甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

夏の旅 おくのほそ道の終点へ

2015年08月10日 05時34分36秒 | 町並みを行く!
 おくのほそ道は、江戸の芭蕉庵から岐阜県の大垣までの旅でした。でも、どうして大垣で終わりなんでしょう。どうしていっそのこと伊勢の二見まで行ってくれなかったんでしょう。実際には二見まで行くのだから、そこまで書いてくれたらよかったのに……。

 芭蕉さんは伊勢やふるさとの伊賀にこだわりはなかったのでしょうね。そういうローカルな存在ではなくて、文学的・芸術的見地からして、大垣で旅を終えたことにしようとしました。なんとなくそれにふさわしい、親しい人たちの交歓があり、体力的にも疲れたし、ちょうどいい感じだったのかな。

 かくして大垣は俳句の聖地のひとつになりました。三重県も俳句のふるさとのようなことを言っていましたが、行政が主張する聖地なんてすぐつぶれてしまいます。みんなが望んで俳句が盛んになるのはいいけれど、俳句の町になるには、民間の力でだれかが仕掛けをつくらないとダメですね。町作りは行政がやるものではなくて、個々の力が結集しないといけない。



 というわけで、大垣で芭蕉さんは立たされていることになりました。曽良さんがいるのかと思ったら、芭蕉さんだけがいました。仲間もおらず、少しさびしい銅像です。

 私は、お城から南へ歩いて行きました。大垣の町を縦断する水門川に出ました。立派な料亭がありました。入って見たかったけれど、お金もないので写真だけ撮りました。お店の名前が「玉子屋」なんて、かわいらしいネーミングで、これまた魅力的です。お座敷にでも上がれたらよかったのだけれど……。



 橋の飾りは、いかにも大垣ですよというのが描かれています。灯台・船・川、水運の町だったんですね。

 そのままずっと南に行くと、道標がありました。芭蕉さんの旅のとおりにここから伊勢湾に出るのだよと書いてありました。







 川船と灯台と橋があるところに、芭蕉さんの旅記念館が作られていました。中ではおくのほそ道の旅の展示がしてあって、ビジュアルで旅を体験できるようになっている。おくのほそ道の本文も理解しやすいように注釈が立体になってされていました。大垣の町から出た偉人たちの展示もされていて、いろんな人たちが出た町なのだと理解しました。だから芭蕉さんもここで旅を終えた。

 私は、そろそろ電車の時間が気になりだしていました。10時38分発の電車に乗らないと、次はどうなるのかわかりません。何も調べていないし、ここまで歩くのにどれくらいかかったのでしょう。1時間くらいは歩いていたはずで、このままでは間に合いそうにありませんでした。

 とりあえず帰りは、水門川沿いに歩いてみることにしました。夏の日差しは強くて、日陰のないところはジリジリします。川沿いは公園になっているようです。



 玉子屋さんより少し北側に水の広場というところがありました。



 たらい船やら、ゴムボートで水遊びをしている大人たちがいました。楽しそうです。



 ますを作っているお店を見つけて、以前テレビで見たような気がして、一応写真でも撮っておきました。



 大垣藩の学校あとです。ここまで来たら駅はすぐそこです。でも、残念ながら電車はすでに出ていて、駅で次の電車を探すことにしました。とりあえず駅までトボトボ歩いていくのでした。



 


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