今さら中一の栄光をふり返っても、どうにもならないし、そんなものだったんだろうと思うだけ。
けれども、輝かしくも悲しい栄光ではあった。
それ以前の小学時代、バレンタインデーなるものがあるとは知らなかった。生意気にも女の子には常にたくさん好意を寄せていたが、だらしなく明確でない、屈折した好意など誰も受け入れてはくれなかった。
そもそも恋愛などというのは、人間関係の基礎の一つではあるので、恋愛を始めるには、助走が必要であった。幼なじみでずっとそばにいた関係がある日突然に恋に変わるなんていうのは、作り物のお話で、だれがそんな愛らしい関係を持っているというのか。
私はものごころがついたころには、大阪の町はずれに住んでいた。そこは、ガキどもが離合集散はしていたけれど、男子も女子も一緒になって走り回るなどはなくて、男と女の間には、深くて見えない溝があった。学校で一緒であったとしても、個人で女の子に向き合う時には、最初は拒否から始まったものだ。「なんだ、アイツ」などと、話もしたくないよ。一緒にいたくないよ。遊びなんて絶対にできない。ええい、めんどくさい。スカートめくりしてやれ!
とんでもないクソガキの私であった。本当にそうだったのか、今でも信じられないけれど、そんなサイテーの子どもだったんだろう。
そんな人間が、どうして恋に憧れたりしたのか? たぶん、中1時代のオマケの薄っぺらい文庫本みたいなのを読んで、「こんな恋愛があるのだ」と目覚めたんだろうか。女の子と仲良くなりたいという願望を、少しでも形にしたいというささやかな努力が始まったのか。
あまりに遠すぎて、よくはわからない。
中学は、3つの小学校の生徒たちがやって来るところで、今まで知らなかった女の子たちがみんなキラキラして見えていた。
たくさんいる女の子たちの中から、小柄でいつも飛び跳ねるような、全身バネみたいな体操部の女の子を好きになった(のだと思う)。クラスも違うし、性格もよくわからないし、クラブも違うのに、たまたま見かけて、何となく気になったのだろう。
クラスの女の子が、その女の子に気持ちを伝えてくれて、付き合いが始まった(ことになった)。でも、しゃべったわけではなくて、お互いのことをまるで知らないまま、とにかく付き合ったことになった。
バレンタインデーがやってきて、チョコレートをもらった。母にも隠して、有り難きチョコレートは机の下に秘蔵されていた。どんなものだったのか、どんなにして食べたのか、記憶はない。たぶん、ひとりで食べたんだろう。
電話ももらったけれど、もちろん電話でちゃんと話ができるわけがなかった。
クラスに転校生がいて、その子とは話もできて、彼女も体操部に入ったんだったか。そして、よく事情がわからなかった転校生の子は、あろうことか、私にチョコレートをあげようなんて、思ってくれたそうだったが、しばらくして誰かが教えてあげたのか、みんなで食べたということだった。
そして、一度もまともに話をしたことのない彼女は、私が変てこな手紙を書いて、それで終わりになった。よほど、彼女の気に障ることを書いたのだと思うが、自分では真面目にアドバイスしたつもりだったんだろう。
中2からは、いつものつまらない低迷バレンタイン(いつもの状態)に戻り、世の中をすねて生きることを覚えた。
まともに女の人とおしゃべりができるようになったのは、大学生になってからだった。それくらいに私という人間は、時間のかかる、人付き合いの苦手な生き物だったらしい。そして今は、本来の形を取り戻し、あまり人と話さないで平気な、とんでもないオッサンになっている。これが本来の形かぁ。
いや、ジジイになったら、金子光晴さんみたいに、寄ると触るとスケベなことを話しする、変てこなおじいになれるかな。無理だろうな。