甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

徹夜歩行 通過儀礼だったのです! HSD-38

2016年02月04日 20時58分46秒 | High School Days

 私たちは、よく阪急梅田駅の下、紀伊国屋書店の前によく集まりました。大きなテレビが待ち合わせの時間を紛らせてくれたり、出たり入ったりするお客を見ていると、自然と時間は過ぎていくし、紀伊国屋が開いてたら、そこをブラブラすることもできるのです。

 高校3年の大晦日、みんなで京都に行こうと決めていたので、勉強はすべて放りだして、梅田に集結した。そこから大阪の天神さんまで、阪急東通り商店街を突き抜け、天神橋筋商店街をずっと突き抜けていき、そこで新年の初祈願をした。

 それだけでは満足をせず、私たちはかねてからの予定通りに、京都に向かう。そのためには、またも南に下って、天満橋まで歩き、そこから京阪電車に乗る。深夜の大阪の町は、走るクルマもあまりなくて、ひっそりとしている。松坂屋の建物に明かりはついているが、最低限の街灯だけで、どうして私たちは高揚した気分なのに、どうして大阪の町は、こんなに静かなんだろう。そんな気持ちで、京阪に乗り込んだ。


 京阪四条は地上に駅があって、そこを降りると、もう八坂神社まですべて人で埋め尽くされていた。歩行者天国になっていたような記憶があるが、ひょっとしてクルマは走っていたろうか。たぶん、クルマは閉め出されて、人だけが通りを埋めていた(と思う)。やっと、私たちが求めていた正月の喧噪に出会えた。

 私たちは、大事な受験勉強を凍結して、一晩を徹夜で歩くことに決めていた。できれば、みんながワイワイ騒いでいてほしかった。だから、祇園のこのにぎわいは願ったり叶ったりだったのである。

 メンバーは、映画評論家のヤブ、ピンク映画が専門のユキオ、理系なのに日本史の記憶魔のダルマさん、酒が大好きなイワ、アバ好きのマツラ、近代経済学者のアキラ、バスケのホンマ、そして私、みんな文化祭のクラスの映画で活躍した面々だった。みんなで何日も徹夜したというのに、私はその徹夜作業には参加できなくて、少し気の引ける感じではあったが、とにかく仲間入りをさせてもらっていた。


 私の家は、母が外泊を許してくれず、外泊とはいっても徹夜で編集作業などをワイワイするだけなのだけれど、その作業に参加できない、少し残念な思いを引きずっていた。

 しかし、それは数ヶ月前のことであり、今は2ヶ月後の入試に向かって進んでいる。勉強の能率はあまり上がらないけれど、とにかくこの仲間たちと一緒に、受験に突入するために、今晩だけは許しをもらって、みんなで京都徹夜行なのである。

 オケラ詣りの人たちが次から次と八坂神社さんから帰ってくる。みんな縄に火を付けて、火が消えないようにグルグル回して歩いていた。これが大晦日の八坂神社というものか、何とはなやかで、なんとにぎやかで、何とみんなが楽しそうなのだ。

 私たちは、ただただ人がたくさん集結し、たくさん吐き出されている八坂神社の門から入ろうとした。さあ、ここからは人の流れに乗らなくてはいけなくて、人々はここまでは自分のペースで来られたのに、ここからは狭い境内の中に突入し、とにかくそこでお参りをしなくてはいけないのだ。

 お参りは、もちろんドラを鳴らせる位置まで進み、そこでドラを鳴らさないと気が済まないではないか。右に押され、左に振られ、人の流れにおぼれそうになりながら、私たちは全員でお参りをした。

 帰りは、もう少し人の流れに任せてみようということで、岡崎公園の方へみんなで漂流してみた。そうなると、次なるターゲットは、平安神宮で、こうなりゃ、拝み倒さなくてはならない。時間は、2時近くになっていただろう。


 人々の一団が平安神宮に流れていて、私たちは深夜の京都の町を、少しずつ北へと向かい始めた。このあたりで少しだけみんな深夜の京都歩きに慣れてきて、少しずつ最近気になっていること、今話したいことを、みんな小出しに語り始める。でも、まだまだやらねばならぬことがあって、もっぱらその目的を広言するばかりである。

 「おみくじで大吉を出すんだ。八坂神社ではおみくじもできなかったから……」
「今度は100円でお賽銭をしよう」「今すれ違った子、かわいかったなあ」「いや、オレは××さんの方がいいと思う」「いや、オレは△△さんがいいなあ」「ああ、お前はずっとそういう片思いや……」
私たちは無駄話のせいなのか、あまり寒さは感じなかった。

 平安神宮では、わりとお客さんも少なくなってきたし、広い境内で、思い思いに祈る姿が見られた。さあ、大阪から数えて3つの神社にお参りした。もう十分お祈りをしたのではないのか?

