がっていた。

6連、5連の本棚は、しっかりと固定されていたので、びくともしなかった。

学生会館に戻るもののやることがないので、同僚数人と早めの夕食を取る。

3時間ほどかけて夕食を食べた後、私は、歩いてアパートに。小一時間かかった。

夕食時に水分を取り過ぎたらしく、途中のコンビニでトイレに。5人も並んでいた。

さらに歩んでいくとまたトイレに行きたくなった。今度は、コンビニにトイレがない。

我慢してアパートまで。

 

国分寺からアパートまでいつもは西武バスか西武鉄道を利用する。

西武バスは、数日前の改正で、私のアパート近くまで来てくれる路線が廃止された。

西武多摩湖線は全面運休。

一度も歩いて帰ったことがなく、

方向音痴の小生はたいそう心細かったが、何とか一発で進むことができた。

 

非常階段を下りて外に出た3時過ぎに携帯が鳴る。その日は珍しく携帯を携帯していた。いつもは、研究室に置きっぱなしにするのだが。

監督からだ。監督から電話があることは滅多にない。

安否の確認の電話。もったいない、もったいない。

 

研究室に鞄を取りに行った段階で、国際電話が入る。

韓国からだ。

4月から修士1年となり、私のもとで修士論文を執筆するJさんからだ。

安否の確認の電話。ありがたい。

人を思いやる心と行動があれば、この世の中何とかなる。

 

夕方食事をしている最中に娘から電話が入る。

 

安否の確認の電話。立派に成長している。

ありがたい。

 

夜1時頃床についたが、何度も余震で起きる。そのたびに携帯も知らせてくれる。

午前中洗濯をして、午後3時に研究室に到着したが、午後5時には、退出しなければならないようだ。

 

その根拠は不明だが、とりあえず従っておこう。

あ、思いついた。

一つは、節電が要請されているからであろう。

 

すでに500人以上の方が亡くなられ、800人以上の方が行方不明という。

 

津波にさらわれた数多くの皆様のご冥福をお祈りいたします。

 

 

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