甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

東海道・杖衝坂(つえつきざか)を落馬かな

2015年10月18日 21時05分29秒 | 街道を歩こう!
 鉄道めぐりと街道歩きはセットです。あすなろう鉄道の内部(うつべ)駅まで来ました。そこから少しだけ歩いたら、杖衝坂に行けるらしいのです。じゃあ、行ってみようと、少しだけ国道1号線沿いを歩き、内部川を渡れば、すぐに東海道・杖衝坂(つえつきざか)の案内表示を見つけることができました。500メートル歩けば、杖衝坂は上れるのでしょうか。それともとっかかりまでが500メートルかなあ。



 陸橋の上から、四日市の市街地やコンビナートをながめたつもりでおりましたが、少し海まではあるようです。かなり内陸に切れ込んで、このままどんどん鈴鹿の山の低いところをめざしていきます。亀山・関・坂の下まで、まだまだ距離はあるようで、ヤマトタケルさんが苦労されたところです。



 ヤマトタケルさんは伊吹山まで遠征して、ここでフラフラになり、醒めるようなお水をくんで、ようやく正気をとりもどすような、とても危ない旅をしています。一度滋賀県まで来て、そこからそのまま京都・奈良と移動すればいいものを、昔は奈良といっても明日香まで帰らねばなりませんので、今の東海道新幹線のルートをたどらず、ずっと南下して三重県まで来たのでした。それで現在の四日市市から鈴鹿市へと抜けるあたりに、国道1号線が走り、その横を昔の東海道が残っている。それをたまたまタケルさんが通ります。

 でも、もうタケルさんは昔のタケルさんじゃなくて、もうクタクタのタケルさんになっています。私がわりとスイスイと上った坂を、杖をつきつき歩いたわけですから、かなり消耗しています。そして、鈴鹿市から亀山市へ抜けていくあたりに能煩野(のぼの)というところがあって、ここで

「わが足、三重(みえ)のまがり餅のごとく、ホラ貝のかたちにねじれて、しゃつ、つかれたぞ。」されば、その地を三重という。……石川淳訳・ちくま文庫

 だから、三重県という県名は、縁起がよくないというのか、ヤマトタケルのみことにちなんでいるので、ありがたいというのか、とにかく、少し複雑な事情があります。それで、しばらく歩いたら、亡くなってしまって、

 倭(ヤマト)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 倭(ヤマト)しうるはし

 という歌を残すのでした。

 それで、私たちは、何だかありがたい気分になるのでした。



 この街道沿いのおうちを曲がって、いよいよ道は坂へとさしかかります。まちかど博物館もありましたが、12時までが見学時間で、もう日は傾いていたので、とっくの昔に閉まっていました。



 ゆっくり坂道を上って、しばらくしたら芭蕉さんの句碑がありました。

 歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬哉(らくばかな)……徒歩ならば杖を頼りに越えたはずの杖衝坂だったけれども、なまじ馬に乗ってしまったので落馬をしてしまった。

 少しユーモラスな無季の俳句ですが、やはり、芭蕉さんならではの作品になっています。「ならば」の使い方がムズカシイです。こういうのを私は作れないんです。まあ、当たり前ですね。



 上りきったところに西日に照らされている蔵があって、そこまでたどりつくと、お隣はヤマトタケルさんが足の血を洗ったという血塚社というお社があります。

 どこまで行けばいいのかわからないし、どこまでが東海道らしいのか、それをつきとめるには時間がなくて、坂の上で散歩するおばあちゃんと、柿の木と、天理教の道場でお勉強している女の子たちを見つけて、もうこの辺で引き返そうと、ふたたび内部駅へともどっていきました。

 何と言うことのない、普通の坂で、お隣をビンビンにトラックたちが走り抜けていきます。1本道をはずれた旧東海道では、やかましいクルマの行き来の音はするけれど、それなりにゆっくり時間は流れていました。冬には亀山からこちらまで歩けたらと思ったりします。



 このデザインは何がモチーフですかね。調べてみないといけないです。


  


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