昨日、静岡市美術館で素敵な女性を見てきました。あと何人か見かけたのに、名前をメモして来なくて、今度愛知県美術館にも来るそうだから、名古屋に用事を見つけて、また会いに行って来ましょうかね。
その中で、ウォーターハウスという画家さんの絵を1つだけ見せてもらいました。そうでした。東京から巡回している「ロイヤル・アカデミー展」という特別展です。これが中日新聞の主催で名古屋にも来るらしい。
私は、イギリスの画家さん、最近取り上げられているロセッテイさんの女性像は、何だか気が強そうな女性像だから、実際には見ず嫌いで、見に行っていませんでした。ロセッテイさんの友だちのエバレット・ミレイさんの女性は、わざと(?)はかなげに描いてあって、ポーズも目も、テーマも、好きになれませんでした。昨日見たベラスケスさんのテーマにインスパイアされた作品も、何人かのお客さんはじっと見入っていましたが、私は、上手に描いてあるなあとしか思えなかった。これが私の変な趣味のところです。
ところが、フランク・カドガン・クーパーさんの「虚栄」から、素敵な女性像がいっぱいで、何だかうれしくなりました。あっさり描いてあったりするのが好きなのかな。いや、そうではないですね。たぶん、私の好きな女性像の反映ですね。単なる私の趣味ですか。困ったものです。
それで、私が好きな女性というのは、アゴがとがっていて、目はそんなに大きくなくて、伏し目がち、それほど主張性がない感じの、はかなげな女性。そんな人が現実にいるわけはないですし、いたとしても本性を隠して、そういうふうに装っているだけなのに、絵の世界にはそういう女性がいます。絵は鑑賞者にやさしいし、文句も言わない。まあ、有り難いような、それだけを相手にしていると現実では生きていけないような、とにかく私みたいなオッサンを骨抜きにしてしまう女性像を描いているのが、ウォーターハウスさんでした。
昨日、見たのは「人魚」さんで、目がかわいく描いてあって、素敵だなと思いました。一目惚れはしませんでした。「君かわいいね」とオッサン目線で見ただけです。
会場を出て、ウオーターハウスさんの作品集を見て、この人はこういう女性をいっぱい描いていて、どの女性も素敵だと感心しました。もちろんお金はないのでチラッと見ただけで、ウオーターハウスさんの特集が今度あれば、見に行こうと思うくらい、素敵な女性像たちです。あくまでも絵の世界を楽しむのであって、ほんの一瞬の現実逃避です。
まわりを見渡せば、そんな女性は絶対にこの世におらず、いたとしてもそれは本性を隠した仮の姿であって、それらしく見せているだけである。それを私たちは見抜けなくて、彼女たちの思うつぼにはめられてしまう。現実の女性はもっともっとシビアなものです。だから、せめて絵の世界だけでも、女神様のような女性にチラッと会う楽しみをウオーターハウスさんがつくってくれたんだと思います。それだけでは現実生活はやっていけませんけど、それでも私たちは理想を求めていきたいです。(私とウオーターハウスさんという意味の私たちです!)
