徒然草のことは書きますけど、その前に、帰ってくるときに聞いたラジオのことを書きます。
NHKのラジオ第一で、20時前に突然こどもの時間が設定されていて、「地球に不時着した宇宙船には、エネルギーとして子どもたちの声が必要だ」ということで、全国の子どもたちが、星空のレポートをしたり、何の音かを考えたりしています。
今夜は、ロングブレス選手権ということで、二人の子どもさんが、息継ぎをせずにどれだけ声を出せるか、その時間を競う勝負をやっているようでした。
1人目の男の子は、「トリが…………グゥエ……」と40秒。
「どうしてトリが……グゥエ……と叫んだの?」と番組の司会の人たちが訊ねると、
「ボクはヤキトリが好きだから、トリが……と言ったんです」と答えます。
「あっそう、鳥が好きなんじゃなくて、食べる鶏肉が好きなんだね」と司会の人たち。
「うん」と子どもさん。
二人目の子は、「ラー油ぅ……うー……」と18秒。
「どうしてラー油と叫んだの?」と訊くと、
「ラー油を肉まんとかにつけて食べるの」と2人目の子。
「それはわりとポピュラーな肉まんの食べ方なの?」と訊ねると、
子どもさんは何も答えませんでした。
でも、「トリが……(好きだあ)」という子どももいれば、「肉まん」じゃなくて、それにつけて食べる「ラー油」を叫びたくなる子といい、自由でいいなあと思いました。
私なら? そうです。叫びたいものがないですよ。思い切り卑猥なことを言おうとしても、そんなに叫びたいエッチなことばもありません。家族の名前、「お母さん」と叫んだり、「お父さん」と叫びたい気持ちもあまりないなあ。
しんみり呼びかけたいだけで、叫びたくないのです。
だめだなあ。解放されてないね。もっと好き勝手なことを叫べたらいいのになあ。
とうとつだけど、徒然草にしますか。
* ネーミングのコツ
寺院の号、さらぬよろづの物にも、名をつくる事、昔の人は、少しも求めず、ただ、ありのままに、やすく付けけるなり。
寺院の号、さらぬよろづの物にも、名をつくる事、昔の人は、少しも求めず、ただ、ありのままに、やすく付けけるなり。
寺院の名称や、そのほかのいろいろな物にも名前をつけることは、昔の人は、あまり思案したりすることなく、ただ、ありのままに、気軽に名付けたものでした。
このごろは、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞こゆる、いとむつかし。人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なきことなり。
ところが、近ごろは、よくよく工夫を凝らし、学識を示そうとしているように受け取れるのは、実にわずらわしいことだ。人の名も、見慣れぬ文字を使ってつけようとするのは、何の益もないことである。
ところが、近ごろは、よくよく工夫を凝らし、学識を示そうとしているように受け取れるのは、実にわずらわしいことだ。人の名も、見慣れぬ文字を使ってつけようとするのは、何の益もないことである。
何事も、( )しきことを求め、異説を好むは、浅学の人の必ずあることなりとぞ。〈116段〉
何事についても、珍奇なことを強引に探し、通説と変わった見解を知りたがるのは、知識の浅はかな人が必ずやることであるという。〈116段〉
☆ 空欄に適当な漢字一字を! ア・怪 イ・楽 ウ・嬉 エ・珍
最近の子どもたちのキラキラネーム。一時的な現象だとは思いますし、やがてはまたスタンダードなものに戻るとは思うけれど、とにかく親は、何か子どもに最初の贈り物として凝った名前をあげなくちゃ! そう考えるんでしょう。
それも親の愛だと思うけれど、それで一生やっていく場合、負担になったり、いちいち説明しなくてはならなかったり、ちゃんと他人が読んでくれなかったり、余計な負担をかけるようでは、親の気持ちも空回りというところかな。
シンプルで、なおかつ印象的で、さわやかで、ずっと一生それを保持していくことに何の負担も感じない、そういう名前が欲しいですね。
☆ 名前をつけること、これは難しいことではあります。でも、要は「ありのままに、やすく付け」ればよいはずです。
となると、「ありのまま」とは何か? 聞いた感じ・耳ざわりがいいだけではダメだし、長ったらしいのは言いにくいし、大げさなのもダメ。
やはり、「ありのままに」という条件は、簡単そうで難しい。ただし、変な当て字や、普段使わない文字、一人よがりは避けたいと思います。
人それぞれが考えたシンプルなものをプレゼントしなくてはいけません。
シンプルかあ。これが難しいから、家族のコメントが欲しくなるんだろうな。自分はだいたいこれと決めているんだけど、それをポンと背中を押してもらえたら、親の気持ちもしっくりくるし、みんなも名付け親になった気分で、まわりのみんなもついでにしあわせになれるのにね。
★ 答えは… エでした。