 

 でも、まだ序の口だったのです。私たちは、本来の私たちになりきれていなかった。私たちは、もっと自分の憶えたこととか、自分がずっと気になっていることとか、今、友に伝えたいことを持っていたはずなのです。

 別に、どこか喫茶店で夜が明けるのを待つとか、高校生だけどお酒を飲むとか、そういう可能性もあったわけです。でも、全くそういうことには興味が無くて、みんながやみくもに歩きたかったのです。それが私たちの高校の伝統ではあるし、それを気分的に引き継ぐ者としては、ぜひむやみやたらに歩きたかった。できれば、もう観光地はいいから、みんなで歩きながら何かを語れればそれでよかったのです。


 京都の東の方の平安神宮から、京都の西の方の北野天満宮まで、道はくわしくは知らないが、とりあえず烏丸通を北へ歩き、同志社が見えたら、そこを左に入れば、きっと天満宮はあるはずだと、ダルマさんが言うのです。だったら烏丸通まで出ようじゃないかと、とにかく西に進み、ポンと烏丸通に出たのでした。

 深夜の京都のど真ん中は、元旦とはいえ、お参りする神社もなくて、ビル街は静かにたたずんでいた。歩く人も走るクルマもあまりいないのです。やっと私たちの空間が見えたような気がしました。

 かくして、映画のことをとうとうと語り出すヤブくん、女の子のこととピンク映画の体験をひけらかすユキオ、意外とウルトラものが好きというイワ、彼はお酒とタバコが好きなだけではなかったのです。数学や理科が得意なのは当たり前だけど、ウルトラセブンの私の知らないお話をたくさん知っていて、「えっ、ウルトラセブンって、そんな世界があったんだ。私はたくさん見逃していたんだ。もう取り返しがつかない」とショックを受けたりしたんでした。


 私は何を話しましたっけ。もちろん文学クサイ話でした。得意なネタは、そのころもずっと好きだった井上光晴さんの「虚構のクレーン」でした。それをみんなに聞いてもらうんですけど、話に核がないから、結局表面をなぞるだけだから、すーっと話を聞いたら、ハイ、そういうことなんだね、ということが消えてしまうもんでした。

 ああ、高校時代、数学と理科はまるっきりダメなのに、このみんなと同じように国立大をめざしていた私、それならそうと、それなりの対策もあったろうに、いつも仲間に引け目を感じつつ、それでもあくせくみんなについていこうとしていたようでした。

 そして、深夜の烏丸通でも同じです。何か思いついたら、一生懸命に語ったはずです。でも、どれだけみんなの心を動かせたでしょう。少し心細い限りです。でも、そのときの一生懸命さは大事ですよね。


 さあ、北野天満宮につきました。お参りをそこそこに済ませ、おみくじを心行くまで引き倒し、凶を大吉に変えるまで頑張る人もいたり、私は簡単に吉で、すぐに満足をして、さあ、始発まで、私たちは境内のたき火のところで夜が明けるのを待ちました。

 そこには隣のクラスの北風グループ(女の子には目も向けず、ひたすら男の世界で行くという理想を抱き、結局は女の子に適当に相手にしてもらっている、なんちゃって硬派の人たち)がいて、おまえらも京都の町のやみくも歩きをしたんだねと、少し疲れながらおしゃべりをして、やがて朝が来るのでした。

 そんな、のんきな受験生の元旦がありました。どうせ落ち着かなかったから、これはこれでよかったのかもしれない。私たちは、みんな一浪は覚悟の上だったのでした。その割に、自分だけは現役合格するんだぞと、心と発言は不一致だったかもしれない。


1 高三の徹夜で四社の初詣


2 大晦日 徹夜歩きの仲間たち



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