ずっと昔から、東海道線の関ケ原を少し大垣側に行ったあたり、なんか変だなと思っていました。普通なら、複線で上り下り仲良く走っていればいいものを、土地が広いからなのか、やたらあっち行ったり、こっち行ったりしているなあと思ってたんです。
そして、何年か前、この東海道線の大垣から少し行ったところに盲腸線になっているところがあるのを知りました。そこは終着駅になっていて、しかも街道好きの私の憧れの的の中山道の宿場になっているということでした。
そんなに遠くではないし、大垣からたったの二駅で行けるので、恵那に行く予定が、電車に乗り遅れたので、少し近いところに目標を設定しました。
こちらを9時くらいに出て、向こうに13時前に着くということでした。4時間足らずで行けるじゃないですか! だったら、行ってみようと、とうとう初の美濃赤坂です!
前から気になっていた、美濃赤坂行きの専用列車・専用ホームがあるようでした。何度も大垣駅には来ているのに、今回初めてそのホームを見つけました。
12:39pm発の美濃赤坂行きが到着しました!
そうしたら、たくさんの地元の人たちが待合室から出てきました。みんなたったの二駅なのに、これに乗ろうと押し寄せてきました。おばあちゃんたちが多かったなあ。とりあえず、大垣に出て、用事が済んだから帰るというところみたいでした。
あれ、この前の串本駅からのコミュニティバスと雰囲気は似ています。お年寄りがみんなこの電車を当てにしているようです。おじいちゃんが少なくて、女性が多いのは違うかな。
一つ目の荒尾駅、ここでもたくさんの人たちが降りていきました。みんな他に移動手段がないのだろうか。それとも、この電車を愛用しているだけか? 日曜だから、みんなたくさん利用していたのか?
次の美濃赤坂駅は、貨物でかなり利用されてたみたいで、この北に向かった駅舎の左右から、北側のセメント工場や採石場に向けて、線路が通じていたようです。今は右側が現役のレールではあったので、時々は利用されているのかな。
それにしても、大きな荷物搬出の駅舎跡です。何本もレールは走っていますが、使われていないみたい。そう、アンジェイ・ワイダの「灰とダイアモンド」みたいな、ソビエト映画みたいな、やたら広大な敷地に使われていない線路が走っているみたいな、不思議な空間です。
何だかもったいないけど、とても魅力的な廃墟、みたいな空間です。ぜひ、このまま廃墟として放置してもらえたら、たくさんの廃墟マニアが押し寄せるのに、産業遺産ですからね! そのうち撤去されるのかな……。
駅舎のガラス戸も古い感じ、駅関係者の建物もあるのに、中にいる人たちは忙しいのかずっとデスクワークでした。これはもったいなかった。忙しいんだろうけど、もう少し訪れる人たちをもてなしてくれたらなあ。
いや、そんなことしたらつけあがるかな。一見さんお断りがいいのかぁ。
何だか、魅力はありそうな感じでした。
終着駅のわびしさもちゃんとあるし、もうどこにも行けない感じです。
あれ、帰りはどうしよう? 時刻表を見たら、16時7分までないみたいでした。あと3時間ここで時間が過ごせるだろうか。少し不安はありました。
とりあえず、中山道を歩いてみたら、どこかにたどり着くでしょうか?
何億年か前、海底だったこのあたりは、サンゴとかが堆積してその海底が隆起して海のない岐阜県になった。そこでは、石灰石や大理石が取れたそうで、江戸時代からこのあたりの特産物だったそうです。やがて、セメント工場もでき、鉄道はこの土地を支えていた。
今も、セメント工場などは稼働しているみたいだけど、今日は5日だし、お仕事してたのかな。
そして、廃線跡を見つけました。いっそのこと、ここをたどって、さっきの駅まで戻ればよかったのに、それは遠慮して、発見できた喜びで、それを深めることができなかった。これは反省です。
あれ、中山道はどうなってましたっけ? また、今度書くかな!