正式な宿場名がわからないですね。名前があるのかなあ。あるはずですけど、JRの紀勢線の駅名を書きました。県庁所在地の津市は「津駅」そこから南に行くと「阿漕」その南が「高茶屋」その南が「六軒」その次が「松阪」です。
快速みえだったら、津から松阪まで15分くらいでノンストップで走ってしまいます。近鉄特急も違うところを走って同じところにたどり着きますが、久居とか、伊勢中川に停車する特急もあるはずですので、JRに負けてしまう場合もあります。ただ快速みえは本数がたくさんあるわけではないので、うまく時間が合えば、わりとすぐに着いてしまうけど、タイミングが悪いと、遅くなってしまう。普通電車はだいたい40分くらいかもしれませんけど、場合によっては駅で待たされることもあるので、ものすごい時間がかかったりします。
私は、阿漕と高茶屋の間は歩いたことがありました。でも、足のふくらはぎがおかしくなって、挫折して帰ってきたことがありました。そのリベンジで、しかも今まで歩いたこともない道をたどることにしました。
だだっ広い田んぼの中の道だと思っていましたし、だいたいはそんなものだったのですが、街道沿いに少しだけ集落があって、お寺もあったので、たぶん、昔の人が歩いた道に違いない。松阪から伊勢市に向かう伊勢街道は、抜け道マニアの人たちに暴走されて、とても危ないことになってたりしますが、この高茶屋から六軒までの間は、すれ違ったクルマは数台くらいだったかもしれない。それくらいに忘れられてる道になっているのかもしれません。
いや、通勤で使っている暴走ファンの人もいるんだろうか。
わりと楽しく歩いて来て、津市と松阪市を隔てる雲出川のほとりに出ました。ここから南が私の住む町だし、お伊勢さんにつながっています。川は右から左へ、西から東へと流れていきます。お昼抜きで歩いてたけど、だいたい13時くらいだったのかなあ。
川で街道は分断されていました。橋があったのか、それとも渡し船だったのか、道を探してそれらしい街の雰囲気を歩いていると、
ポンと北海道の名付け親の松浦武四郎という人の生家に出ました。ここは整備もされて、公開もされているようでした。けれども、私が訪ねた時にはお休みでしたね。まあ、公開されているとも、どこにあるかも知らないで歩いていたので、こんなところにあったのかと、その発見に驚いた感じでした。
ここだけが整備された昔の家で、他のおうちは、閉ざされてたり、住んでいる人がいなさそうだったり、街道の雰囲気はあるし、それぞれの家の玄関には屋号を書いた札が掲げられているのに、町そのものがさびれている感じになっていました。そりゃ、歩く人がいないし、どこかに行きたい人はクルマに乗るし、クルマは古い道は走りにくいし、仕方なしにさびれていっている。
橋を渡っている時、少し上流側にJRの鉄橋がありました。あの単線の細い鉄橋を頼りに紀勢線は運営されている。他の橋もみんなそうだけど、あれだけが頼りで、近鉄の立派な鉄橋と比べると、何となく淋しいものがあるんですが、それでもちゃんと長い年月を支えてきたんですから、これからも続いていってもらうしかないのです。
二時間ほどかけて六軒駅にたどり着き、14時ちょうどの電車(気動車)に乗るつもりが乗り遅れて、45分待つことになりました。跨線橋から歩いてきた北側を眺め、とても昔の旅人にはなれない、ヘコタレル自分を突き付けられ、ぼんやり空を眺めるしかありませんでした。
でも、しばらく休憩したら、また歩くことはできそうだったから、そんなにみんながずっと歩き続けたわけではなくて、ヘタレのおっさんにも、休みながら歩き続けることは可能かもしれないと思った次第です。でも、松阪駅まで街道を歩き続ける元気はなかった。