早く進まないと、実際の三月になってしまうので、せいぜいバタバタして、この春のうちにせめて吉野にはたどり着きたいです。宣長さんはちゃんと歩いているんだから。
私なんて、家で花粉が怖いとくすぶっているだけです。せいぜい頑張ります。しだれ桜を見たあとですね。どんどん初瀬街道を西に歩かなくちゃ!
大かたこの国(伊賀の国)は花まださかず。たゞこのいとざくら、あるはひがん桜などやうのはやきかぎりぞ所々に見えたる。是(これ)よりなだらかなる松山の道にてけしきよし。
まだまだ伊賀の国にはサクラはまだ咲いていないようです。ところどころにしだれ桜や彼岸桜(緋寒桜)が見えているだけです。(青山峠を下りてきたあたりは山が重なっていたけれど)しだれ桜のあたりから急に開けてきて、景色もいい感じです。
このわたりより名張(なばり)のこほりなり。いにしへいせの国にみかどのみゆきせさせ給ひし御供(おんとも)につかうまつりける人の北の方の、やまとのみやこにとゞまりて男君(おとこぎみ)の旅路を心ぐるしう思ひやりて「なばりの山をけふかこゆらん」とよめりしはこの山路の事なるべし。
名張の郡に入ってきました。昔、伊勢の国にみかどが御幸されたときにお供をした人の奥さんは飛鳥の都にとどまり、「うちの旦那さまは名張の山を越えているのかしら」と詠んだというけれど、それがこのナバリという土地でした。
やうやう空はれて布引(ぬのびき)の山もこし方はるかにかへり見らる。
此ごろの 雨にあらひて めづらしく けふはほしたる 布引の山
この山(布引の山)はふるさとのかたよりも明くれ見わたさるゝ山なるを、こゝより見るもたゞ同じさまにて、誠に布などを引はへたらんやうしたり。
此ごろの 雨にあらひて めづらしく けふはほしたる 布引の山
この山(布引の山)はふるさとのかたよりも明くれ見わたさるゝ山なるを、こゝより見るもたゞ同じさまにて、誠に布などを引はへたらんやうしたり。
ずっと雨続きだったけれど、ようやく晴れてきて、南北に連なっている布引の山々が見渡せます。
このごろずっと雨続き、その雨に洗われた布引の山々は、今日はその布を干しているように見えました。
布引の山々は、私の住む松坂からも朝晩見上げることができますが、その山の反対側から見ても同じような姿をしていて、布をすっと渡したようななだらかな姿をしていました。どちらからも同じような姿に見えるなんて、なんとも不思議な気がします。
すこし坂をくだりて山本なる里をとへば倉持となんいふなる。こゝよりは山をはなれてたひらなる道を半里ばかり行きて名張にいたる。阿保(あお)よりは三里とかや。
少し坂を下り、そこの集落で地名を訊ねますと、「倉持」という集落でした。もうここからは山はしばらく無くて、平らな道を二キロほど歩くと、名張の町に着きます。阿保宿からは十二キロということでした。そこまで歩かなくては!
町中にこのわたりしる藤堂(とうどう)の何がしぬしの家あり。その門の前を過ぎて町屋のはづれに、川のながれあふ所に板橋を二ツわたせり。なばり川・やなせ川とぞいふ。いにしへ〔天武紀〕なばりの横川(よくかわ)といひけんはこれなめりかし。
宿場の町に入り込みました。ここを治めておられる藤堂屋敷があります(今も残っています!)。お屋敷の門前を行き過ぎ、川が合流するところに板橋が二つあって、それぞれなばり川とやなせ川というそうです。昔の本にもなばりの横川というのはこの川のようです。
ゆきゆきて山川あり。かたへの山にも川にもなべていとめづらかなるいはほどもおほかり。
名張より又しも雨ふり出て、このわたりを物する程はことに雨衣(あまぎぬ)もとほるばかりいみじくふる。かたかといふ所にて、
きのふ今日 ふりみふらずみ 雲はるゝ ことはかたかの 春の雨かな
名張より又しも雨ふり出て、このわたりを物する程はことに雨衣(あまぎぬ)もとほるばかりいみじくふる。かたかといふ所にて、
きのふ今日 ふりみふらずみ 雲はるゝ ことはかたかの 春の雨かな
名張の町は平らな所にありましたが、しばらくすると山や川が迫ってきました。川沿いに立派な岩山がそびえたっております。
名張からまた雨は降りだして、この川沿いの道を進むころには雨具を通すほどの雨が降ってきました。かたかというところを過ぎましたので、
昨日も今日も、降るか降らないかのお天気だったのに、物事は簡単にはいかないよというかのように春の雨が少し激しく降ってきましたよ。
宣長さんの旅は、なかなか思うようにはいきません。けれども、吉野の桜を見に行こう、そこはご先祖の土地なのだという強い信念があれば、なんとか乗り切れます。
そうなんだ。強い意志とあこがれがあれば、私たちはたいていの苦労を乗り切れちゃう!
あったかいうどんでもあればね。それでしあわせかな。足元が冷たくても辛抱しよう!
万葉集の奥さんの歌はこんな感じです。
「わがせこはいづくゆくらんおきつものなばりの山をけふかこゆらん」
うちの旦那さんはどこを歩いているんでしょ。山の向こうの名張の里を今ごろは越えているのかな。
という内容でした。持統天皇の時代です。持統天皇さんは、旦那さんと壬申の乱を乗り切る時も、伊勢の国に進出して、四日市・桑名あたりまで来られたそうですけど、天皇になってからも、伊勢神宮にお参りしたりしていたんですね。
昔も今も、天皇様は、国のあちらこちらを見回りに行ってもらわなくてはならないのですね。ぜひ、めぐってもらわなくちゃ!