甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

うちの子のふるさとへ Atawa!

2015年08月25日 19時41分13秒 | 三重・熊野さんぽ
 つい先日、ドライブに行ったばかりの三重県南部や、私の住んでいる三重県中部。台風は日本海に抜けてはるかかなたで温帯低気圧になったというのに、ものすごい雨と風を送り続けています。真っ暗な中で風と打ち付けるすごい雨です。うちは雨戸がないので、もうハラハラドキドキで雨音を聞いています。大変なことになりました。

 雨も風も今夜いっぱいということだから、あと数時間辛抱したら、過ぎ去ってくれるのかもしれないけれど、あんなに遠くにある台風なのに、各地で被害も出て、雨がたくさん降っているようです。三重県も心配です。被害の全貌はなかなか見えません。

 不安な夜のとっかかりです。今夜はこのまま早く寝て、明日もう一度リセットして、新しい気分でお仕事も身のまわりのこともしていきたいと思います。いつも口先ばかりで、何も新しいこと、さっぱりしたことができなくて、モサーッとしたまま過ごしていますが、シンプルでムダのない生活というのをめざしていきたい!

 今の私はその正反対で、ペンやハサミなどの筆記具はちらかったまま、何枚も聞きかけのCDがどこにもおさまらずに転がっている。帽子、飲み終わったポンジュースのペットボトル、新聞の切り抜きなど、何もかもが乱雑に置かれています。本も買ってきてそのまま転がっていたり、何もかもドッチラケの身辺です。はるかに理想から遠い混乱した机のまわりです。

 だから、何か打ち込もうとしても落ち着かなくて、何も浮かんでこないのであります。

 それでは、無理矢理俳句でもしてみますかね。


1 影武者の川原に三十年めの夏


2 東屋と稲刈り目前千枚田




 気分を改めて、阿田和への旅を書こうと思います。


 初めて住んだ土地は、御浜町の阿田和という土地でした。「あ・た・わ」と読むのですが、声に出したみると、何となく頼りないような、どこにアクセントをおいて発音したらいいのか、おそるおそるな感じです。そんなおっかなびっくりの姿勢で発音したら、よその地方の人なら聞き取ってくれません。「ハー? 何それ?」という感じです。

 でも、地元の人はすぐに聞き分けてくれて、前の方にアクセントを置いて「あたわかね」とか何とかで受け取ってくれます。何にもない町だけど、それなりに地域の中ではある位置をしめている町だったのです。熊野市から新宮市まで20キロあまりの砂利浜が一直線につづいていて、その真ん中に阿田和がありました。

 そこに6年住んでいました。うちの子は1歳半から小学1年までいたわけです。そこに同じように育ち、大きくなった同級生たちは、もうこの町に住んでいない子もいるようで、うちの奥さんの情報では、神戸に出て行ったり、大阪へ進学したり、みんなそれぞれにこの町を後にしたようです。本当に会いたいなら、それなりに苦労しないと会えなくなってしまっています。



 だから、私たちが20数年前の自分たちのくらしをなつかしんでも、もうそこに住んでいた何人かの人たちはここを去って、どこにもいないのです。どんなに時間をさかのぼらせても、風景は変わらないように見えても、もうどうしようもないくらい人々は移り変わっているようです。

 鴨長明さんが、中世の京都の町を歩きながら考えたのと同じで、町としてはそれなりに変化はしているようだけど、根幹は変わらないから、町は不変じゃないの? いつまでも京の都は不滅だとか思ったとしても、そこに住む人たちが変わっていくわけだから、当然のことながら、そこで昔を懐かしむことはできるけれど、昔に戻ることはできない。人とすみかとはみんな泡のようなものなのでした。

 昔に戻るためには、建造物を復元するのじゃなくて、昔のなつかしい人々を呼び寄せなくちゃならないのです。

 でも、私たちは、昔に戻りたいわけではなくて、ただ時の移り変わりを確かめたくて来た訳なので、とりあえず自分たちが住んでいた住宅へ行きました。

 写真も撮りましたが、それをそのまま載せるわけにはいかないので、同じようなのをインターネットから借りてきました。



 こんな感じで、私たちの住んでいた住宅は荒れていました。20年前は、もっとキレイでサッパリしていて、夏の終わりや台風が行き過ぎた後なんかは、みんなでお掃除したりして、こざっぱりした感じだったと思いますが、20年後の現在はかなりすさんだ感じになっていました。当たり前ですか……。

 私たち夫婦は、まあ、こんなものかと半分あきらめた感じのところもありました。けれども、うちの子はそれでは気が済まなかったのか、学校・保育園へ通うときに行った近道がどうなっているのかを確かめたり、夕方お母さんが呼びに来るまでなかなか家に帰らずに遊び続けた遊具が撤去されているのを確かめたり、どうやら記憶の中にあったものが現実世界から取り払われているのを1つ1つ確かめていました。

 別に感傷的になるわけではなく、こどもたちもあまり見ないし、町はやたら静かで、近くの小さなショッピングセンターにも行きましたが、ここも少しだけ元気がないように見えて、何もかも輝いていたものがしぼんでしまったのを改めて確認していたようです。

 これが当時を知る人に会えたら、いっぺんに過去にタイムスリップして、輝きを放つのだと思われますが、どこにもそんな人はいないようでした。何しろのすごい日差しと熱量だったのです。日向を歩く人はいませんでした。荷車を押すおばあさんとか、駆け回るこどもでもいたらいいのだけれど、みんな家の中でこの太陽光線が弱くなるのを待っているのです。


鶏そぼろ弁当のファンなんです。鶏肉はあまり好きじゃないんだけど、そぼろだとOK?

 仕方がないので私たちは、もう1つの目的地、熊野市紀和町の千枚田と湯の口温泉に行き、山の斜面に連なる稲刈り間近の田んぼを上からながめ、そこで持参した昼ご飯を食べ、新築オープンの湯の口温泉につかり、もうあまりおしゃべりもせず、淡々と帰って来ました。



 ほんの半日太陽を浴びただけだけれど、この日の太陽は本当に強く厳しく、センチメンタルな私たち家族を打ち砕きました。だから、私たちは大内山のミルクランドというところへ寄り道して、ここで自慢のソフトクリームを食べて元気になろうとしたのですが、200キロ以上のロングドライブでへこたれていたのか、なかなか元気は回復しないのでした。

 でも、私たちの原点はここにあるので、とにかくここからスタートしようと旅したんですね。だれかに会えるといいんだけど、ここは観光じゃなくて、何だか帰ってからシンミリしてしまって、疲れはいつも以上で、何だかドローンとしてしまいます。でも時々やたらと行かずにはいられない! そんな気分になるようです。


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1 コメント

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七里御浜の海 (amigurumi)
2015-08-27 10:22:24
コバルトブルーとエメラルドグリーンとマットな水色の三層になった海。もう秋なのにあまりにもキラキラ。
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