僕がこのQ島に来てから二週間の見聞は、すでに三回にわたつてRTW放送局へ送つたテレヴィによつて大体は御承知かと思う。僕の滞留許可の期限は明日で切れるのだが、思いがけぬ突発事故のため、出発は相当延びることになりそうだ。その突発事故というのは、第一には僕を襲った恋愛であり、第二には、昨日この島に勃発(ぼっぱつ)した革命騒ぎだ。島の政府は、それを反革命暴動と呼んで、規模も小さいし、もはや鎮定されたも同様だと、すこぶる楽観的な発表をしているけれど、僕の見るところでは、事態はさほど簡単ではないようだ。
ともあれ、革命騒ぎのため、電波管理は恐ろしく厳重になつた。殊(こと)に外国人は一切発信の自由を奪われ、僕の携帯用テレヴィ送信器も一時差し押さえをくつている。空港はすべて、軍用ないし警察用の飛行機のほか離着陸を禁止された。僕は手も足も出ないのである。そこで僕は、密航船というすこぶる原始的な手段に、この通信を託することにする。もっともそれだつて、きびしいレーダ網を果たして突破できるかどうか。万全を期するため、ついでにコピーを一通つくって、ビンに密封して海中に投じることにしよう。この早手廻しの遺書(?)が、結局無用に帰することを僕は祈る。失恋と革命騒ぎと――この二重の縛(いま)しめから、明日にも解放されんことを僕は僕のために祈る。
★ なんとなく物騒な感じで始まりました。神西(じんざい)さんが、こんな変な小説を書いているなんて知らなくて、見つけたときにビックリして、そのままコピーして、いつかだれかに読んでもらおうと持っていましたが、たぶん誰も喜んでくれないかもしれません。神西さんを好きな人が、「あれっ、これ何?」と思ってもらうしかありません。
そうです。ロシア文学の翻訳の仕事だけではなくて、神西さんは自分の創作もされていたなんて、私はかなりの年になるまで知りませんでした。恥ずかしいことです。
その著作は、とても誠実で、こうしたSF小説というのか、サスペンスというのか、とにかくエンターテイメントですね、こういうのを書いても、何だか誠実な感じで書かれていると思ってしまいます。
僕がこの島にやって来て最初の十日ほどの間に味わった驚異については、僕は既に三回のテレヴィ放送で、かなり実証的に報告しておいたはずだ。まったく、北緯75度、西経170度という氷海の一孤島に、突然RTW局の特派員として出張を命ぜられた時には、家族よりも僕自身の方がよっぽど色を失ったものである。しかも季節は、われわれの暦によれば11月の末であった。僕は生まれつきすこぶる寒さに弱い体質である。しかし報道記者としての僕の野心は、ついに一切の顧慮(こりょ)や逡巡(しゅんじゅん)にうち勝った。
僕は意を決して、あの冷雨の朝、Q島政府差まわしの成層圏機の客として、(おそらくはなはだ悲痛な顔をして)ハネダ空港を飛び立った。そのとき君は、温室咲きの紅バラを一籠(ひとかご)、僕にことづけたっけね。Q島の大統領に贈呈してくれという伝言だった。この伝言は、しかし残念ながら果たすことができなかった。それには次のような事情がある。
バラが冷気で枯れたのではない。それどころか、機中の完全な保温装置と、僕の熱心な灌水(かんすい)とによって、バラは刻一刻と生気を増して行ったのだ。ところが驚いたことには、北緯73度を越えたと機中にアナウンスされた頃から、君の紅バラはみるみる醜い暗灰色に変色しはじめた。すでに飛行機はいちじるしく高度を低めて、人も植物も、Q島の放射する強烈な原子力熱気の圏内に入りはじめたのである。
まもなく、Q島南端の空港に着陸したとき、防疫検査は峻烈(しゅんれつ)をきわめた。君に委託されたバラは、その時すでに暗灰色の花びらに黒褐色の斑点(はんてん)をすらまじえて、およそグロテスクを極めていたが、僕は敢然(かんぜん)として防疫吏(ぼうえきり)の前に、これは日本北岸原産の麝香(じゃこう)バラという珍種である旨(むね)を主張してゆずらなかった。防疫吏は僕の主張を一笑に附して、このバラは既に枯死して久しいと宣告した。そして両の手のひらで花びらをもむと、事実バラの花びらは、石灰のように飛散してしまった。僕は恥じ入った。
さて僕はというと、この峻烈かつ炯眼(けいがん)な防疫吏の手で、全裸にされた。頭髪、胸毛、恥毛など一切の毛髪も、薬物によって脱去され、全身消毒ののち、透明な衣服を与えられた。それは下着から上衣(うわぎ)やネクタイに至るまで、悉(ことごと)くガラス繊維で織られたものであるが、かなり柔軟性があって、着心地は悪くない。僕はQ国の国是(こくぜ)たる透明主義の洗礼を、まずここで受けたわけである。ついでに記しておけば、Q国の制服は男は無色透明、女は淡青色透明のガラス服であって、一さい除外例を認めない。
僕は日本人として、もちろんすこぶる当惑(とうわく)と羞恥(しゅうち)を感じ、せめて黒色ガラスの服を与えられたいと抗弁これ努めたが、無駄であった。のみならず、僕が必死になって叫び立てた「黒」および「羞恥」という二語は、いたく係官の心証を害したらしい。彼らはしばらく何事か協議した。ファシスト? 狂人? などというささやきが僕に聞えた。しかし結局、滞留許可証は与えられた。滞留場所は、HW109Pという指定である。
