私の愛する大阪へ、片思いではないですけど、悲しみを込めてことばを送ろうと思います。母は今もそこで生活しているし、弟たちも頑張ってます。甥っ子はコロナになったというけれど、今はそんなの当たり前です。誰だって簡単にコロナになってしまいます。
年寄りはならない、とか思ってても、なってしまったら重症化するんだから、年寄りはコロナになってはいけない。母は最近「コロ」(コロナ・ウイルス感染のこと)を口にしません。言い飽きたんでしょう。というか、おしゃべりする相手も限定されているだろうな。何だか申し訳ないです。新しいケータイが来たら、持っていこうかな。
ほしいものなら
欲しいものなら そこにあった
せんべいべったん ブロマイド
市場のババアは 大忙し
新商品も 売り込むぞ
さかなや八百屋 漬物や
肉屋 豆腐屋 お菓子屋さん
化粧品は ちょっとおしゃれ
靴屋も少し 気取ってた
和菓子屋さんの ひやしあめ
アイスモナカも 夏限定
めったに食べられなかったが
母の機嫌で 食べられた
市場のババアは 大忙し
新商品も 売り込むぞ
さかなや八百屋 漬物や
肉屋 豆腐屋 お菓子屋さん
化粧品は ちょっとおしゃれ
靴屋も少し 気取ってた
和菓子屋さんの ひやしあめ
アイスモナカも 夏限定
めったに食べられなかったが
母の機嫌で 食べられた
高校時代は そこ抜けて
バス通りまで行きました
豆腐屋二軒は焼き豆腐
バーナーで豆腐をあぶってた
残念ながら私んち
焼き豆腐食べる習慣なく
ただ見て感心するばかり
そしてそのまま遠ざかる
パチンコ屋さんは外国人のホテルへ
すべての店はなくなった
母は買い物する場なく
安売りスーパーで買うばかり
オカンよ買い物したいでしょ
買い物したいのに買うとこないなんて
都会の中の過疎地とは
私のふるさとどうなった
私のふるさと消えていく
買い物する店今はなく
アーケードだけが残ってる
人はどこへと向かうのか
ふるさとへのレクイエムみたいなの書きたかったんだけど、ただの商店街の思い出でしたね。昔はとてもにぎやかでした。信じられないくらいに。みんながそこを歩くのが自慢でした。何度か夢でも見ましたよ。夢の中ではお店は小さい頃のままでした。
最近は夢も見なくなりました。夢に見られたとしても、現実は寂しい街です。街とも言えないくらいにさびれてしまった。