Kは高校三年生になった。
クラスに気の合う仲間が何人かいた。救われた気分となる。成績は伸びないが、とにかくやるしかなかった。
恋愛はほぼ諦めて、とにかく気持ちだけは受験モードとなったようであった。
このころのKの楽しみは、予備校サボって国鉄を乗り換えて奈良にでかけたり、環状線をグルグル回ったりすることだった。車中では、好きな本を読んだり、ぼんやり外を眺めたり、車内の人を観察したる。時には検札があるとハラハラもしたが、たいていは電車の中でぼんやりと過ごすことができた。定期券があるので下車せずにそのまま戻ってくればお金はゼロで、楽しいひまつぶしを見つけたのである。
他には、図書館通いも始めた。数年前の大河ドラマの時からずっと読みたかった吉川英治の『新平家物語』全巻を読破するなど、ささやかなことばかりが楽しみとなっていた。
担任の先生は高校のOBで、ことばの一つ一つが身にしみて、母校を盛り上げるためにがんばろうという気持ちになれた。この先生は学校の中庭の造物主で、いろいろな木を植えたということだった。一番大きな木が、メタセコイアで、他にもいろんな木があって、中庭は完全な森であった。メタセコイアは先生が赴任したときに植えたということだった。
教室からはいつもこれらの木々を眺めることができるのだが、中へはとても入る気になれず、三年間ずーっと見続けたのに、とうとう中には踏み込めなかった。それくらい深い森の中庭だった。それを1人の教師が作り上げたのである。それがすごいことだと思うし、それらをすべてなぎ倒して、新しい校舎を造ったのが行政のお仕事だった。それも恐ろしいことだった。
Kが卒業して数年か過ぎて校舎の建て替えがあって、グランドだったところに四階建ての建物、森も校舎もつぶしてグランドにされてしまい、Kたちの思い出の建物は一切無くなってしまった。歩けばキイキイ音のする廊下で、多少は古かったのだが、あの中庭もメタセコイアヤの大木もなくなってしまった。
今、夜だけれど [1977・5・27 記]
父上の歯がくいくいと鳴っている。知らないうちに歯をかんでいる。けれど本人は意識しない。……もたれかかると椅子が鳴った。
僕は明日も生きているだろう。しかし、立ち止まって生きていないだろう。
きっと走らされているだろう。何かわからない力に……。
今はのんびりと夜のうなりを聞いている。ときおり風が吹いて、僕はよみがえる、息を吹き返す。けれど、明日、夜が明けると、息がつまっているかもしれない。
息苦しくとも、精一杯空気を吸おう。明日の一歩は生の一歩だから。
Kは夜の物音を聞くのは好きだった。この日は父の歯ぎしりの音、眠くなっている自分、窓をあければ都会の喧噪がウォーンとやってきて、思わず首をすくめたくなったらしい。勉強もしないで、それを記録していい気になっていた。
Kの父は昔から歯が丈夫で、ビールの栓も歯で開けられるくらいであった。その鋼のような歯をかみしめる音はKの耳には鋭く強く響いていた。物静かな父の驚くくらいに強いかみしめ音は、夜寝るときの安らぎのようでもあった。
クラスに気の合う仲間が何人かいた。救われた気分となる。成績は伸びないが、とにかくやるしかなかった。
恋愛はほぼ諦めて、とにかく気持ちだけは受験モードとなったようであった。
このころのKの楽しみは、予備校サボって国鉄を乗り換えて奈良にでかけたり、環状線をグルグル回ったりすることだった。車中では、好きな本を読んだり、ぼんやり外を眺めたり、車内の人を観察したる。時には検札があるとハラハラもしたが、たいていは電車の中でぼんやりと過ごすことができた。定期券があるので下車せずにそのまま戻ってくればお金はゼロで、楽しいひまつぶしを見つけたのである。
他には、図書館通いも始めた。数年前の大河ドラマの時からずっと読みたかった吉川英治の『新平家物語』全巻を読破するなど、ささやかなことばかりが楽しみとなっていた。
担任の先生は高校のOBで、ことばの一つ一つが身にしみて、母校を盛り上げるためにがんばろうという気持ちになれた。この先生は学校の中庭の造物主で、いろいろな木を植えたということだった。一番大きな木が、メタセコイアで、他にもいろんな木があって、中庭は完全な森であった。メタセコイアは先生が赴任したときに植えたということだった。
教室からはいつもこれらの木々を眺めることができるのだが、中へはとても入る気になれず、三年間ずーっと見続けたのに、とうとう中には踏み込めなかった。それくらい深い森の中庭だった。それを1人の教師が作り上げたのである。それがすごいことだと思うし、それらをすべてなぎ倒して、新しい校舎を造ったのが行政のお仕事だった。それも恐ろしいことだった。
Kが卒業して数年か過ぎて校舎の建て替えがあって、グランドだったところに四階建ての建物、森も校舎もつぶしてグランドにされてしまい、Kたちの思い出の建物は一切無くなってしまった。歩けばキイキイ音のする廊下で、多少は古かったのだが、あの中庭もメタセコイアヤの大木もなくなってしまった。
今、夜だけれど [1977・5・27 記]
父上の歯がくいくいと鳴っている。知らないうちに歯をかんでいる。けれど本人は意識しない。……もたれかかると椅子が鳴った。
僕は明日も生きているだろう。しかし、立ち止まって生きていないだろう。
きっと走らされているだろう。何かわからない力に……。
今はのんびりと夜のうなりを聞いている。ときおり風が吹いて、僕はよみがえる、息を吹き返す。けれど、明日、夜が明けると、息がつまっているかもしれない。
息苦しくとも、精一杯空気を吸おう。明日の一歩は生の一歩だから。
Kは夜の物音を聞くのは好きだった。この日は父の歯ぎしりの音、眠くなっている自分、窓をあければ都会の喧噪がウォーンとやってきて、思わず首をすくめたくなったらしい。勉強もしないで、それを記録していい気になっていた。
Kの父は昔から歯が丈夫で、ビールの栓も歯で開けられるくらいであった。その鋼のような歯をかみしめる音はKの耳には鋭く強く響いていた。物静かな父の驚くくらいに強いかみしめ音は、夜寝るときの安らぎのようでもあった。