甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

石垣りん 「犯された空の下で」 第2回

2014年07月03日 21時52分55秒 | 三重の文学コレクション
 石垣りんさんは、前回こんなことを書いておられました。

 そんな言い方はしたくない。したくなくても、ではなぜ、汚れきった空の下で、多くの居住民が健康をむしばまれ、生活の場を不当に犯されて苦しむ側に味方してくれなかったのだろう。長い間、とつけ加える。もしかしたらこれから先も、とつけ加える。

 なぜ、という思いがわき起こったそうです。どうして、人々は、そんなになるまで大気汚染を放置し、ぜんそくに苦しむ若い人たちを見殺しにしていたのか、と。せっかく胸にわき起こった疑問も、すぐにあきらめに傾いて、「もしかしたら、これから先も、苦しんでいる人に手をさしのべないで、みんなバラバラのままなのかも……」という疑念が起こったのかもしれません。

 今の私たちはどうでしょう。こうしたまわりの人への無関心な態度はというのは、今の私たちもやっている、というか30年前の人々よりももっと強烈に無関心な気がします。どうして連帯できないのか、というよりも、私たちは連帯を求めているのでしょうか? いや、そもそも私たちに連帯は必要なのか? まるで、私たちは連帯を必要としていないのではないかという気にもなります。
 
 それで、答えは、やはり私たちには「連帯は必要です!」 面倒だから、自分で何とかやっていくから、基本は連帯なしでやっていく。そして、まわりが苦しんでいても、なるべく無関心でやっている。ああ、こんな状態だから、お金持ちや権力者のみなさんに、私たちはつけいられるようになっているのです。強い人はいいです。弱い人々は、とりあえず身を守るために連帯しなくては! 形だけでもいいのだから!

 鈴鹿川ひとつへだてた磯津の町は対照的だった。近代設備をととのえたコンビナートの真向かいに、昔ながらの家並み、かどをまがれば干魚のにおう黒い町。なぜか屋根も壁面も黒い印象だった。一軒一軒見てゆくと、そこには海が与えたつつましい暮らしの安定とゆたかさが軒端(のきば)にかげる、長い月日を宿していた。が、ちょっと顔をあげれば、その真上には、どこからでも目にはいるのが、ボワッボワッと無気味に燃え続けるフレアスタックのオレンジ色の炎であり、色とりどりの煙であり、うっとうしい空の重たさであった。それだけならがまんもしよう。問題は異臭、悪臭であった。そのにおいにこもる毒性であった。その上、と言いたい。その毒性がうんぬんされ出したとき企業は何をしたか。毒性はそのままにして、臭いと色の方を消すことをした、と町の声はいった。

 塩浜の氷屋さんに腰をおろすと、店の向こうに大工場の門があり、見上げる煙突の胴が立ちふさがっていた。ふと「私も認定患者なんです」とその店の四十がらみの奥さんが言い、立って行って一通の手紙を私に渡してよこした。ひらくと、大気汚染関係認定症患者殿という四日市市衛生部長からの刷物(すりもの)だった。個人名をあて名としていちいち書く手間をはぶかなければならない数の患者があってのことだろう。なんでもないことのようにその婦人はつけ加えた。「病院へネ、八日行くと月二千円くれる。七日ではダメ」。言葉は少なかった。たった二千円。ぜんそくに苦しむ人に渡す金が七日と八日の境で分けられることにいきどおりを覚えた。当の婦人の顔に怒りのないのが逆に印象深かった。
 


 石垣りんさんが、東海テレビのお仕事で三重県の四日市へ来られて、そこでの異様な風景を目にして、何とかしなくてはと思い、詩を書き、そのいくつかが番組の中でも流され、ぜんそくなどの公害病に苦しむ人々を取り上げました。そこから、公害訴訟やらがあって、今の四日市は、昔ほどの大気汚染はなくなったようです。けれども、工場群はそのままあるので、上手に空気を汚さないよう少しは努力をしているようです。







 四日市の富田というところから、三岐鉄道に乗ったら、終点は西藤原ということろで、ものすごく山深いところでした。


 でも、旅人が四日市の町を通り過ぎたら、何だか殺風景な、人間が住んでないような、無機質の工場群が広がり、不気味な感じがするかもしれない。現実には、三重県で一番人口の多い都市で、25万人の人々が住んでいるというのに、通り過ぎる人は、その人々が感じられないまま、過去に公害問題があり、今はそうでもないというけれど、何だか寂しい大都市だなぁという印象を抱いて、過ぎ去っていくのではないでしょうか。

 もっと、町の力を前面に出していかないといけないですね。この前の三岐鉄道なんか、なかなかよかったんだから、ああいうところとか、近鉄が廃止したがっている内部線(うつべせん)とか、鉄道の魅力もいっぱいあるところなのに、そういういいところをもっと私も探しに行きますね!



★ 2015年4月から、近鉄内部(うつべ)線というナローゲージの小さな鉄道は、第三セクター化されて、近鉄からは切り離されてしまいました。

 近鉄さんは、サミットが来て、少しは株価も上がったことでしょう。なにしろすべての会場は、近鉄さんの持ち物だと思われます。そして、私たちが知らないうちに、サミットは終わって、何だかわからなかったけれど、ものものしかったなあと、来年の今ごろは文句を言っているでしょう。

 だけど、内部線はお金にならないので地元に投げ捨てることにした。地元は、もっとこの不思議な短い鉄道を有効利用して、うまくすればここを路面電車とかにでもしたらいいわけだから、せいぜい上手に使ってやってもらいたいと私は思います。



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