若い人(お弟子さんたちに)に向かって、これをしなさいと一つのテーマを与えてくださる人がいたら、それはとても貴重というべきか、有り難いというべきか、です。普通は、誰も何も言ってくれないものです。
48【弟子入りては[ ]】……若い人よ!
子曰く「弟子(ていし)入りては孝、出でては則ち弟(てい)、謹(つつし)みて信、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有らば、則ち以て文を学べ」と。〈学而〉
世の若者たちは、家庭にあっては父母に対して〇行を尽くし、世間に出ては目上の人に対しておとなしく素直でありたい。
何事にも慎んで行動し、言葉に信実があるようにする。
また、だれかれの分け隔てなく広く愛すべきだが、特に仁徳の人に親しみ近づいて、その影響を受けるようにしなさい。このように実行して余力があったら、文[教養]を学べばいいだろう。
今の世の中にどれくらいこうしたことを実践できている人がいるんだろう。家庭の中で親の言うことを素直に聞き入れる人間はなかなかいないのです。むしろ、親を乗り越え、親を放置し、親の世話は誰かに任せられるように、とにかくお金をたくさん儲けて施設に入れる。それができない人は、親が「好きなように生きているから」と言い訳しつつ、忘れるようにしている。
親も、「子どもたちも、あの子らなりに一生懸命に生きているのだから……」と、自分に言い聞かせて我慢していることでしょう。
世間の人、目上の人、人付き合いなどは誠実にやっているはずだけど、それも常におっかなびっくりで、誰かに責められやしないかとビクビクする気持ちがありますか。
さて、まわりを見まわしてみたら、人徳のある人って、見当たるだろうか。そんな人がいたら、見習いたいけど、なかなか出会えない気がする。そして、現代はいろいろなことを学ばなきゃいけなくて、余力はないし、静かに読書するとか、難しいですね。
49【父母は唯その疾(やまい)を之を憂(うれ)う】……親のことを心配しなさい。
孟武伯[ 48と同じ1文字 ]を問う。子曰く、「父母は唯其の疾を之れ憂う」〈為政〉が本文です。とてもシンプルだけど、大事なことだと思います。
孟武伯は魯の貴族・孟孫氏の一族でした。孔子さんに親に仕えるとはどういうことですか? と質問したことになっています。
先生は答えます。「父や母というのは、ただただ子どもの病気を心配しているのだから、身体を大切にして健康であることが孝行である」と。
ということは、親の願い通りに、子どもである自分が元気であればいい、ということですか? 何だか自分に都合のいい理屈ですね。
私の変てこ解釈では、「お父さん、お母さんの無事平穏であることを願うことが親孝行なのだ」と、ねじ曲げ解釈になりますが、それだと本文の「父母がその疾を憂う」という内容を逸脱しているし、主語がおかしくなりますね。
やはり、親は子どもが無事なのを心配している、というところになりますね。ということは、この孟武伯さんが無事ではなかったのか? いや、孔子さんは予言めいたいやらしいことをおっしゃるはずはないから、やはり単純に、「親は子どもが無事なのを祈っているから、その願い通りになるようにしなさい、という解釈になるのでしょう。そう、確かに、ずっと無事で、平和で、何にもない、ということは喜ばしいことなのだと思われます。どれくらいそんな風にやれてるんでしょうね。
★ 答えは、親孝行の「孝」でした。当たり前すぎて、今さらという感じだけど、改めて、人はどれくらい親孝行できるのか、これも考えたいです。