今度いつか、どこかでまた、ウオーターハウスさんの絵の女性に会いに行きたいです。
★ エバレット・ミレイさんが好きなのは、はかなげな女性。それは見かけだけだけれど、私たちはしばしばそういう女性に惚れてしまう。そんなはかなげな女性がたくさんいたら、世の中はメチャクチャになってしまうし、すぐにそういう女性は本性を現すでしょう。
ロセッティさんが好きな人は、気の強そうな、見かけも心意気も鼻っ柱の高い(?)、てごわい女性です。こういう女性に惚れる男はいると思います。私は、そんな女の人の別の一面を引き出す力はないので、ひたすらそんな女性は敬遠してしまいます。ザンネンながら、ロセッティさんとは全く意見が合いません。だから、私はこれからもロセッティさんの作品は、「フーン」と言ったまま、流してしまうでしょう。興味がありません。
ウォーターハウスさんは、好きなモデルさんがあるんですね。いくつか彼女をモチーフにして描いている。そうですか、現実に好きな女性がいて、彼女がモデルになってくれるとしたら、そりゃ、画家は幸せですね。私は、そういう画家生活をしてみたいけれど、ザンネンながら才能とお金がありません。たぶん、努力も足りないでしょう。だから、ウォーターハウスさんが描いてくれた絵を見て、ウットリすることだけをやらせてもらいます。
ああ、なんというオッチャンなんでしょう!(2015.12.28)
その中で、ウォーターハウスという画家さんの絵を1つだけ見せてもらいました。そうでした。東京から巡回している「ロイヤル・アカデミー展」という特別展です。これが中日新聞の主催で名古屋にも来るらしい。
私は、イギリスの画家さん、最近取り上げられているロセッテイさんの女性像は、何だか気が強そうな女性像だから、実際には見ず嫌いで、見に行っていませんでした。ロセッテイさんの友だちのエバレット・ミレイさんの女性は、わざと(?)はかなげに描いてあって、ポーズも目も、テーマも、好きになれませんでした。昨日見たベラスケスさんのテーマにインスパイアされた作品も、何人かのお客さんはじっと見入っていましたが、私は、上手に描いてあるなあとしか思えなかった。これが私の変な趣味のところです。
ところが、フランク・カドガン・クーパーさんの「虚栄」から、素敵な女性像がいっぱいで、何だかうれしくなりました。あっさり描いてあったりするのが好きなのかな。いや、そうではないですね。たぶん、私の好きな女性像の反映ですね。単なる私の趣味ですか。困ったものです。
それで、私が好きな女性というのは、アゴがとがっていて、目はそんなに大きくなくて、伏し目がち、それほど主張性がない感じの、はかなげな女性。そんな人が現実にいるわけはないですし、いたとしても本性を隠して、そういうふうに装っているだけなのに、絵の世界にはそういう女性がいます。絵は鑑賞者にやさしいし、文句も言わない。まあ、有り難いような、それだけを相手にしていると現実では生きていけないような、とにかく私みたいなオッサンを骨抜きにしてしまう女性像を描いているのが、ウォーターハウスさんでした。
昨日、見たのは「人魚」さんで、目がかわいく描いてあって、素敵だなと思いました。一目惚れはしませんでした。「君かわいいね」とオッサン目線で見ただけです。
会場を出て、ウオーターハウスさんの作品集を見て、この人はこういう女性をいっぱい描いていて、どの女性も素敵だと感心しました。もちろんお金はないのでチラッと見ただけで、ウオーターハウスさんの特集が今度あれば、見に行こうと思うくらい、素敵な女性像たちです。あくまでも絵の世界を楽しむのであって、ほんの一瞬の現実逃避です。
まわりを見渡せば、そんな女性は絶対にこの世におらず、いたとしてもそれは本性を隠した仮の姿であって、それらしく見せているだけである。それを私たちは見抜けなくて、彼女たちの思うつぼにはめられてしまう。現実の女性はもっともっとシビアなものです。だから、せめて絵の世界だけでも、女神様のような女性にチラッと会う楽しみをウオーターハウスさんがつくってくれたんだと思います。それだけでは現実生活はやっていけませんけど、それでも私たちは理想を求めていきたいです。(私とウオーターハウスさんという意味の私たちです!)
今度いつか、どこかでまた、ウオーターハウスさんの絵の女性に会いに行きたいです。
★ エバレット・ミレイさんが好きなのは、はかなげな女性。それは見かけだけだけれど、私たちはしばしばそういう女性に惚れてしまう。そんなはかなげな女性がたくさんいたら、世の中はメチャクチャになってしまうし、すぐにそういう女性は本性を現すでしょう。
ロセッティさんが好きな人は、気の強そうな、見かけも心意気も鼻っ柱の高い(?)、てごわい女性です。こういう女性に惚れる男はいると思います。私は、そんな女の人の別の一面を引き出す力はないので、ひたすらそんな女性は敬遠してしまいます。ザンネンながら、ロセッティさんとは全く意見が合いません。だから、私はこれからもロセッティさんの作品は、「フーン」と言ったまま、流してしまうでしょう。興味がありません。
ウォーターハウスさんは、好きなモデルさんがあるんですね。いくつか彼女をモチーフにして描いている。そうですか、現実に好きな女性がいて、彼女がモデルになってくれるとしたら、そりゃ、画家は幸せですね。私は、そういう画家生活をしてみたいけれど、ザンネンながら才能とお金がありません。たぶん、努力も足りないでしょう。だから、ウォーターハウスさんが描いてくれた絵を見て、ウットリすることだけをやらせてもらいます。
ああ、なんというオッチャンなんでしょう!(2015.12.28)