甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

こころ旅 3週間後は カゴシマへ! 

2014年11月11日 21時05分51秒 | わたしたち、家族
 2011年の春から始まったNHK BSの「こころ旅」は、ちかごろ必ず見るというか、生きる楽しみのようにして見ています。ドラマは一切見ないし、野球もあまり興味ないし、フィギュアスケートも村上さんではイマイチ楽しみはないし、テレビさんは画面の向こうから、どんどん私に「テレビなんか見るな」と語りかけています。

 だから、素直な私はどんどん見なくなって、あとのテレビの楽しみといえば、テレビ東京系の「YOUは何しに日本へ」くらいでしょう。これも少し調子に乗ると、何かつまらない企画になってしまって、昨日は世界中のギャルという人たちが、日本に終結して宴会とかするのですが、既視感があって、何だかしらける内容で、少し残念でした。だから、もう7時半にはBSに変えて、百名山の羊蹄山を見てしまいました。せっかく楽しみを見つけたのに、テレビ局の人たちはすぐ悪のりしてしまうんですよね。

 堅実に、日本を見てみたいという素直な人たちを取材してくれたらいいのに、適当にテレビに適当な自分たちの姿を見てみろ、というような感じの映像はウンザリでした。そういえば、昨日は、外国人タレント総動員で、ナレーターのホビー、ゾマホン、サンコンさん、ジローラモさんなど、普通にタレントとして活躍している人たちを3人もチョイ役で使うし、なんだかガックリの内容でした。



 というわけで、私の今の唯一のテレビでの楽しみは「こころ旅」なんです。

 2011年の春は、そんな番組があるとは全く知らず、全く見ないで過ごしてしまいました。それが2011年の秋、神戸から明石の野球場をめざす番組を見て、正平さんが走っているのを知り、それから鳥取での海沿いの墓地、大山の峠など、ものすごく印象に残る旅をしてくれて、ここから毎回DVDに録画して、何度も見るようになりました。その旅の最後は鹿児島の徳之島の浜でした。まるでフーテンの寅さんのような終わり方で、ああ、終わってしまったと、とても残念な思いがしたものです。

 それが2012年の春、ふたたび房総半島の南から北海道をめざす旅が始まり、1年前は避けて通った茨城・福島・宮城・岩手・青森を解きほぐすように走ってくれて、何とも言えない鎮魂的な番組となったのでした。そして、北海道は3週間も旅をしてくれました。

 秋の旅は、和歌山から始まって、四国・山陽路・日豊線沿いを走り、ふたたび鹿児島を通って、沖縄まで旅をしました。沖縄は2週間ほど走ったでしょうか。

 もうないだろうと思った2013年は、鹿児島から福岡・大阪・奈良・滋賀・三重・岐阜・長野・山梨でした。これで三重県にも1週間ほど来てくださいました。秋は北海道から東北・関東・静岡・愛知で、これで正平さんは、番組スタッフとともに日本全国を自転車で走ったことになりました。満願成就というところで、いよいよ3年目で終わりかなと思ったものでした。

 2014年の春は、愛知から岐阜・滋賀・京都で日本海に出て、ふたたび海沿いに走り出し、北海道まで走り抜けました。この時のうちのDVDレコーダーが壊れて、とにかく生で見ることにしたのでした。けれども、今度の秋の旅が始まり、大阪から再び山陰路を走り、九州の西側を走って沖縄までいく旅に出てくれています。今日から佐賀県に入り(実際は1週間前の文化の日に走っていたのだと思われます)、有明海の先端の昭和天皇の行幸の碑まで走っていました。



 鹿児島は3週間後でしょう。ついこの間、鹿児島の思い出募集締め切りがあったので、とうとう初の投稿をしてしまいました。たぶんボツだと思いますが、できれば私の思い出の地も走ってくださるとうれしいけれど、たぶん無理でしょう。私はもう記憶はほとんどないけれど、坂道があるような気がするし、それほど深い思い出でもなかったですし、とにかく投稿したということが大事ですね。

 ああ、こんな私を、うちの子は、「お父さんはノスタルジーにひたっている」と看破しています。確かにその通り、でも、そのノスタルジーがあるからこそ、今の一歩も進むことができるし、多少のふらつきはあるけれど、きびしい風にも立ち向かうことができると思うんですけど、あまり言い訳はしませんでした。そういうふうに見られても仕方がないという気もします。

 もっと何かを生み出せるような、未来志向のオッサンになりたいです。でも、何も研究していないし、いい商売も浮かばないし、やはり実は後ろ向きなのかもしれません。


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