関西地方(上方)と伊勢神宮をつなぐ道には、長谷寺の前をどんどん東へ突き進む道と、もう少し山の中へ入っていく道があって、初瀬街道と伊勢本街道と呼ばれていました。
その山側を抜けていく道は、南北朝の時代には、歴史を作る道でもあっただろうし、伊勢の国で南朝方の勢力者の北畠氏の本拠地もあったので、山の中なのにかなり発展していた道だったと思われます。
この伊勢本街道が、伊勢の平野部に下ってきたら、そこからは田園地帯を縫うようにして歩けばいいのだから、わりと簡単に、太陽が上がって来るところをめざせば、アマテラスオオミカミさまが、ここらでいいよとお決めになった森にたどり着けるはずでした。
その道から、東西に走る中央構造線の南側、谷沿いに和歌山をめざす道ができて、峠はいくつか越えなくてはなりませんが、吉野を通り、今度は吉野川沿いに西へ向かい、紀伊の国からは名前が紀ノ川になって、そのまま海までたどり着ける道がありました。
幕末に、突然勤王の志士たちが現れたり、高見山の登山基地になっていたり、それなりに発展はしてたでしょうが、今はわりと静かな、バイクのライダーたちが憧れる、道があります。今は国道166という呼び名に変わり、知る人ぞ知る道にはなっているのでした。
伊勢の国に入ったとところで、高見峠を降りきったところ、それが波瀬宿でした。
本陣跡には、今も立派な土蔵があります。中を見せてもらいたいけれど、今も人が住んでおられるようでした。
向かい側には、田中家資料館というのがありましたが、ここも真夏の平日ということで、誰もいなかった。
そもそも、真夏の真昼に街道歩きをしようなんて、そんな無謀で無茶なことは考えられません。地元の人だって、クルマだって走っていない。みんなじっと家の奥で、太陽が通り過ぎるのを待っているだけなのだから。
メインストリートを抜けて、坂道を降りていきましょう。
あちらこちらに、昔の雰囲気を残した建物があって、歴史の流れの中埋没しそうになっている。誰も古い道を顧みることはないし、そこを歩いてしか行き来できない時代は確かにあったのに、それはつい二百年前には確実にそうだったのに、今はそんなことがあったことさえ忘れられているのでした。
私たちは、家を荒れ放題にさせ、道は狭くて曲がりくねっているし、イチイチ峠を上り下りしなくてはならないからと、敬遠し、新しい道を作り、古い街道は切り捨てるようにこの何十年かはしてきたと思います。
その流れは、なかなか止められないけれど、田舎が通り過ぎるだけの土地でいいのなら、都会の人たちに何も提供できないのなら、そのまま忘れ去られても仕方がないのだけれど、歴史や文化や、人々の暮らしや、いろんなものが確かにそこにあったはずなのだけれど、それらを現代に生かす方法はないのか、歩いて昔の街道を踏破する必要は現代にはないのか、ほとんどの人は、街道を歩いて、峠を越すなんて、しないとは思うのだけれど、何か歩いてみなければわからない、現代の私たちに必要な何かがあるような気はするんです。
それは何か?
それがわからないのですけど、ぜひ、見つけたいとは思っているのです。私にはどれくらいの時間があるのか、それも分からないけれど、知りたいとは思っています。
野宿すること、サバイバルすること、できるだろうか。山道登れるだろうか。見つけたいのに、不安がいっぱいです。