甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

啄木くんと年末しごと そして六本松

2014年12月28日 08時38分55秒 | 本と文学と人と
 六本松は、松阪の「山辺の道」にある隠れた名所です。ここは細い道ながら、生活のための道なので、頻繁にクルマが走りますし、対向車にドキドキしながら駆け抜けなければならないので、あまり周囲に目を向ける余裕はありません。



 私が見つけたのもごく最近のことで、しかも相変わらず誰も知らない(かもしれない)名所となっています。地元の人はそれなりに手入れをしたり、まわりに農地を持っておられる方々は、時に見上げ、時に憩いしておられると思います。地元の人の心の風景にはなっているでしょう。



 つい先日、日没の少し前にここを通りかかったので、夕景に浮かぶ六本松はどんなだろうとクルマを止めて、ノコノコと歩いていきました。農作業をしておられるおじさん、犬の散歩から帰ってこられるおじさん、2人のおじさんを見かけました。お2人とも六本松に気を取られることはない感じで、そこにあるのを普通に生活の一部として取り込んでいる。



 私は、野次馬なので、写真をいくつか撮って、あまり代わり映えのしない自分の写真のいくつかの微妙な違いを楽しみ、角度を変えて何枚も、行ったり来たりしながら撮りました。そんなことをして何になるのかわかりません。でも、これが私の風景への挨拶なんです。絵筆をとって絵を描いて挨拶すればいいのに、なかなかそれができていません。言い訳ですね。いつか絵の題材として取り上げたいと思います。出来不出来は置いておいて、チャレンジします。



 啄木の21歳のころの日記、それも年末のところだけを取り上げています。彼と一緒に年末にモヤモヤする思いを共有して、みんな誰しも、年末は思うところがあるのだと、少し思うことができているような気がしています(こんなふうにブログばかりしているので、ほかの仕事は全くはかどりません。掃除も片付けもまるで進みません。年賀状も書くと言いつつ、なかなか書いていません。でも、今日は書くかな……?)




12月28日
 夜、大硯君来り、西川光次郎等社会主義者の演説会に誘ふ。行かず。
 正宗白鳥君の短編小説集「紅塵(こうじん)」を読み深更にいたる。感慨深し、我が心泣かむとす。予は何の日に到らば心静かに筆を執るを得む。天抑々予を殺さむとするか。然らば何故に予に筆を与へたるか。

12月29日
 今日は京子(長女・1歳)が誕生日なり。新鮭を焼きまた煮て一家四人晩餐(ばんさん)を共にす。
 人の子にして、人の夫にして、また人の親たる予は、噫、未だ有せざるなり、天が下にこの五尺の身を容るべき家を、劫遠心を安んずべき心の巣を。寒さに凍ゆる雀だに温かき巣をば持ちたるに。
 一切より、遂に、放たるる能はず。然らば遂に奈何(いかん)。


 自分はいったいいつになったら「心静かに筆を執るを得」ることができるのだろうか。それとも天は私をこのまま殺そうとしているのかと嘆いた28日。今から107年前の今日です。

 翌日は、お嬢さんの誕生日で、鮭をごちそうにして家族四人で誕生祝いをしたそうです。本人と奥さんとお嬢さん、それと啄木くんの実母ですね。それは幸せだけれど、「劫遠心を安んずべき心の巣」を持てていないと言います。確かに失職し、妻子を養って行かねばならず、しかも年末とくれば、行く先真っ暗です。

 もう釧路に行く話は出ていたんでしょうね。釧路は夏に一度降り立ったことはあります。でも、あまり印象はありません。すぐ友人のクルマでもっとディープな道東の奥に連れて行ってもらったので、町のことは何も憶えていません。でも、寒い町だと思います。彼はその一番寒い時期に1月の中旬から4月初めまで約3ヶ月滞在したらしい。

 ローリングストーンですね。若いときはそうでなくっちゃ。落ち着いていられないけれど、その転がる日々の中で何かがつかめるかもしれない(何もつかめないかもしれない?)。とにかく、若いときは転がってみなくては!

 じっと落ち着いて何かをしようなんていうオッサン心を持っちゃダメです。啄木くんは、落ち着きたいと言いつつも、結局は自分の力で転がっていきました。



 六本松には、祠みたいなのが木の根元にあります。誰をまつってあるのか、わかりません。私は、道を歩いていて行き倒れた人々の霊を慰めるためのものではないのかと思っています(誰かに訊いてみないといけませんね)。

 今は生活道路としてクルマが走るけれど、昔は街道の別ルート(近道?)として、たくさんの旅人が歩いたのではないかと思います。啄木くんは六本松なんか知らないでしょう。でも、ここの木々たちは、旅人をとにかく見守ってきたのではないかなあ。啄木くんの時代よりも若い木々かもしれないけれど、旅をしようという意志のある人々は、誰かに見守られているのです。だから、啄木くんもその強い意志で、日本の文学の世界の中で輝くことができました。私なら、3ヶ月で辞めて東京へ出ようなんていう気持ちは絶対に起きなかったと思います。



 単身赴任した釧路に根を張って、ここで生きていこう、家族を呼び寄せよう。住むところはどこにしようとか、クルマは何を買おうとか、そんなことに明け暮れることでしょう。



 年末年始、自分を見つめてみましょう。スケベ心だけではなくて、強い意志を持てたらいいです。たぶん、無理かもしれない。日々に追われるだけで、何をしようという意志がありません。でも、何か小さなことでいいから、見つけたいです。



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