ここ何日かはあたたかいので、紅葉が遅れるという話を聞いたことがあります。ああ、そうなんだ、確かにあたたかいかもしれないとは思います。
そして、週末ともなれば、紅葉の名所にはたくさんの人々が押し寄せるはずです。京都なんか、JRでも、京阪でも、阪急でも、どこで降りても、駅周辺は騒然としています。バスには行列ができたり、やたらたくさんの人たちがいたり、もう町中がお祭りのような雰囲気を出していることでしょう。今週末はねらいめなんでしょうね。
でも、私は週末に仕事があって、遊びに行けないのです。だからというわけではないけど、せいぜい身のまわりの紅葉などを探して、気分を出そうとしています。
桜もそうだけれど、それを見たからどうということはないのです。ただ、季節の移り変わりがすごくて、日に照らされた紅葉などは、風や寒さなどによって、さらにキューンとなって、「キレイだね」ということになりますが、見られなかったらどうにもならないし、見たからといって別にどうということもないのです。自分が違う自分になるわけではなく、ただ何となく秋の気分を味わえるだけです。
それで、私は、とりあえず紅葉を探しながら通勤しているわけですが、今朝は、それどころではないのだというのに気づいたのです。
前を軽自動車がとろとろと走ります。細い道にさしかかって、こちらもゆっくりにして、前のクルマもスピードをゆるめ、後続のクルマもあったと思いますが、両側に藪が広がっている道をすり抜けていました。対向車はいませんでした。
紅葉はないけれど、ミドリの中の黄色の点々は、キレイという表現でまとめることはできないけれど、なんともいえない味が出ているなと気づいたのです。
立派なイチョウの木があるわけではありません。ところどころに植え込みの杉のようなのもあります。きれいに黄色に染め上げられているわけでもありません。まだらに黄色いだけなのです。しかもその黄色は、一様ではなくて、小さい点だし、1つの葉にも、濃淡があります。
今朝は、雨が一旦上がって、少しだけ太陽の光もこぼれていました。けれども太陽に力はありませんでした。何に心をひかれたのでしょう。木々のタッチに、ああ見事だなと思ったんでしょう。
決して上手な絵ではないけれど、緑と黄色と茶色と黒の点々が両サイドにあふれ、散らばり、クルマで走り抜けると、まるでタイムワープするのが目に見えるような、そうした色がうしろに流れていくのを見ることができたのです。ちょうど坂道になっていて、はるか向こうの信号も見えました。そこへ向かってすべり落ちていく自分が、黄色の秋の世界に落ちていくようで、一瞬だけど、ああ、すごいなと思いました。
明日、そんなことを思いつつ走れるでしょうか。今日限定の気分であって、明日はまたキレイなモミジはないかいなと思って走っているかもしれません。
たぶん、今朝のNHKのラジオも関係しているのかもしれません。みんなで励まし合ったり、よその人の話に共感してみたりしている内容でした。冷静に突き放して考えてみたら、「何とつまらないことで一喜一憂しておる人々よ」となるのかもしれないけど、私たちはそういうふうにできてもいるので、そういうつまらない声を掛け合う中で、これで私も生きていけるという気分を少しずつ味わうモノなのだと思いました。
だから、モミジじゃなくて、つまらない黄色い葉っぱにも美しさを感じられたのだと、今、振り返ると思えます。明日は明日でバタバタするでしょうけど、明日は明日の気分で、何か気になることを見つけることにします!
とにかく今日は、黄色い葉っぱがキレイだったのです。
そして、週末ともなれば、紅葉の名所にはたくさんの人々が押し寄せるはずです。京都なんか、JRでも、京阪でも、阪急でも、どこで降りても、駅周辺は騒然としています。バスには行列ができたり、やたらたくさんの人たちがいたり、もう町中がお祭りのような雰囲気を出していることでしょう。今週末はねらいめなんでしょうね。
でも、私は週末に仕事があって、遊びに行けないのです。だからというわけではないけど、せいぜい身のまわりの紅葉などを探して、気分を出そうとしています。
桜もそうだけれど、それを見たからどうということはないのです。ただ、季節の移り変わりがすごくて、日に照らされた紅葉などは、風や寒さなどによって、さらにキューンとなって、「キレイだね」ということになりますが、見られなかったらどうにもならないし、見たからといって別にどうということもないのです。自分が違う自分になるわけではなく、ただ何となく秋の気分を味わえるだけです。
それで、私は、とりあえず紅葉を探しながら通勤しているわけですが、今朝は、それどころではないのだというのに気づいたのです。
前を軽自動車がとろとろと走ります。細い道にさしかかって、こちらもゆっくりにして、前のクルマもスピードをゆるめ、後続のクルマもあったと思いますが、両側に藪が広がっている道をすり抜けていました。対向車はいませんでした。
紅葉はないけれど、ミドリの中の黄色の点々は、キレイという表現でまとめることはできないけれど、なんともいえない味が出ているなと気づいたのです。
立派なイチョウの木があるわけではありません。ところどころに植え込みの杉のようなのもあります。きれいに黄色に染め上げられているわけでもありません。まだらに黄色いだけなのです。しかもその黄色は、一様ではなくて、小さい点だし、1つの葉にも、濃淡があります。
今朝は、雨が一旦上がって、少しだけ太陽の光もこぼれていました。けれども太陽に力はありませんでした。何に心をひかれたのでしょう。木々のタッチに、ああ見事だなと思ったんでしょう。
決して上手な絵ではないけれど、緑と黄色と茶色と黒の点々が両サイドにあふれ、散らばり、クルマで走り抜けると、まるでタイムワープするのが目に見えるような、そうした色がうしろに流れていくのを見ることができたのです。ちょうど坂道になっていて、はるか向こうの信号も見えました。そこへ向かってすべり落ちていく自分が、黄色の秋の世界に落ちていくようで、一瞬だけど、ああ、すごいなと思いました。
明日、そんなことを思いつつ走れるでしょうか。今日限定の気分であって、明日はまたキレイなモミジはないかいなと思って走っているかもしれません。
たぶん、今朝のNHKのラジオも関係しているのかもしれません。みんなで励まし合ったり、よその人の話に共感してみたりしている内容でした。冷静に突き放して考えてみたら、「何とつまらないことで一喜一憂しておる人々よ」となるのかもしれないけど、私たちはそういうふうにできてもいるので、そういうつまらない声を掛け合う中で、これで私も生きていけるという気分を少しずつ味わうモノなのだと思いました。
だから、モミジじゃなくて、つまらない黄色い葉っぱにも美しさを感じられたのだと、今、振り返ると思えます。明日は明日でバタバタするでしょうけど、明日は明日の気分で、何か気になることを見つけることにします!
とにかく今日は、黄色い葉っぱがキレイだったのです。