衆議院は小選挙区だから、さすがにひとりを選ばなくてはなりません。
でも、選挙のときだけニョコニョコ現れる有象無象はいったいなんだろう。最近はその流れが強化されていて、何が焦点なのか、なにも伝わらないまま、ゴタゴタまぜこぜにされて、何が何だかわからないうちに投票日ということがよくあります。マスコミはもっとシンプルで確実な情報だけを伝えてくれたらいいのに、ノイズばかりを伝えて本当のことは伝わらないようにさせられている、そんな選挙報道になっています。私たちは自分の力で選び取らなきゃいけないのに、なかなか難しいです。
仕方なく、今までは全く縁のなかった人を、経歴やら、本人の顔写真などを見て、どれも変わり映えしない人たちだけれど、どの人もあまり信用できないし、そもそも国会議員にでもなろうという野心のある人たちで、腹の中はギラギラしているはずだし、生き馬の目を抜くような、海千山千の人たちが出ている。そうすると、もう投票意欲はかなり落ちてしまいます。
昔の議員さんというのは、ちゃんと順番にたたき上げていく人がいました。町議・市議から県議と経験を積み、ある程度の実績や知名度も築いたので、それでは国政を担おうと国会議員に出る。それでもいろんなカベなどがあって、何度か落選もして、やっと国会議員になる。
そういう積み重ねがある人たちが、今までの経験の裏付けにより、それなりの実効性のある政策を、いろんな地域や行政のシステムを利用しながら実施していく。そういう経験ある人たちがやってくれる政治を思い描いていました。
積み上げ来てた人たちこそ、私たちは承認したい。ぜひ国会で活躍してくれと送り出したい。でも、それは叶わない夢であります。ベテラン政治家は選挙に至るまでに排除されて、二世のプリンス、官僚の超エリート、お金持ちのお遊び、無から有・利益をもぎ取る弁護士みたいな人たちがやたら多い気がします。
あるいは、くたびれたベテラン大都市の市長さんが、もうそろそろ引退なのかと思っていたら、突然の国政進出! 何を考えているのか、私にはわかりませんけど、政治家として最後を国会議員として終わりたいというワガママなんでしょうか。あの人は人気はあるから、ワガママは許してもらえるのかどうか?
小選挙区というのは、その選挙区で名前が売れている人はかなり強いし、今までよほどのミスがない限り当選してしまうと思います。たまたま失政やら本人に問題があって、このシステムの中では落選となった人たちが、今のシステムではちゃんと復活する比例システムも用意されていて、人々の選んだ結果はもみ消されてしまう。私たちは納得できないけれど、彼らの都合で、彼らは復活してくるのです。ゾンビみたいにタフなのです。
私たちは、選挙の結果からは予想できなかった顔ぶれによって、私たちを管理する法律の枠組みを押し付けられ、生活は追いつめられ、いろんな安全ネットとしてどこの国でも持っているシステムもズタズタにされたりしている。
私たちは、生きていく上で、何もかも自助努力の上でやっていくように仕向けられつつあります。本人が倒れたら、それは本人または家族でカバーするようにしなさい、ということが推奨されている。それは最近の災害時における行政機関の対応を見ていると想像できます。
私たちは、防衛装備だけは進んだ(たっぷり欧米の兵器会社から購入している)国家という枠の中に生きています。最新鋭の武器ならたくさんあります。でも、個人の生活はズタズタにされている。
そして、この選挙です。誰も知らない人をエイヤーと、「党派を見て選びなさい。それくらいで十分だろう。おまえたちは安心して私たち政治家に託せば、政治家は悪いようにはしない!」
そう言いたいのでしょうね。何もかもお任せで、あの人たちは好きなように政治なるものを行い、私たちは無言で税金を支払い、生活苦に耐え忍ぶ、そういうことのようです。
だれか、もっと穏やかな口調で、当たり前のことを丁寧に話してもらえる人はいないものかなあ。たくさんの文字・公約などは、いろんなところで見られるようになっていますよ、ネットで見てください! そう言うでしょうけど、そういうのは要らない。そんなたくさんの理想やら空想ばかり見せられても、何の得もありません。どうせ空手形だし、選挙が終わればすべては空文化してしまう。なんて虚しい文章なんだろう。
有象無象の候補者はいらない。もっと普通に話してくれる人がいないものか。それはないものねだりなのか。政治家は、あんな風にしゃべるから政治家であって、のんびりゆったり話してたら、誰も聞きはしない、そういうものなのか。
ちゃんとしたメッセージを伝えられる人、行動の裏付けのある人、いないものかなあ。