十五歳下の友だちがいます。彼は松阪でお勤めして、もう二十数年になるかもしれない。結婚はしていません。けれども、とても親孝行で、真面目で、ガッツがあって、穏やかで、しかも正確に仕事をこなしていきます。
年長者の私は、彼にお嫁さんでも紹介してあげたらいいのですが、いざだれか紹介するとなると、やはり人の好き嫌いがあるだろうからと、つい次の一手を出せないでいます。
おうちの方も、彼の結婚を待ち望んでおられるだろうに、彼にはその気配がありません。合気道とか、サイクリングとか、いろいろと趣味はあるみたいなんだけど、そこで誰かと知り合うチャンスって、なかったのかなあと思ってしまいます。
ひるがえって、たまたま私は、とんでもないヤツだったのに、学校の同級生で、つきあう前にあれこれと知り合えて、なんとなくいけるかもと、実が熟するようにうまくつきあえて、あれこれはあったけれど、そのまんま結婚して、今もなんとかやれています。
というか、私ががんばらないことには、うちは何ともならなくて、ひたすら家族を守り、愛して?十年だけで、まあ、たいしたがんばりではないような気もしますが、とにかくなんとかなっている。
私のことはどうでもいいですね。友だちのことでした。
出会った頃、彼と一緒に伊勢に宿泊することがありました。何度か一緒に旅をして、たまたま六月一日で、うわさに聞く朔日餅とやらは、朝早く本店に行くと、買うことができると聞き、せっかく伊勢にいるのだからと早起きして、買ったのが麦焦がし餅でした。
これがおいしかったこと。
私の50数年の餅人生のナンバーワンで、この時のおいしかった感覚を味わいたいと、それから何度か六月の朔日餅を食べるチャンスはありましたけど、あの二十数年前の感動はもどってきません。
たまたま旅先だったから、その浮遊感がさらなるおいしさを引き出したのか、家族と離れ旅をしていて、心細かったから味が引き立ったのか、昔は製法がもっとクラッシックで、今とは少し違ったのか、どうなのかわかりませんが、昔ほどの感動はないかもしれない。
でも、12種類あるはずの朔日餅の中で、1番好きなのは六月のお餅です。
今日は五月一日でした。あれから二十数年、年下の友だちは、伊勢に特別な感じを持っていて、元旦は自転車でお伊勢さんまでお参りに行きます。彼のきまりみたいなもののようです。クルマや電車ではダメで、元日は自転車。それから、そのまま実家まで百数十キロを自転車で帰るのです。
実家でしばらくすごして、適当な時期にもう一度松阪に戻り、ふたたびクルマで実家に帰るみたいな正月行事を続けています。
彼は、時々、朔日餅を食べた若い頃を思い出してか、私と同じ感動を共有しているのか、朔日餅を買いに行き、時々私にもおすそわけしてくれます。本当にありがたいことで、いつも恐縮していただいています。五月は柏餅6つでした。おいしかった。
そういうルーティンがあるから、なかなか結婚できないのか、結婚できないから自分の決めごとができてしまったのか、私にはわからないところもありますが、彼の弟さんのように、スッと結婚して、スッと子だからに恵まれるとか、あってもいいのにな、とは思います。
人の人生は、他人が思うようにはいかないものですね。
自分の人生だって、半分以上は思うようにいかないでしょう。ある程度妥協しつつ、まわりと折り合いをつけてやっていくものなんでしょうね。
赤福のお餅はおいしくて、甘く感動的ではあるけれど、それを食べる人の人生は、甘いものではなくて、いろいろです。だからこそ一層、私たちは甘いお餅に飛びつくのかもしれないです。
年長者の私は、彼にお嫁さんでも紹介してあげたらいいのですが、いざだれか紹介するとなると、やはり人の好き嫌いがあるだろうからと、つい次の一手を出せないでいます。
おうちの方も、彼の結婚を待ち望んでおられるだろうに、彼にはその気配がありません。合気道とか、サイクリングとか、いろいろと趣味はあるみたいなんだけど、そこで誰かと知り合うチャンスって、なかったのかなあと思ってしまいます。
ひるがえって、たまたま私は、とんでもないヤツだったのに、学校の同級生で、つきあう前にあれこれと知り合えて、なんとなくいけるかもと、実が熟するようにうまくつきあえて、あれこれはあったけれど、そのまんま結婚して、今もなんとかやれています。
というか、私ががんばらないことには、うちは何ともならなくて、ひたすら家族を守り、愛して?十年だけで、まあ、たいしたがんばりではないような気もしますが、とにかくなんとかなっている。
私のことはどうでもいいですね。友だちのことでした。
出会った頃、彼と一緒に伊勢に宿泊することがありました。何度か一緒に旅をして、たまたま六月一日で、うわさに聞く朔日餅とやらは、朝早く本店に行くと、買うことができると聞き、せっかく伊勢にいるのだからと早起きして、買ったのが麦焦がし餅でした。
これがおいしかったこと。
私の50数年の餅人生のナンバーワンで、この時のおいしかった感覚を味わいたいと、それから何度か六月の朔日餅を食べるチャンスはありましたけど、あの二十数年前の感動はもどってきません。
たまたま旅先だったから、その浮遊感がさらなるおいしさを引き出したのか、家族と離れ旅をしていて、心細かったから味が引き立ったのか、昔は製法がもっとクラッシックで、今とは少し違ったのか、どうなのかわかりませんが、昔ほどの感動はないかもしれない。
でも、12種類あるはずの朔日餅の中で、1番好きなのは六月のお餅です。
今日は五月一日でした。あれから二十数年、年下の友だちは、伊勢に特別な感じを持っていて、元旦は自転車でお伊勢さんまでお参りに行きます。彼のきまりみたいなもののようです。クルマや電車ではダメで、元日は自転車。それから、そのまま実家まで百数十キロを自転車で帰るのです。
実家でしばらくすごして、適当な時期にもう一度松阪に戻り、ふたたびクルマで実家に帰るみたいな正月行事を続けています。
彼は、時々、朔日餅を食べた若い頃を思い出してか、私と同じ感動を共有しているのか、朔日餅を買いに行き、時々私にもおすそわけしてくれます。本当にありがたいことで、いつも恐縮していただいています。五月は柏餅6つでした。おいしかった。
そういうルーティンがあるから、なかなか結婚できないのか、結婚できないから自分の決めごとができてしまったのか、私にはわからないところもありますが、彼の弟さんのように、スッと結婚して、スッと子だからに恵まれるとか、あってもいいのにな、とは思います。
人の人生は、他人が思うようにはいかないものですね。
自分の人生だって、半分以上は思うようにいかないでしょう。ある程度妥協しつつ、まわりと折り合いをつけてやっていくものなんでしょうね。
赤福のお餅はおいしくて、甘く感動的ではあるけれど、それを食べる人の人生は、甘いものではなくて、いろいろです。だからこそ一層、私たちは甘いお餅に飛びつくのかもしれないです。