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ここに来たのは二十数年ぶりです。昔はたくさんの人たちとここを訪れたものでした。家族や友人たちや仲間がいました。
お酒を飲むわけではなかったし、キャンプをするわけでもないのに、この赤い壁に向き合うことができました。
家族三人で来た時だって、延々と川に向かって石を投げていましたし、うちの子はおっかなびっくりで川の中に入っていました。こんなにただっ広いと、少しだけ恐怖心も起きて、慎重になって遊んでいました。
その判断は、自然に対する察知力で、なかなか大したものでした。察知力がなければ、ただ冷たいとか、水に入ると気持ちいいとか、際限がなくなります。それを自制できる力が、うちの子にはあったということでした。小さかったのに、川に関してはうちの子はベテランでした。何度も何度も服を濡らしたんだった。
二歳にならない前の真夏、涼しいだろうと名勝の瀞峡(熊野川)にジェット船にのって訪れた時も、すぐに服を濡らしてフル〇〇で川に入ってました。もう小さい時から、そんな野放図なところがありましたね。何だか懐かしい。
仲間とバーベキユーもしたんだろうか。あまりそういうことが世間に普及していない時代に、当時の仲間たちとで渓谷に乗り込み、簡単な道具で焼き肉とかしました。お酒も飲まないのに、食べてしばらく遊んだら、すぐに帰るだけだったのに、一枚岩なんかに目もくれず、みんなで騒ぎ、食べることだけで満足していた、そんな時代がありました。
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今は、そんな時代ではないし、私はかなりのオッサンになったから、そういう遊びもしないし、仲間もいなくなってしまいました。みんな忙しいし、家族も一枚岩どころではありませんでした。
私だけが感傷的に、尋ねてみたくて、ひとりで昔遊んだところにやって来ました。
歳月は経過していますから、もちろん、私には昔の元気も軽さもありません。
だったら、自然を味わう感性が研ぎ澄まされたのか、というと、これも怪しいものです。
くもった感性と、ぼんやりした気持ちと、どうにも後戻りできない悔いと、今は今で楽しむしかないという開き直りと、そんなことがないまぜになったひとりの旅でした。
火山らしき岩の塔みたいなのは、改めて見てみると、本当にたくさんあって、どうして昔にそういうことを教えてもらえなかったのか、それが少し残念でした。
いや、せめてそういう貴重な自然を教えてくれる簡単なテキストでもあればいいんだけれど、そういうものはありませんでした。
どんな宝物があったとしても、それは自分で、あれこれと探し出して、つなげていくしかありませんでした。都会なら、それをやってくれている人がいるんだろうけど、たまたま私はそういう人に出会ってこなかったんです。
ただ石は壁のようにあるだけです。その事実は変わりません。
何もわからなくても、とにかく不思議な風景であるというのは確かでしたし、その記憶は今もあって、だから、私は訪ねてみました。
また行くことがありますか? たぶん、あると思っています。
この辺りに、別荘を建てるというプランはどうなりましたか?
もちろん、お金がないから、それは生涯夢としてあたためておきましょう。チャンスがあれば、ホイホイと訪ねてみる。電車はないから、自分のクルマで行く。もしよければ、自転車とかカヌーとかで自然に触れてみる、そういうことも夢として抱えていきたいです。