君はこのHW109Pというのを、どんな場所だと思うか? 僕が先日の放送で、それを極楽にも比すべき豪壮快適なホテルとして紹介したのを、恐らく君は記憶しているだろう。だがあれは、プレスコードの勧告に従ったまでのことで、実は病院――しかもその精神科だったのである。僕がひそかに盗み見た僕のカルテには、封建主義的羞恥(しゅうち)症と記載してあった。さして重症でなかったものか、それとも山羊(ヤギ)博士の治療が卓抜であったせいか、僕は三日ほどで全快を宣せられた。さてそこで僕は、ホテル住まいの身になれたか? 断じて否(いな)。僕が次に居住を指定された場所は、同じ病院内の、なんと産婦人科であった。
全く、なんという侮辱(ぶじょく)だろう。僕の忿懣(ふんまん)はその極に達したが、今度も抗弁は無効であった。僕は科長である鰐(ワニ)五郎博士、および研究室附きの若い看護婦、鶉七娘(ウズラ ナナコ)に引き渡され、病棟内の小部屋に収容された。
★ 名前の付け方が不思議です。ヤギ博士、ワニ博士、看護婦のウズラさんなんて、これは中学生くらいを対象にした冒険小説みたいな感じで書かれたものなんでしょうか。服を着てもほとんどスッポンポンと同じというのは、何だか変な感じで、エッチな中学生なら鼻血が出そうな設定です。まあ、昔の中学生ならそんなもんですね。今の若い人なら、つまらない設定だと笑ってスルーするところですね。
改めて言うまでもなくQ国の家屋は、その国是(こくぜ)に則(のっと)って、礎石と鉄骨を除くほかは壁も床も天井も屋根も、全部が無色の透明ガラスである。カーテンや家具や食器も、やはり同様である。病院建築にしても、無論その例外ではない。もっとも技術的ないし人道的な見地から、特例として局所的な遮蔽(しゃへい)の行われる場合もある。つまり分娩(ぶんべん)とか掻爬(そうは)とかの、苦痛や惨忍性を伴う場合がそれであって、この時は手術台なり分娩台なりを、到底肉眼の堪えぬほど強烈な白熱光をもって包むのである。ただし患者および施術者に限って、特殊な黒眼鏡(くろめがね)の着用が許される。つまり光を以って光を制するわけで、この遮蔽法はすこぶる透明主義の理想にかなうものと言わなければならぬ。(ちなみにこの遮蔽法は男女間のあるプライヴェートな交渉の場合にも、当分のあいだ適用を許されている。)
さて、僕の収容された室(へや)の両隣りはガラスの壁を境に手術室であり、ガラスの廊下をへだてた向こうは診察室であった。そこで僕は、眼のやり場に窮して、神経衰弱になったか? 断じて否。僕はここにおいて、はじめて病院当局の意の存するところを知った。僕が産婦人科に収容されたのは、つまり羞恥症の快癒状態を実地によって検証するためであったのだ。僕はこのテストにパスして、一週間後には解放されるはずであった。
僕がこの二度目の入院中に見聞したことで、書きもらしてならぬことがある。それは女性を「女性」から解放する研究が、すでにこの国ではかなり進んでいることである。それは煎じつめれば、出産を全免ないし禁止することでなければならない。精子と卵子との試験管内における人工交配は、すでにQ国では一般化されているけれど、それでもまだ遊戯的な恋愛の結果たる妊娠現象は、必ずしも減少してはいないと言われる。それは現にこの鰐(ワニ)博士の分娩室や手術室が、日々相当の賑わいを示していることでも明らかだ。
これに対しては専門家の間で、幾つかの根本的研究が進められつつある。例えば山羊(ヤギ)博士は、去精の男性一般に及ぼす悪影響の除去について研究中である。これに反して鰐博士は、むしろ子宮や乳房(ちぶさ)の自然退化を促進する方を捷径(しょうけい……早道)と見て、既に三十年をその研究に費して来た権威者である。そして僕の見るところでは、鶉(ウズラ)七娘という看護婦は、主としてこの方面の研究の助手および恐らくは実験台をも勤めているらしかった。けだし僕は二人が研究室にこもって、二人きりで例の白熱光幕に包まれるのをしばしば見かけたからである。
そういう時、博士はよく「阿耶(アヤ)、阿耶」という絶叫を漏らした。僕はそれを、博士が感きわまって口にする彼女の愛称かと思ったものである。それとも、それはQ語の単なる感嘆詞だったかも知れない。僕はひそかに嫉妬(しっと)を感じた。阿耶は楚々(そそ)たる美しい娘であった。淡青色のガラス服を透かして見えるその胸には、みずみずしいつぶらな乳頭がぴんと張っていた。それはまだいささかも退化の兆候(ちようこう)を示していなかった。僕はそれを見るたびに、何かほっとするのだった。
★ ここまで写してみたら、何だか変な小説みたいで、イヤになりますね。でも、これは神西 清さんの作品だということです。もう少し落ち着いたら、続きを読めるでしょうか。
別に興奮する訳ではないですが、何だかイヤな感じです。でも、あとしばらくしたら落ち着いて続きを載せられると思うので、またあとでご覧ください。
ネコの写真とか、私の癒し系の写真でも貼っておくことにします!